テレビではガザの残虐な戦争報道が多くなり、ウクライナの影が薄くなりつつある。アメリカの軍事支援の停滞と零下20度に達する道のぬかるむ中でのウクライナ軍の停滞、また長引く戦争によるウクライナ軍の戦意低下も聞かれ、一体ウクライナの将来はどうなるのかと心配するのは私だけではないだろう。この戦争の行方は世界、更には人類の将来に甚大な影響を与えることになるからだ。

 

そんな中、この年末に12歳のウクライナ人少女イエバさんが書いた、「ある日、戦争がはじまった」が日本でも出版された。ロシア軍がウクライナのハリキウを攻撃して侵略が始まる10日前、2022年2月14日に12歳の誕生日を迎えたばかりのこの町の少女イエバさんの日記である。両親は離婚し2人とも外国暮らし。おばあちゃんと2人で地下鉄が走るハリキウの町に住み、誕生日にはお母さんがトルコから駆け付け、クラスメイトを招いてにぎやかに楽しいティーパーティ。彼女はピアノ演奏を披露したりして、不自由なく楽しく暮らしていた。

 

その10日後の2月24日の早朝、聞き慣れない爆発音や騒音が町に響きわたり、ミサイルが飛び交い始め、恐怖に押しつぶされそうになって手が震え歯ががちがち鳴る中でおばあちゃんと防空壕代わりの地下室に避難し、第1日目を迎えた。おばあちゃんが止めるのを振り切って日記帳とノートパソコンと少量の食糧を取りに家に行って地下室に戻った。本はこの日記帳がもとになっている。 2日目、朝食はバターを塗ったパン一枚とお茶。ウクライナ軍戦車と装甲兵輸送車がアパートの傍で待機中に、ロシアとの国境が目の前に見える彼女のアパートから市内の反対側に住む友人宅に避難。近所の人からイエバさん宅のキッチンにミサイルが直撃したとの電話。 7日目、ドニプロ市に脱出。 9日目、電車でリヴィウを通り国境の町ウジホロドに避難。イギリスのテレビ局「チャンネル4ニュース」がイエバさんを取材。 13日目、パスポートもないまま2人はハンガリーに亡命、ブタペスト着。ボランティアの支援あり。 16日目、空路アイルランドのダブリンに難民として到着、ボランティアの支援で小さな借家に住む。 37日目、教師をするボランティアの世話で女子校に編入。英語だけの授業を受け始める。

チャンネル4との出会いが2人の運命に幸運な転換点となった。スマホなどでクラスメイトらと毎日のように情報交換しながら、ハリキウに残る者、ポーランドやドイツに移った者などそれぞれの運命的な別れを経験し、戦争が始まるとこれまで普通に地べたで生きていた子どもや一般人がどうなるかを考えさせられる手記である。

 

イエバちゃんは年齢も若く、「アンネの日記」のような迫真の表現力をまだ持たないが、普通の女の子が気張らず素直に書いているところに大きな意味がある。これを読むと、戦争というのは一般人にはごく普通の日常生活と切れ目なくつながっていて、当たり前の日常が日と共にドンドン壊れて行き、やがて身近な所で爆発があったり目の前で知人の体がバラバラに吹き飛んだりして恐怖が自分の身に接近し、戦争の脅威がドンドンと膨らんでいく姿が素直にとらえられているので、私たち日本人が素直に読むと、どんなことがあっても平和を守らなければならないと痛感させられる。

 

人は必ず死ぬ。それは止められない。だが戦争は止められる。これは人間のなす仕業であり、あれは自然のなす仕業である。今は中世の戦争ではない。原爆と化学兵器を保有し、多くの最新兵器は遠隔で操作され、殺戮の実態に兵士自身が接する機会が薄くなっている。卑劣な残虐この上もない行為への罪意識が薄れ、死ぬことの恐さはあっても、自分の手が人を殺戮することの怖さを知らずにいる。

 

だからこそ、まだ理性が働く昼の時代に、戦争に入る前に、それを阻止するため全力を尽くさなければならない。これが12歳の少女イエバちゃんの訴えから私が得た感想である。12歳の著者だが、読み手の態度によっては中学生向けでなく、中学生以上向け、いや大人向けの本にもなるだろう。

 

「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。」(ヨハネによる福音書12章)

 

          2024年1月9日