そのうえ、何事も区分・区別することは悪い事ではないのだが、あまり区分・区別しすぎることで誤った認識が拡大し、誤った認識が誤った理解につながり、将来的な価値観に影響を与えること、双方が持っておかなくてはいけない知識や理解が社会的立場を左右してしまう可能性、全国統一していないルールの場合は地域毎に判断をされることになるため、認識の違いを明確にしておかないとトラブルになる可能性があるなど内容によっては分けることが望ましい場合もあるが、分けたことで起きる“認識齟齬”や“誤認識の流布”といった本人が正しく理解していなかった場合に起きる恐れのある誹謗中傷や集団攻撃など個人の意思とは無関係の状態で相手から見られてしまう可能性がある事からこのような状況になることをあらかじめ想定した上で有事の対応を検討していくことが求められるだろう。

 

 ただ、これからの時代はルールや基準が曖昧になる可能性や曖昧にならないまでも自己解釈が混乱している状態になる事が多いのではないかと思う。

 

 なぜなら、現在出ている情報から考えても学校内で男女一緒の授業を受けることは問題あり、異なる授業を受ける場合は問題なしという解釈がされているようだが、一方で学校外では男女一緒であっても異なっていても問題ないという解釈を基本としていることや不特定多数の人の目に触れることになったとしてもこれは問題ないという矛盾した解釈が行われていることになるが、これらの解釈の違いは何を意味しているのかという疑問が残りやすく、これらの疑問の多くは以前から少数ではあったが、このような価値観を持っていた子どもたちはいたのだが、多数派に対して発言することが出来なかったため、時間をかけて拡大していったという解釈が正しいと思われるのだ。

 

 そして、現在は“デジタル社会”であることから有名人や芸能人が発信した内容がそのままその年代のソーシャルスタンダードとして個人に定着し、個人に定着したことでルールがこれらのソーシャルスタンダードに合わせたルール解釈が進んでしまうということも十分想定できるし、このような状況が幅広い年代に拡大していくことでルールという存在があったとしても“○○さんの動画を見て面白そうだからやった”・“これくらいなら許されると思った”などという軽い認識で行動してしまう傾向がある。

 

 現在はこのような傾向が強くなることでさまざまな問題を引き起こす要因になっている事やこれらの認識が定常化することで本人たちの習慣も日常化していくことから価値観の相違が拡がり、トラブルなどが発生したとしても収拾が付かなくなる可能性があるのだ。