あれはもう、4月中頃の話です。中学2年になってすぐのことだった。その頃はまだ春が浅い年もあったが、あの年もやや春が遅かったに違いない。というのは、近くの雑木林のやぶ椿にモズが巣をかけて、雛がかえってしばらくであったからだ。

 

わたしは小鳥の巣を見つけるのが得意で、最初は軒先の瓦の下に巣をつくる雀の子どもを取って育てることに味を占め、雲雀やモズに次々と発展していった。友達と遊ぶより、何時間もかけて小鳥の巣を見つけたり、雛を取って遊ぶ方が面白く、その秘め事のような趣味に掛けては自分は学校一だろうと内心、自負していた。

 

そんな4月、2年生最初のクラス替えで、何人もが知らない顔ぶれになって新しいクラスが始まった。家に帰って、別に予習するわけでもないのに、新しい教科書をまぶしさを持ってぱらぱらとめくっていたが、終わりになるにつれて何だか難しい言葉が出てきてため息が出て来た。

 

そうだ、今日はあの雑木林のモズの巣にテグスの糸をかけて、モズの親鳥を捕まえようと思い立つと、もう体がうずうずし始めていた。手が小刻みに震えていたような気さえする。しばらく前からチャンスを狙ってテグス糸を用意し、どうモズの巣に、輪にしたテグス糸をかけて、どういう角度でどう引っ張ればいいのか、頭の中で計算していたのを、遂に実行に移そうというのだから、アドレナリンの異常放出で体も手も震えておかしくない。―殺人者の心理も同様だろう―。

 

太陽はそろそろ西に沈みそうになっていたがまだまだ明るく、いつものけもの道のルートで竹藪から雑木林に入り、お目当ての巣に近づいて親鳥がいないのを確かめて、すぐテグス糸を輪にし、それを巣の周りにうまく配置した。そしてもう一方のテグス糸を長く5m程まで伸ばしてそこで私は息を潜ませて待つことにした。―実際には、一度だけこれを予行演習していた―。

春とはいえ、場所が竹藪なのでやぶ蚊に射されることがあったが、この際それはどうでもよかった。

 

待つこと15分ほど。いや、1時間も待ったようには感じた。親鳥が餌をくわえて戻って来た。まだ嘴が黄色く、赤い皮膚から内臓の一部さえ見える体に産毛が疎に生えているだけの雛たちに餌を与え終わると、しばらく親鳥は巣に巣籠ったようだ。今だ、手に持ったテグスをぐいと引くと、手ごたえがあった。手ごたえは軽かったが、川魚を釣り上げた時に似ていた。心に喜びが湧いた。よかったと思った。

 

ところが何だか変なのだ。私は巣に近づいて行った。すると、目の前に、ぶら下がっていたのは親鳥でなく、赤い皮膚の雛がふにゃふにゃしてテグスに首つりになってぶら下がっていたのだ。元気な親でなく、雛の首をひっかけ、今雛が苦しみもがいて死のうとしていたのだ。私はギャッと叫びそうになったが、直ちに首からテグスをほどいて、ぐったりした雛を恐るおそる手に取って巣に戻した。ところがその後、親鳥は再びその巣には戻って来なかった。

 

翌日、登校した。何時間目かに耳にしたのは、昨日の夕方、クラス替えで一緒になった〇〇さんが急に亡くなったというのだった。私はそれを聞いて、とっさに、自分が殺したと思った。あの雛の軽い重さが手に甦って、自分がまだひと言も声を交わしたことがないその女の子を殺したのだと確信した。

 

こんなことを大人になっても話したことがなかった。しかし、何年か前から罪を告白するかのように、このことを自白するようにしている。大きな目で見て、この事件がなければ、今の自分はないような気がするからだ。むろん科学的にはまったく別の事柄であり、両者を関係づけるのはおかしいのは分かり切っている。それは当然である。だが、私の心の中では同じなのである。それほどあの事件は私の魂を震撼させた出来事であった。やはりあの二つは繋がりを持っていた。

 

「ピラトは、…水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。『この人の血について、わたしには責任がない。』」(マタイ27章)

 

     5月30日