もう終活期なんですよ。

で、参考になる人もいるかもしれない。人生振り返ってみます。

タイトルの四柱推命とは、生年、月、日、時間という四つの柱で占うわけ

ですが、僕は自分が先天的にどういう性格や運命を持っているのかを占う

より、今年はどんな年?来年は?再来年は?つまり、流年を見ることに興

味が、より強かったです。成果が欲しいという近視眼的なところからだと

思います。

 

この占い方は十干・十二支を基本に占っていったと思います。実は若い時

に読んだ本はもう忘れています。自分が東京の易者さんに手紙書いて占って

もらったこともほんの僅かしか頭に残っていません。何十年前の話なんです

から・・・

 

  

 

要は基本、干支の組み合わせで占いチャートをつくるわけですが、12年

の内、2年間のリズムの悪い時期を「空亡」として扱っている占法に出

会ったのです。「0(ゼロ)の占星術」とかいう四柱推命の本でした。

自分の場合は、その本でいくと『子・丑年』の2年間がそれにあたると

いう計算なんですが、実感としては「辛い2年間」だったのは、子、丑

年でなく『寅・卯年』の2年間だったと僕なりに確信しています。

独学は、やはり、どこか自己判断であり、勉強法が間違っているんでしょ

うか?それとも、僕の本の読み方が悪かったのか?

あるいは、占術も古代より何代も引継ぎされているわけですから、上手く

伝えられてこなかった部分もあるかも知れませんし、占いの時に使う、占

い暦の内容が、四柱推命でもいろいろ流派もあるようですし・・・

いつも思うのですが、各流派とも同じ占い暦を使っているのかな?とか、

天文学だから、どこかそれなりの部署があってそこの資料をつかっている

のかな?

 

いずれにしても、その道に入って師について学ばないと分からない部分が

あります。

そこで、僕の体感上、自分の『空亡』と思われる年の体験について語って

みたいと思います。

 

1巡目の寅・卯 → 中学2(昭和38年)、3年(昭和39年)

  14才、15才です。

  団塊の世代が反抗期に入った時期なんです。昭和38年には「愛護班」

  ですか、全国にそんな組織が作られました。僕たちの荒れたクラス、

  担任も出て来なくなりました。ある日、参観日でもないのに、授業を

  5,6人の偉そうな人たちが見に来ました。後で、「愛護班」の人た

  ちだと知りました。2年生2学期で荒れ始め、3年の時は通年で担任

  が不在。

  僕は、2年生の3学期で生徒会長に選ばれましたが、自治能力を失っ

  た学校ですから、そのうち憂鬱な学校生活へと変化します。次の選挙

  には、悪(わる)連中が裏で選挙妨害、会長選に負けました。そんな

  世の中にありそうなことを中学で体験したのです。

  まあ、いいんですよ。いろいろあった為に、僕は東京の一流大学へ進

  学はかないませんでしたが、就職は結局、市役所へ就職することにな

  り、小・中・高・大学とすべて自宅から通う生活を送ることができた

  のです。セーブかけてくれた天に感謝しなければなりません。

 

  そんな辛かった2年の後、辰年ですが、進学した高校は、元県女でし

  た。実は僕たちの入学時から、校区制が外れました。どこの高校に進

  学してもいいことになったのです。が、それまでの地域の先輩たちが

  通っていた高校にまだ多くの学生が進学しました。まずは優秀な生徒

  、そもそも優秀な生徒はそれまでは越境入学で進学率のいい高校へ行

  っていたのですが、校区制が消滅後は、大手を振って意中の高校に進

  学しはじめたのです。

 

  しかし、そのことは徐々に、高校のランキング化が進んだということ

  になります。

  今、まだ、ノーベル賞世代は校区制の時代の人でしょ。ランキング化

  が進んだ時代で勉強した優秀な人たち、校区制の時代の人たちより、

  さらにすぐれた成果をあげるでしょうか?

   

  受験勉強は大変でしたが、普通科380人中259番で合格したというこ

  とを、担任が最初の中間テストの結果と合わせて夏休みの父兄懇談

  会で母に教えてくれ知りました。先生は「お母さん、実は、259番で

  入学したんですから、中間テストの結果、258番でしたので息子さん

  は順調に勉強していますよ。」という、奇妙な説明を受けたのです。

 

  僕の入学した高校、自分は文系で、56人編成のクラス。男子が、8人

  だったか、荒れた中学校の2年間の後、「辰年」は、自分の生年の子

  年とは三合という関係になり、大変強力な年となるようで、事実、

  地獄の中学から、ハーレムの高校に入ったのではないかとさへ思える

  夢のような高校生活が始まったのです。悪(わる)がいない。

 

2巡目の寅卯 → 就職後の26才、27才です。この年は25才末に事件を

  起こし、身から出たサビなんですが、職場で苦境に立たされた二年間

  となりました。何度仕事をやめようかと思ったものです。

  一日、一日が長かった。独り言も出始めました。

  今、すぐに心療内科とか若い人行きますけど、当時はそんなの見たこ

  とありませんでした。行けば、病名ついたでしょうね。

  

  ところがその翌年、辰年に入ると、グーンと運命が変わりました。上

  に書いた三合の辰年ですね。職場は福祉から議会事務局と、僕自身は

  普通では配属は難しいと思えるところに異動したのです。

  何か大きな力が働いているのを感じました。

  

