録画していた、テレビがありました
安楽死をテーマにした番組がありました
その女性はもう助かる見込みがなく、末期の状態
ご家族もおありです
もう脳に転移もしていて、左半分の視力を失い、痛みなど苦痛の中で生きておられ、スイスでの安楽死を選ばれました
そのドキュメンタリーです
今日お墓参りに行ったのも、何かのご縁なのかなと思いました
【死】は、私にとって、以前は怖いものでした
昔は理解が本当にできなかったのだと思います
見えない世界も分からず、なんとなく、死は子どもの私にとって怖いものでした
なくす
その人の存在が消えてなくなる
2度ともう会えない
話せない
死後の世界が分からない
死ぬことそのものが、怖い
これまでに、幾つもの死を見届けてきました
おじいちゃん、おばあちゃん、従姉妹は突然に若くして亡くなり、ハタチでした
塾の先生の死、同じ小学校に通うお父さんの死、会社の上司の死、同僚の死、叔父さんの死、旦那さんのおばあちゃんの死
私も生きているので、いつかは死にます
魂は死なないので、死に対してな感覚は少し落ち着いたというか、
【この世の卒業】【しばしの別れ】【祝福】
のように変わってきています
ずっと両親や家族のことに苦しみすぎて、人生や生きることに絶望しており、長生きもしたいと思ったことはありませんでした
しかし、子どもが産まれて、やはりこの子を少しでも長く見つめていたいと思うようになりました
安楽死ということを選ばれた彼女
それに至るまでの葛藤がとてもあったと思います
それぞれ、人によって最後の瞬間がどうありたいか?もありますよね
私なんかは、できれば痛い思いはしたくないなと思いますし、面倒をかけたくないなとも思ったりします
残された人の気持ちになると、1秒でも長く生きていてほしい、一緒に過ごしたいと思う気持ちもありますよね
知り合いの中に、自死を選んだ人もいます
自分の死について、自分で選んだことも幸せだったのかもしれないと思う考えにも変わってきました
お義父さんのお父さんは事故で亡くなりました
人は死に対してそれぞれ違う考えはあるけれど、残された人に対しての悔いを感じ、涙が溢れて止まりませんでした
どうか、その愛を、その願いを、お父さんに届けてあげてほしいですし、届きますようにと思いました🙏
私は子どもより長く生きています
けれども、いつか、子どもは私を超えていきます
それをつい先ほどまで、認めることができていませんでした
私が教えてあげなくては、助けてあげなくては、、と
それはただ先に経験したり、知っているだけのことであり、ただの順番だけなのですよね
ありがとう、ありがとう
もうすでにあなたは素晴らしい存在です
きっと、私も両親を超えました
もう高齢にもなりますし、きっとそうなのでしょう
今は私は両親とは連絡を取っておりませんので、これからのことを考えることもあります
このまま亡くなったら、どうする?
私は後悔するの?
わだかまりが残る?
生きているうちじゃないと伝わらない?
私も両親のように子どもに捨てられるよ、と、とある霊能者の方に言われたこともあります
ですが、私は今はそうは思いません
親にしたことが返ってくるとは思わないし、私は私の精一杯を生き、紡いできています
親孝行したいとも思っていました
寄り添いたいとも思っていました
幸せにしたいとも思っていました
でも、分かり合えないものもあるのですよね
それもそれで、諦めがつくというか☺️
これが、【理解】であり、【認める】
ことなのかもしれません
いい意味で、結論が出たというか、決まったような気がします
私は、今をこの瞬間を生きます
あとは、宇宙の計らいにお任せで🙏
生かされているし、生きているし
私の後ろには、たくさんの歴史や生と死を繋いできています
色々なことを感じた夜でした🌃