以前、この記事を書きました

とにかく、私も姉も、怒られまくりの日々でした

めちゃくちゃ怒られる

そう、めちゃくちゃ言われる

それは、今振り返ると、ただの
【親の感情の押し付けや、八つ当たりに似たもの】でもありました

まぁ確かに良くないことをして怒られることもあったし、怒られる必要があったケースもあると思います

特に小学生時代
私達のクラスは大人しい学年・クラスではなかったので、先生に対して酷いこともしました
産休に来た先生であったり、厳しくない若い先生だとナメてかかる、そのような対応をするという所もありましたし、みんな結構、生意気で自己主張の強い子達が多かったのもありました

今考えると、あのような振る舞いをしても笑って対応してくれた、クラス担任ではなかったけれど、T先生🙇‍♀️
みんなで夜に出かけようとなり、何度も何度も、生徒を自分の車に乗せて送ってくださった、養護の先生🙏
優しくて愛情に溢れていたな〜

私のことをアラレちゃんと呼び、若くて優しかった、M先生

たくさんの方々の顔が思い浮かびます

同時に、5、6年生で旦那だった、H先生
あなたは酷かったですよね
生徒の言い分は一切、基本的に聞かない
俺様、俺が、俺が、でしたね
あれはあれで、大人しくはなったけど、めちゃくちゃでした
私は心が壊れましたよ

話は戻り、怒りについて

怒られることについて

両親がそうだったので、流せるようになっていたかと思いきや、心には根深く残っていましたね

以前も書いた気がするのですが、

怒られること=
悪いこと、何らか自分のせいであることがある、改めなくてはならない

に、ずっとなっていました

それは、
【理由もなく怒られる】と、微塵も思ったことがないからです😳😳😳😳

物心がつき、日常的に怒られるようになり、人のせいや振る舞いなど、

【何かのせいにする】両親

あんたらのためを思ってという、謳い文句

いや、あれは躾でもなんでもなかったよな〜

ただの、【不機嫌の撒き散らしだった】けれど、親の愛を信じたかったから😓

怒られることに大きな意味はなかったのだけど、
意味付けをしていたから、

怒られると、
怒られる理由を探し、
自分責め、振り返り、
自分の振る舞いに公平に見て、落ち度がなかったか?

を探すように、なっていました👀

怒られると、両親から愛されている実感や行動が全くないため、
その当時の、【家での居場所の安全が危ぶまれた】こともあり、

怒られることはダメ、
怒られることが怖い、
怒られることがマイナスになってしまう、
に加えて、

そもそも、やっぱり、
怒られることは嬉しいことではないので、
怒られることは嫌、
に上乗せされていました😨

怒られるって、力でのねじ伏せですし、権力を見せられること、主従関係、上下関係、あらゆるものを植え付けました
それらは子どもの自分にとって、力を持たない自分にとっては、
本当に本当に、【脅威】だったのです

ですが、少し前に、急に道端で怒り出してくるおじいちゃん・おばあちゃん、
病院やお店などで横柄な態度をとる方々

色々な人を見て、おかしくない??と思うことも増えていましたし、
自分の人間関係の中でも、

ただのとばっちり、その人の怒りや虚しさをぶつけてきただけ、
という、おかしなことも沢山、たくさん起こりました

それらも全て、
【不機嫌や怒りを引き受けてきてしまったいた】ので、おかしなことになっていたのだなと思いました😨

そう、それらは、怒られることの中に、
【自分のせいではないこと】が、実は沢山あったのです!

だから、怒られること自体が、自分を責める必要がなかったのです😳

へぇ〜、そうなんだ〜と、俯瞰して見ればよかったし、
はいはいと言っても良かったし、
流して良かったのです

そもそも、
【受けとらなくて良かった】のです

怒られる=自分が何かしたかも?なら話を聞き、時に、謝ったり改めたりもする
その人の怒りをただぶつけられた場合は、何もしなくて良い

話を聞くのも、真面目に聞かなくて良いんだよ
その人の会話、文字を聞く
真意まで読み取る必要もない

色々と分かってきました