  そこでは、自治六法、地方公務員法など各種法律の見方を勉強させて

  もらうこととなりました。議員さんの出入りするところでは、上向い

  て煙草を吸うわけにもいきませんので、タバコで体も弱り、止めよう

  と努力していたこともあり、合わない課長の元2年間の生活で覚えた

  やけタバコ、ついに禁煙が実現できました。

 

3巡目の寅卯 → 38才、39才 この2年間はこの時期は仕事は無難にこ

  なしていたのだが、寅年、母親が慢性骨髄性白血病になり、松山日赤

  へほぼ毎日通い詰めになりました。年末に亡くなり、翌年、卯年は何

  かあったんだろうけど忘れました。

  その後の辰年、逆算してみるのだけど、結婚して7年ぶりに嫁が妊娠

  し、翌年(昭和63年)6月5日出産、そして、その後すぐに第2子妊

  娠、年子なんだが、続く平成元年6月5日出生。

 

  妙なのは、予定日は1子は17日早く生まれ、2子は14日早く生まれた。

  奇しくも年子で同じ誕生日となりました。  

 

4巡目の寅卯 → 50才、51才。農業土木へ二度目の配属です。

  一度4年ほど経験していたのですが、20年前は、農業関係は伸び盛りと

  いう感じで充実した仕事をしていました。この2度目の配属は農業土木

  の仕事も、農家の人たちの権利意識が強くなり、仕事がやりにくくな

  っていました。事業に同調する証しの「同意の印」をもらうことが難し

  くなっていたのです。つまり、同意をしてしまうと、その土地の売買に

  制約がかかるからです。

  職場も、若い、頭の切れる職員が多くなっており、やりにくいところが

  ありました。

  そんな中、災害復旧の補助率増嵩申請というのがあるのですが、国か

  らこちらの申請により、1円でも多く補助金をもらうための申請です。

  その時の職場の同僚、扱いにくい職員もいました。優秀な故、素直に

  こちらの言うことを聞かない職員がいましたが、中には、冷静で素直

  な部下もいて、なんとか増嵩申請を済ませることができました。

  でした。

  

  苦痛の程度は大したことなかったと言えば、そうなんですが、やりに

  くい「寅卯」の2年間でした。

 

  その後の『辰年』、再び公民館へ、前とは違います。昇格、館長とし

  て配属されました。本庁でいう課長補佐待遇です。地元議員、自治会

  長他、地域で大事にしてもらいました。

  辰年、三合の力だと思います。

 

5巡目の寅卯 → 62才、63才

  気学九星の占いの中に、人生を初年運、中年運、晩年運の人という見方

  がありますが、僕の星、七赤金星は晩年運に入るそうです。

  年をとり、凶の現象が出にくくなるということのようです。

  プーチン大統領は三碧木星の人、初年からチャンスがめぐってくる人の

  ようです。晩年に取り返しのつかないことをする可能性があるという。

  確かに、ウクライナの件がなければ、一生素敵な人生を送れたものと思

  います。

  で、晩年運の僕は高齢の入り口に入り、大分、波乱は少なくなったのか

  も知れません。少なくとも対人的には苦しんだ思い出はありませんん。

 

6巡目の寅卯 → 74才、75才

  卯年の今年は

  ●75歳の先月、突如、生まれつきにもっているではと思う、耳の病。

   真珠腫性中耳炎の手術をしました。

  ●嫁、腹部動脈瘤手術

  ●もう一カ所動脈瘤の手術を年内に

  ●愛犬の4か月闘病の末死亡

  こうして、数え上げると、やはり良くなかったんだ。

 

  そのほか、この2年間は、悩みと言えば、近所の犬に吠えたてられ

  ることです。

  僕に対し、この世の中でこれほど悪人はいないというような吠え方

  なのです。

  道路の違ったコースを歩いても、足音が聞こえるんですかね?運動

  靴で歩いていても発見されるのです。

  そのことで、家の人に怒鳴り散らしたことがあります。激怒してし

  まって、よくその場で死ななかったものです。

  天はうまくしたもの、飼い主を驚かせて数か月、詫びを入れるチャン

  スに恵まれました。どうにか謝罪することができました。

 

  しかし、犬は今でも容赦しません。発見されれば吠えられます。

  さて、寅卯が間もなく終わります。来年の辰年はどうなる???

  いい年に、衝突軽減ブレーキのついた車も買いたいし、嫁がその気

  になってくれたらいいのだが・・・・

  占術では12月21日の冬至から年の変わり目に入るそうです。だんだん

  犬の声が細くなって欲しいと思っています。

  晩年運ですから凶と言っても、そんな程度なのかなああ・・・・

  「たかが、犬です。」と、今は割り切っています。

 

人生ある程度やって来た方は、占いができなくても、生年を記録して行って

何かを発見するかわかりませんね。興味ある方はやってみてください。

そんな序章に本物の占い師さんにコンタクトしてみるのもわるいことではな

いと思います。

ただ、押し売りみたいな占い師がいて、トラブルなんかもあるようです。ネ

ットでの依頼はよく状況把握したうえで占ってもらってくださいね。

僕が経験した占い師は、週刊誌で見つけた女性だった。何千円か同封して、

先払いで、お願いしました。

後払いは知らない人ですからやはり怖いですねエ。尾を引いても困るしね。

 

 

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