東海道を歩いて旅する「東海道中ひざびっくり」
 
 
道の駅あいの土山で休憩です(2019年1月4日に歩きました)。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この辺り「あいの土山」と呼ばれることが多いのですが
 
 
これは今まで何度か出てきた
 
 
「坂は照る照る鈴鹿は曇るあいの土山雨が降る」
 
のという鈴鹿馬子唄からとったものです。
 
 
では「あいの」とは何を意味するのかは諸説あって、
 
 
① 坂下は晴れて鈴鹿は曇り、「相対する」土山は雨が降っているという、「相」説
 
② この唄が唄われ始めたころは土山は正式な宿場町ではなく、「間(あい)の宿」だったからという「間」説
 
他にも藍の産地とか鮎の産地から、「まもなく」という意味など色々とあるようです。
 
 
 
くわしくはこちら。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ハメ板は甲賀市ということでベタに甲賀忍者
 
 
よく見ると茶摘み娘がいたり忍者も急須やお茶っ葉をもってますね。旧土山町はお茶の名産地なんだそうです。
 
 
 
 
 
 
 
今度はタヌキが忍者の恰好で巻物を持ってます。
 
 
 
タヌキの焼き物で有名な信楽焼の旧信楽町も甲賀市内にあるということで、旧町の名物のコラボってやつですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
まだ正月4日ということもあり、福袋もたくさん積み上げられていました。お客さんもいっぱい。
 
 
 
ここでお昼ご飯を食べようと思いましたが、お土産物がほとんどでおにぎりなど手軽に食べられるものが見当たりませんでした。
 
 
特に長距離の時は歩いている最中は足が止まりそう(足が重くなりそう)ということで座って食事することはあまりなく、普段はおにぎりなどをストレッチしながら食べています。なのでイートインコーナーには寄らず、
 
 
 
 
 
 
 
 
関宿で買った和菓子の「志ら玉」を無料でいただいた土山茶と一緒に食べただけで済ませました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この付近から土山宿は始まっているようです。東海道五十三次49番目の宿場町です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
おっと出ました。飛び出し坊やニコニコ
 
 
このタイプの飛び出し坊やはいわゆる「標準型」であちこちで見かけることが多いです。
 
 
「ゆるキャラ」の生みの親みうらじゅんさんがこの標準型を「0系」と名付けました。「飛出とび太」という名前もついているとか。
 
 
※地元の飛び出し坊やに詳しい方から
 
 
こちらの飛び出し坊やは「0系」に似ているけど微妙に違うものだと教えていただきました
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
なんだか東海道歩きなのか飛び出し坊や紹介なのか分からなくなってきましたがニヤリ、土山宿に話を戻しますと、土山でも家の軒先には他の宿場でもよく見かける旧屋号が掲げられています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
関宿のように電柱が地下化こそされていないものの、なかなか宿場町風情が残っています。そしてこれまた車などの交通量も思っていたよりあります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
これが歌川広重が描いた土山宿の浮世絵。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
扇や櫛を売っていた商家を改装した、扇屋伝統文化館はお休みでした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
江戸時代の笠をかぶった旅人を描いているけどちょっとモダンに感じる看板です。
 
 
 
 
 
 
 
 
この立派なお宅の前に碑文がありました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ここは森鷗外祖父・森白仙が参勤交代の途上で亡くなった井筒屋跡だそう。
 
 
白仙も津和野藩の藩医で、代々医者の家系だったのですね。森鴎外もこの土山を訪れているとか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
酒屋さんの前にあった年季の入ったビールの自販機。そういえばビールの自販機ってうちの方じゃ全然見かけなくなったな。コンビニなどに替わって純粋な酒屋さんが少なくなってきたのもあるかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ここは入れるかな?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
と思いましたが、食事処・甘味処のうかい屋さんもお休みでした。新年早々だから仕方ないね。
 
 
 
 
 
 
次に訪れる場所で一期一会の素敵な出会いがありました。
 
 
 
 
 
 
⑩に続く。