久しぶりの
 
 
「マンホールデータベース」 
 
 
埼玉県行田市です。
 
 
 
 
 
 
 
 
忍城のデザインのマンホール。
 
 
忍城は戦国時代に成田氏の居城として築城され
 
 
豊臣秀吉の関東侵攻では
 
 
石田三成ら2万3千の軍勢に対して3000人で持ちこたえたお城です。
 
 
三成の水攻めにも耐え忍んだそうです。
 
 

 

 

 

 

 
その忍城の戦いは
 
 
「のぼうの城」として映画化もされました。
 
 
 
〈行田市データ〉
 
 
人口 76,701人(2024年1月)
面積 67,49㎢
人口密度 1,136人/㎢
 
 


赤い場所が行田市です。

 
行田市は埼玉県北部に位置する市。
 
 
利根川を境に群馬県と接する。
 
 
行田市埼玉(さきたま)は「万葉集」にも地名の記述があり、「埼玉県」の地名の発祥となった。
 
 
古墳時代には稲荷山古墳が築かれ貴重な文化財が出土している。
 
 
戦国時代には北条氏と結び、豊臣秀吉の小田原征伐の際には石田三成から水攻めをされるも持ちこたえた。江戸時代には忍領となる。
 
 
1889(明治22)年、3つの町村が合併し忍町となる。
 
 
1949(昭和24)年、忍市として市制施行、即時改称し行田市となる。
 
 
ご当地グルメとして、行田ゼリーフライや十万石まんじゅうが有名である。
 
 
 
 
 
〈行田市の出身有名人〉
 
 
北海道日本ハムファイターズの五十幡亮汰選手は行田市出身。
 
 
中学時代には陸上短距離のサニブラウン・ハキーム選手に勝った事があるほどの俊足の選手です。
 
 

 

 

 

 


 
ではその他の行田市のマンホールです。
 
 
 
 
 
 
 
忍城のノンカラーの汚水マンホール。
 
 
 
 
 
 
 
斜めになっていますが
 
 
行田市の市章のデザインのマンホール。
 
 
 
 
 
 
行田市内にある「古代蓮の里」をイメージしたハンドホール。
 
 
 
 
 
 
行田市市章の制水弁。
 
 
 
 
 
 
 
ノンカラーの制水弁。
 
 
 
以上、埼玉県行田市のマンホールでした。