私は人の親切を幾つも受けた。思いがけない所で救いの手が入って助けられたこともあったし、恩義に思っても親切という風に思わなかったが、自分の生涯の転機ともなりチャンスともなるものを受けたこともあった。今日はそういう親切の中でも思いがけないささやかな親切であるが、いつも思い出す心の温まる親切のことを幾つか思い出した。皆、外国でのことである。
まず思い出すのは、パリからマルセイユに向かう新幹線TGVのル・クルーソ駅で降り、約20キロ離れた訪問地オータンのバス停に夕方に着いたが、そこからホテルにどう行くかが難題であった。戸惑っていると、後ろから声をかけて来たのはまだ20代と思えるしっかりした若い女性。バスで一緒に着き、迎えに来た友だちの車に乗ろうとして声をかけて来た。英語ができない彼女はフランス語ができない私たちに声をかけて、どこへ行くの?ああ、それじゃあ私が行く手前よと言ったのだろう。トランクを開けて私たちの重いスーツケースを乗せると、私たちを後部座席に乗せて出発。ローマ時代に起源を持ち、ローマ時代の野外劇場さえあるフランスで最も古い歴史を持つ一つとされる小さな町(昔は偉大な場所だった)で、ホテルは路地の入り込んだところにあったが、難なく私たちのホテルの前に横付けしてくれた。私たちは退路を断ってイギリスに行く途中、フランスに寄って、今最初の宿泊地にたどり着いたばかりであったが、そのヨーロッパの最初の地で思わぬ親切に遭ったのである。本当に嬉しかった。助けられた、さい先いい幸運に出会ったと感じた。車の中で片言で交わした会話から、彼女は普通の服装だがホテル近くにある修道院のシスターであった。神が、まるで先回りして私たちのために彼女を手配しておられた気がして、日が経つにつれて感謝が深まった。
2番目はイギリスのノースリーチという田舎村でのこと。オックスフォードからバスでコツオルズを訪ねる計画だったが、オックスフォードを出発する高速バスが、途中の道路工事でなかなか着かないので焦ったが、結局ノースリーチで乗換えバスに間に合わず、小さなお店と喫茶店しかない村の広場で5時間も待たされる羽目になった。この時は、村の歴史を知ろうと村をあちこち散歩して、この小さな村が歴史の宝庫であるのを知ったが、それでもまだまだ待ち時間がある。待ちくたびれた私たちはとうとうヒッチハイクを思いついた。持っていたA3 の紙に、私たちは日本人だが、○○ホテルに行こうとしているがバスに乗り遅れた。この方面に行く人で乗せてくれる人はいませんか。ぜひお願いしますと書いて、妻が、駐車中の数台の車とお店の客たちにそれを見せて笑顔でゆっくりと廻った。すぐには誰も来なかったが、しばらくして、中年のどこか垢ぬけた背の高いおじさんがどうぞ乗ってくださいと言ってやってきた。車で20分もかかる遠いホテルだったが、自宅とは違う方向なのに遠回りして送ってくれた。ニューヨークでコンサルタントをしていたが、イングランドに帰り、今はインターネットでコンサルタントをしているとのこと。ホテルに着くと、重いスーツケース2つを持ってフロントまで運んでくれて、じゃ、お元気でとサッと行ってしまった。その気前よさに心打たれた。
最後は車のことでなく、イギリスのマンチェスター空港から乗合バスで20分ほどの予約していたB &B。当時、日本ではまだB &Bは知られていなかったが、新しもの好きの私は妻に反対されながら飛びついて予約した。着いてみるとマンション風の家が閉まっていて誰もいない。携帯電話の電池があと僅かな上、何度連絡してもつながらない。遂に近所の幼児がいる家に飛び込んで事情を話して連絡を取ってもらおうとしたが、うまく連絡が取れない。この時は本当に困ってしまった。外国でこれほど困ったのは初めてだった。季節はもう秋風が吹き始めていたが、老人2人が裏の公園で野宿をするしかないと観念したほどだ。
泣く泣く、やはり空港に戻ってどこかに宿を見つけようととぼとぼバス停の方に行くと、陽が落ち始めるなか家の垣根をまだ剪定している婦人がいた。妻が窮状を訴えると、じゃあ、自分のところに泊まればいいと直ちに言ったので妻は驚き、もう一度聞き直して、その婦人に抱きついてワンワンと泣いた。この時は本当にたまげてしまった。もしかすると何かを企んでいるのでないかとさえ思うほど、あり得ないことが起ったのである。彼女はシングルで、色々と苦労を重ね、タクシー・ドライバーをして娘さん2人を育てた女性であった。
神はやはり私たちと共におられ、どこに行こうと一緒に歩いておられた。私たちは親切を受けて今の生活があると、この頃つくづくと感謝している。
「インマヌエル。神、われらと共にいます。」(マタイ1章)