真珠腫の手術を終えて大学病院から本日、五日目退院、平穏に自分の運転

で自宅に帰ってきました。

数時間も経たないうちに、大雨、ひょう交じりですか大荒れの天気になり

ました。愛媛もダムが水不足だそうで、昨夜のニュースで騒いでいたから

絶好の集中豪雨だったかもしれません。

 

         

 

真珠腫が正確にどういうものかわからぬうちに手術を受ける事になりまし

た。そして、予定では「3時間以内に終わらせるよう努力します。」とい

う先生の言葉でしたが、実際には嫁や娘の話では5時間たっても出てこな

かったということです。

喉の奥も違和感ありましたし、コロナでおなじみの酸素濃度計を2時間お

き看護師のチェック時、血圧、体温などと一緒に指にはめて調べていまし

たから気管内挿管をされたものと思います。

 

手術後、やはり、体調の波があるのでしょう、心臓の期外収縮があるのを

感じました。これが連続になると不整脈なんですが、ひどい時はぼうっと

した意識下で、5~10回の鼓動の間に入るのが分かっていました。とう

ぜん、向こうはー僕が帰った部屋はICUではありませんでしたが借りた個

室がそれ対応のお部屋だったのでしょうーモニターで常時監視していたよ

うです。

 

期外収縮は20歳前から入り始め、入ったそもそものきっかけは、疲労が

激しい時、近くにいた産婆さんがこれ飲みなさいと言って強心作用のある

薬を飲まされたことが、影響したと思います。副作用ですね。まあ、風邪

引いた時なんかも医者にかからずその人に注射も打ってもらっていました。

まあ、当時のうちの家庭の事情でしょう。

そんなことで、期外収縮は馴れています。それが、始まると、「自分は運

動してる、5000や8000歩は毎日早歩きやってるし、絶対心臓は止まらな

い」というしぶとさが沸いてきました。

 

そして、時間と共に期外収縮も減ってきました、一日経過した辺りから心

臓も平常に戻ったようです。

 

で、問題の真珠腫ですが、麻酔が覚めた直後に先生が、ぼうっとしている

状態の時に、「真珠腫だと思っていたのですが、中耳炎?癒着?・・」

という説明をしてくれましたがはっきり聞き取れませんでした。

麻酔から覚めた直後でしたし、ベッドの周りには若い看護師さんたちが取

り囲んでいました。一瞬、ハーレムにいるようだと一種冗談めいた考えが

浮かびました。そんな状態だから、先生の言葉ははっきりとはわかりませ

んでした。

退院近くになって、先生が、「真珠腫ではなく、子供の時からの中耳炎が

癒着していた状態でした。」という説明をしてくれました。

そして、「骨をはぐって、中を綺麗に掃除しておきました」ということで

した。

 

撲、75歳で、手術なんて、地元医師には、「もう、痛い目はしたくない、

このまま死にたい」という風に言っていたのですが、他の入院患者も高齢

者が多いのです。残り人生、幾何ぞ?ではないのでしょうね。

車いすに乗っている患者も何人かいました。

 

このブログの読者、健康に恵まれた人だけではないと思います。何歳にな

っても、手術を受けねばならない時があるということです。

 

ただ一つ、気がかりは高齢になって手術なんてそのまま、寝た切り、人生

の最後へまっしぐらはありうることですが・・・、

 

そんなやきもき感を越えて、予想もしなかった大学病院での手術でしたが

嫁もお世話になることになります・・・大学病院なんて突如降ってわいた

話です。そのうえ、僕が嫁の予定を突然追い越してしまったのです。

 

僕の場合、なんとか、まだ、嫁の恐らく年内の喉奥動脈瘤手術入院のため

に動けそうだし、SNSの世界だって楽しむ勢いは消えていません。

 

今、そう感じています。