東海道中ひざびっくり、ゴールの岡崎までもう少し。





















この交差点から旧道に入ります。



























坂を上ると冠木門がありました。この辺りから岡崎宿になるようです。


























岡崎は城下町ですから、万一城に攻めこまれた時に防衛しやすいよう、何度も曲がらなければたどり着けないように道が入り組んででいます。二十七の曲がり角があることから、岡崎二十七曲りと呼ばれています。















 

 

 



それでは岡崎二十七曲りをあるいてみましょう。いろは順にモニュメントが設置されています。

 

 

 

 

 

 

 

まずは「い」。






 

 

 








 

 

 

 

「ろ」









 

 




 

 

 



 

 

 

「は」






 

 








 

 

 

 




 

 

岡崎城を整備した田中吉政。岡崎二十七曲りも彼の元作られました。

 

 

 

 

 

 

 

でもなんかその割にはこじんまりした像というか・・・かわいいんですけどね。







 











 

 

二十七曲りを歩いているとひときわ目立つ、岡崎信用金庫資料館。大正6年の建造です。






 

 

二十七曲りは全部曲がりたかったのですが、この後見たいものの時間が押し迫っていたのでここまで。

少しダッシュ気味で先を急ぎます。

 

 


 

 

 







 

 

 

 




そして見たかったものの1つ、岡崎城に到着。徳川家康生誕の地として大々的にアピール。

岡崎城を岡崎公園として整備されました。岡崎城そのものは家康の祖父の清康が建てたと言われています。

 

 
















 

 

 

 

大手門。1993年に再建されたものです。

 

















 

 

 

 

徳川四天王のひとり、本多忠勝の像。鹿角兜と蜻蛉切がかっこいい!

 



















 

 

 

30分に1度開いて能を舞うからくり人形。たまたま運よく見れてよかった。
















 

 

 

 

そして岡崎城天守。紅葉と一緒にパチリ。

 

 

 

 

 

 

 

1542年に家康はここで産まれました。中は資料館になっていますが時間の都合で立ち寄らず。

 




 

 









 




家康像。貫禄たっぷり。家康没後350年を記念して建てられたそうです。




 



 











 

 

 

もちろんハメ板もあるよ。







 
















 

 

日本の城にはおもてなし隊がよくありますが、岡崎城にもグレート家康公「葵」武将隊として活動しています。

 

 

 

 

 

徳川家康と徳川四天王の酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政、本多忠勝の娘稲姫の6名で構成されて岡崎をPRしています。アメブロもやっているようですね。

 

 

 

 

 

 

この時は子供たちとサッカーをしていました。赤い鎧をきているのは赤備えの井伊直政かな。

 









 

⑥に続く