一つ気がかりなことは一度も海外に行ったことがないため、英語だけの生活をしているのは学校の授業だけだったこともあり、耳が付いていくか、会話が成立するのかが不安でもあった。他の参加者には何度も海外旅行に行った生徒や帰国子女の子もいるため、今回の参加者で海外への渡航経験がないのは彼女と新入生の華菜子の2人だけだった。

 

 しかも、華菜子は菜芽と似た境遇を歩んできていた。ある日、二人で話していた時に彼女の口から「私いじめられていたのです」と今にも風に揺れていて消えそうな声で言った。それは、彼女がまだ小学校に上がる前のことだった。彼女の両親も再婚で血のつながっている兄弟は彼女と4歳離れた双子の妹だけだった。父親の連れ子は高校生の男の子2人、中学生と小学生の女の子2人と一気に家族が5人増えて喜んでいた。しかし、彼女はちょっとした反抗期のような状態になったこともあり、父親と言い合いになる事もしばしばあった。ある時に言い合いになった直後に父親に殴る・蹴るなどの暴行を加えられたことで体中が痛くて息が出来なくなってしまった。このとき彼女は薄れゆく意識に死を覚悟したという。その後、病院に運ばれた際に診察をした医師によって虐待の疑いがあるという通報が児童相談所に行ったのだ。その時、母親は姉たちと病院に向かっていて、横でずっと「お願いだから生きていて」と小さな声で何度も繰り返し言っていたという。そして、意識が戻り、検査のために月に1回の通院を条件に退院した。しかし、その後も日常的な虐待が繰り返されたことで、彼女の精神状態が不安定になり、幼稚園にも行くことが出来なくなっていた。母親は耐えられなくなり、別の場所に家を借りて別居したのだった。子供たちの食事などは父親がいない間に子供たちの住んでいる家に行き、寝るときだけは自分の連れ子だけを別居している家に連れて行き、寝かせた。