東海道を歩いて旅する「東海道中ひざびっくり」 、草津宿を離れ東海道五十三次最後53番目の宿場町、大津宿を目指します(2019年1月5日に歩きました)。
 
 
 
水口を出発して京都までの中間地点の辺りですが、またまだ長いですね。
 
 
道のりの距離も長いが、ブログも長いですね。
 
 
東海道歩くにあたって様々な方の東海道歩きを参考にさせていただきました。わたくも次に続く「東海道ウォーカー」の参考のために、また大部分の歩いたことのない方に興味もってもらえるように、歩いている雰囲気を感じてもらえれば、と書いていますがついつい詳細になってしまっています。
 
 
ただあまり詳細にし過ぎると、次に歩く方たちの楽しみを損なったりしないかな、なんて思ったり匙加減がなかなか難しいものです。
 
 
でも歩く「過程」を楽しむのが街道歩きの大きな醍醐味の1つなので、これからも名所だけにとどまらず、ふとした風景も載せていこうと思いますので、まだまだお付き合いのほどお願いします。
 
 
 
 
 
 
 
住宅街の中を歩いていると、突如大きな池が現れました。
 
 
 
 
 
 
 
弁天池という池のようです。地図で見ると滋賀県に入ってから池が多いなと感じてきました。
 
 
 
 
 
 
 
街道の雰囲気は少し残っていますが、どちらかというと普通の住宅地を歩いていると、
 
 
 
 
 
 
 
 
あれれ?また違うマンホール発見。この絵柄は大津市のものですね。
 
 
ということはいつの間にか市境越えてたのかなと、ふと近くにあった地図の看板に目が行きました。
 
 
 
 
 
 
 
すると、おや?まさしく今いる場所が草津市と大津市の市境の場所だったのですね。
 
 
マンホールで市境を察知する男、りんりんの本領発揮でしたニヤリ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
手前のマンホールは草津市のもの、奥のが大津市のものということでこの道路の中間点が境目ということなんですね。
 
 
市境レベルだとたまにありますが、それでも違う市のマンホールがすぐ近くに並んでいるのはやはり結構珍しいです。
 
 
 
 
 
 
 
ところどころに古い建物があって旧街道の趣を醸し出しています。
 
 
 
 
 
 
 
続いてはこちらの立場跡。立場とは宿場町の中間の休憩場所。
 
 
 

 
 
 
こちらの池は地図では水があるように思われますが
 
 
 
 
 
 

 

実際には水が干上がっていて草が生えるだけになっていました。大きいほうの池は水がしっかり残っているようです。
 
 
 
 
 
 
 
 
さらに進み、信号待ちをしている時ふと振り返ってみると一里塚跡が。信号待ちしていなかったら気づかないところでした。
 
 
 
 
 
 
 
 
ゴミ出し場所に飛び出しくまモン!滋賀県だけどくまモン。さすが人気者。その脇には・・・
 
 
 
 
 
 
 
くまモンに追いやられたのでしょうか。とびたくんが無残な姿に・・・ガーン。飛び出し坊やの世界も弱肉強食のようです。
 
 
 
 
 
 
 
 
道の曲がり具合は確かに旧街道ですが、静かな住宅街を歩いています。
 
 
前にちょこっと見えますが、部活の帰りらしい中学生が楽しそうにペチャクチャおしゃべりしているところを追い越しました。彼女たちにとっては旧東海道というより、いつも楽しく友達と話しながら通った通学路として記憶に残るのでしょう。
 
 
わたくしたち街道歩き人から見た旧東海道も地元の方々が毎日通る旧東海道も同じ道。
 
 
わたくし含め街道歩きしているとどうしても「歴史の道」と期待しがち。一方地元の方々にとっては毎日通る「生活の道」。もちろん両者は混じりあっていると言えるでしょう。
 
 
わたくしが東海道を歩き西へ進むにつれ、「生活の道」としての東海道を意識し始めました。
 
 
できる限り生活感のある、ちょっとした看板や町並みを意識して撮ってきましたがどうでしょうかねえ?面白いからと取り上げましたが、結果的には飛び出し坊やもそれに入るのかな?
 
