東海道を歩いて旅する「東海道中ひざびっくり」
大津を通過しあとはゴールの京都・三条大橋を目指すのみになりました(2019年1月5に歩きました)。
地図も滋賀県庁から京都・三条大橋までとなります。
緩い坂を上ってきましたが、こちらは関蝉丸神社。
この辺りの逢坂付近に住んでいた
平安時代初期の盲目の歌人・琵琶法師の蝉丸(せみまる)
を祀った神社です。百人一首や坊主めくりをやったことがある方にはおなじみなんじゃないでしょうか。
蝉丸の詠んだ逢坂の関についての歌に関しては後で触れますが、
逢坂の碑が。坂道のようですがれっきとした山で逢坂山というそうです。標高325m。
山城国と近江国の境として古代から関所が設けられていました。
「逢坂の関(おうさかのせき)」ですね。古くから交通の要衝でした。
「逢坂」はひらがなで書くと「おうさか」ですよ。「おおさか」ではないですよ。「大阪」になっちゃいますからね。
はい、ここテストに出ますよ!
道の脇にこんな看板が。ちょっと寄ってみましょう。
旧逢坂随道です。
日本人の技術のみで採掘された初めての山岳隧道(トンネル)で明治13年(1880)に完成しました。これで大津と京都を迂回せずに鉄道が通れるようになりました。
その後、昭和に入ると新逢坂山隧道が作られその役目を終えました。
国道1号に合流です。
日本橋から486kmですか。よくここまで来たもんだ。車通りはさすがに多いです。
名神高速の下を歩いていきます。
逢坂の坂道に入ると、なにやら急激に雲行きが怪しくなってきました。
するとまもなくポツリポツリと小雨が降ってきました。この日は本当に天候に左右された日でしたね。幸い山道越えるとすぐに止んで事なきを得ましたが。
自動車はビュンビュン飛ばしていきます。
こちらは脚が思うように動かずぎこちない歩き方でのろのろ進んでいきます。傾斜はそれほどではないですが、ずっと上り坂が続いているようでやっぱりしんどいです。いつまで続いてるんだろうな。
百人一首に載っている蝉丸の和歌。
「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」
百人一首の中で唯一濁音・半濁音がないのだとか。確かにそうですね。今まで気が付かなかった。行く・帰る、知る・知らぬと対比する言葉が多くてわたくしも空で詠める和歌の1つです。
そして作者の蝉丸ですが、坊主めくりで蝉丸がでるとなぜか子供から
「うわあ~、蝉丸だあ~」
とよく悲鳴があがりますよね。特に女子から。子供の頃にいとこたちとやった時も、大人になり姪っ子たちとやった時も変わらずそうでした。
この毛がちょろちょろっと生えた後ろ向きの坊主姿(蝉丸はお坊さんではなかったのですが)が子供心に不気味に感じるのでしょう。
ちょっとかわいそうな蝉丸さん・・・。
うちにあった百人一首が見つからなかったので動画載せました。今は百人一首もボーカロイドが詠む時代なんですね。
蝉丸の歌の解説はこちらから。人の往来の多い逢坂の関と出会い・別れを繰り返す人生を重ねているのでしょう。味わい深いです。
カーブ注意ならぬ「うなぎ注意」!?
こちらうなぎと卵の厚焼きが一緒にのっている「きんし丼」で有名なかねよさんでした。
テレビでこのお店見たことあるな。寄る時間もないのでこちらで食べた気分になって下さい。
逢坂の関越えて、京都に入ったように思わせてまだ滋賀県内なんですよね。近いようで遠いなあ。
⑫に続く。
※今回からちょっとだけ文字大きくしたり太くしたり、色付けしてみました。少しは読みやすくなるかな?これからも色々工夫していこうと思います。