「川辺」と書いて「かわずら(づら?)」と読む珍しい名前の交差点。川のつらにあるからってことかな?
この看板を目印に右折します。
続いてクリリン。
キャラクターものの飛び出し坊や多いけど、著作権的に大丈夫なんだろうか?大目に見てもらっているんだろうけど。
目川という地域にやってきました。ひょうたんの工芸品が名産だったようですね。
通る自動車は結構飛ばしてます。とてもじゃないが30km/h軽く超えてますよ。
ここ目川は田楽発祥の地なんだそうです。
田楽とは豆腐を串に指して味噌を塗って焼いた料理のこと。今もありますが江戸時代では人気の料理で、大根の葉を乾燥させたものとご飯を炊いた菜飯(なめし)と一緒に提供された菜飯田楽はよく食べられたそうです。
こちらの看板自体は石部宿にあった歌川広重の「石部宿」の浮世絵ですが、赤い字で「目川ノ里」と書かれているように、実際はここ目川の元伊勢屋を描いたものなんだそうです。
旅人が多く訪れて人気があったことが分かりますね。
こちらも目川田楽の「いせや」の跡地。
ふ〜ん、草津川に渡し場があったのね、って軽い感じで通りすぎてしまいました。
そういえば遊歩道になってたなあと思っていたのですが、それが天井川だった旧草津川が廃川となった跡の遊歩道だと分かりました。あ!写真撮ってない。
が、今はこうして ストリートビューで貼れるようになって便利になりましたね。奥の手って感じですけどね。
こちらは草津宿江戸口見附横町道標。
今までもよく出てきましたが、見附とは宿場町の入り口の門のこと。つまりここから草津宿の始まりということですね。
時間は11時15分。予定より15分くらい遅れです。まだ足が重いほどではないですが、何だかんだで疲れてきたようです。さらに進むと、
草津の追分道標に着きました。
つまり東海道と中山道の分岐点です。
京都からこの草津宿までは同じルートなんですね。
あ、中山道の方写真撮るの忘れた。
江戸時代の五街道のうち、日光街道は完歩済(旧道でなく国道メインでしたが)。
東海道ももうすぐゴール。残るは甲州街道(こちらも国道メイン)が途中の笹子峠前で止まっている状態と、奥州街道と中山道。
その中で最難関なのが道自体の困難さとアクセスの大変さで中山道だろうなあ。中山道を通ってここに再び訪れる日はいつになることやら。
東海道・中山道分岐点のマンホール。横向きに撮っちゃった。
草津宿の看板があります。