 
これからも歩く先々でその地元の生活感が分かるような風景を意識して撮っていこうと思います。そしてその奥から今まで積み重ねられてきた歴史が垣間見れたらいいな、なんて思っていますニコニコ
 
 
 
 
 
 
 
 
と、小難しい話はここまで。先に進みます。いわゆる普通の住宅地ですが、きちんと旧東海道の案内図はありますので道に迷わず安心です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大きな通りに入ってきました。急に写真撮ってびっくりさせてごめんね。
 
 
 
 
 
 
 
 
どでかいタヌキさん発見!この付近でやたらと看板があった地元の有力な建設会社のタヌキのようです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
午前中は小雨でしたが、この辺りに来ると晴れてきました。時間は13時10分ごろ。晴れるのは良いのですが暑くならないでほしいなあ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
東海道歩きの方々がよく取り上げるこの石材屋さんのネコさんたち。
 
 
🐼こパンダちゃんとはい、チーズチーズ
 
 
でもこパンダちゃん、あまりネコさんたちを見つめちゃダメよ。
 
 
 
 
 
 
 
・・・だって、なんだかエロいんだもん・・・てへぺろ
 
 
 
 
 
 
 
そしてとうとう瀬田唐橋(せたのからはし)にやってきました。
 
 
 
「唐橋を制する者は天下を制す」と言われてきたようにこの瀬田唐橋は古代より交通の要衝・京都の防衛の重要地であり
 
 
壬申の乱・源平の戦い・承久の乱など日本の歴史の重要な戦の舞台となってきました。
 
 
 
 
 
 
 
 
流れているのは瀬田川です。通る前は琵琶湖なのかと思ったらここは川だったのね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この瀬田川は琵琶湖より流れ出る唯一の川で、宇治川・淀川と名前を変えながら大阪湾に流れ込みます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
瀬田唐橋を渡るとすぐに踏切が現れます。京阪電鉄石山坂本線です。
 
 
 
 
 
 
 
この辺りはもう「街」といってもよいほどで、このような大きなマンションもあちこちにあります。
 
 
 
 
 
 
 
昔から滋賀(近江)と京都は歴史的なつながりが深いのですが、明治に入って琵琶湖疎水が完成し、琵琶湖の水を京都に供給できるようになったことも大きいでしょう。
 
 
琵琶湖の水だけじゃなくて苦渋も飲まへんか、というポスターは滋賀県民と京都府民の間の感情とちょっとした対抗意識がうまいこと表現されていると思います。
 
 
よく滋賀県民が京都府民に嫌味を言われて「琵琶湖の水止めたろか」
 
 
とすごむも滋賀県には琵琶湖の水を止める権利はない
 
 
というお約束もありますね。
 
 
 
 
 
 
 
 
石山駅付近ので東海道線をくぐります。
 
 
 
 
 
 
 
 
既に5万歩突破。かなり脚が重くなって歩くのがしんどくなってきました。
 
 
肉体的にも精神的にも1番きつい場所だったかなと思います。すでに歩き疲れているけれど、まだまだ15km以上の距離があって先が長く感じました。歩きながらじっくり東海道の雰囲気を感じる余裕も少なくなり、頻繁に地図を見ては「ああ、あとどれくらいかな」と残りの距離を気にしてしまうほどでした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この辺りは工場が続きます。琵琶湖や瀬田川の水が豊富に利用できるからか精密機器やガラス工場が多い印象です。
 
 
 
 
 
 
 
 
晴嵐(せいらん)というカッコイイ名前の交差点。
 
 
この「晴嵐」という言葉は近江の素晴らしい風景を「近江八景」として選定された中の「粟津の晴嵐」に由来します。歌川広重も「近江八景」を描きました。
 
 
うちの地元だと「金沢八景」ってありますが、日本各地にあるようですね。
 
 
「粟津の晴嵐」についてはこちらをどうぞ。
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 ⑨に続く。