marimcreamさん、モカちゃんはじめまして。
こんにちは
こんにちにゃ
進路が決まった高3男子の母、50代です。
ブロガーさんにはまることのない生活を送っておりましたが、単に受験情報だけてなく数々のメッセージが心に刺さり、このブログは毎日読みふけっています。貴重な場を作って頂き感謝しています。
わー、嬉しいコメント、ありがとうございます。
さて、30数年以上前の私の大学受験の話です。
お!ご自身の体験記ですね。
非常に高学歴の両親の家庭で、一流大学→一流企業が当然という環境で過ごしました。悲しいことに学校差別や職業差別にあたる言動は多々聞かれ、気付いた時は親の感覚とは別の価値観を抱くようになりました。
高校は地元の公立の進学校へ。元々スポーツ好きで親のように勉強ができなかった私はスポーツ系の部活動に引退まで夢中でした。
進路は障害児教育、社会福祉系に興味を持ち、特別支援学校の教員免許が取得できる大学を選択。
偉いなー。
ここで親の大反対に遭いました。
え?
身近に教職や福祉職に就いている人がおらずイメージできなかったのかも?しれません。
姉妹がおり、現役合格が条件だったのですが、第一希望の国立の教育学部は不合格、私立も散々な結果で最終的に日東駒専に合格、
大学受験は甘くなかった…!と厳しさを痛感しつつ、希望の教員免許が取得できる学科だったのでホッとした思いがしました。
ただ、親の方は娘の進学先を受け入れられず在学中に何度となく周囲の誰にも大学名を言うなと真剣に言っていました。
ええ?大学名を言うな?
高校卒業時に父の仕事の都合で家族一緒の転勤が決まったのを機に、親元を離れ私は都下の祖母宅で2人暮らしに。大学生活はやりたかった各種ボランティア活動、スポーツ、実習等々思いっきりのびのびとやらせてもらいました。(実家は息苦しかったので…!)
そんな祖母に私はなりたい。
卒業後、都内の特別支援学校の教職につきその後、JICA協力隊に応募し南米の支援学校に数年派遣、帰国後はその経験から医療の知識をつけようと日中は学校で講師、夜間は医療系の専門学校へ4年間通学、医療職に。途中、結婚、出産を経ながらやめることなく同じ仕事を続けています。
凄い
親は教職を辞めて海外ボランティアに出るときも大反対で、なぜあなたは反対する方向へ進むのか?わざとか?!と…。
そんな両親でしたが母は27年前、父は昨年他界。
50過ぎて思うことは、自分で決めた進路に進んで本当によかった、充実してたな~、率直に楽しかったな、これからもできるだけ続けようってことです。
うんうん、そうだよね。親の見栄や欲望を満足させるために生きてるわけじゃないよ。
さて、息子ですが、幼少期より運動好きでお世辞にも勉強のセンスのない子でした。(隔世遺伝はなかった笑)小1から始めたチームスポーツにはまり、高校は中堅の私立高校に半分部活のスカウトで入学。そうなったら部活しかしない生活で深い海の深海魚と化してました。
でも部活は頑張るんでしょ。
私はスポーツもできなかったから、すごいなって思うな。
3年になり好きなスポーツから身体の動きに興味を持ったようで、突如医療職に進みたいと。そう言い出してから、オープンキャンパスに出向いて個別面談、苦手な英単語帳を持ち歩き、居残りで学校でマンツーで勉強、
個別指導塾も利用。親の私は勿論ですが、先生がその変わりようにびっくり。
なんちゃって受験生に変身の巻です。
レベルの高い大学ではありませんが、本人が希望する大学に超短期集中で合格。
まだまだこれからですが、自分で決めたことなので動いたのだと感じました。
長くなりましたが、親はいずれ先に逝きます。
子の人生の主役は子ども自身です。
安定した道にみえなくてもトライ&エラーしつつやりたいことをやる方が1度きりの人生悔いはないのではないかと思います。
おっしゃる通りですね。
転んでも自分で立ち上がり、上手く行かなければ最初からやり直し、前へ前へ。
山登りがそうよね。
山に登る課程に意味があるのよ。
ただ山頂に行ければいいってものじゃない。
リフトやケーブルカーでも山頂に行けるけど
麓から一歩一歩上ってたどりついた山頂で飲む水は
同じ水でも味が全く違うというものよ。
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<marimcreamのサジー日記>
今日は疲れた。
体じゃなくて、脳が。
脳みそが痛い。(←表現は変だけど状況にぴったりくる。)
お風呂でサジー飲もうっと。
温泉の素はどれにしようかな。
白濁するのが好き。
にゃにーーーーこれーーー
ここにタッチして合格した人がいるという
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