教育虐待・・・まさか私が。
母親はわが子をかけがえのない存在として深く愛し、とにかく幸せになってほしいと心から思っています。
この世知辛い競争社会でわが子だけが不利益をこうむるなんてことがないように、
時すでに遅しにならないように、
そんな風に考えてる母は多いのではないでしょうか。
母親というのは不思議な生き物で、自分のことならアッサリとあきらめられるのに、
わが子のこととなると途端にあきらめられなくなるものなのです。
親戚の子や、友達の子であれば、
適当な距離を保ち、上手に見守ることができますが、わが子のこととなると俄然不安が先に立ち、いらぬ心配までしだします。
子が歩く道の先回りをしては石をどけ、
頼まれてもいないのに、高いことろに登ってあちこちみまわしては
あっちは危険だそっちは遠回りだと、手出し口出ししてしまう。
それがいつしか子を追い詰めることになるとしたら・・・。
「あなたのため」
「いい教育を受けさせたい」
「選択肢を増やしてあげたい」
と日常的に考えている人は教育虐待予備軍、要注意だそうです。
わかりやすいように身近なことに置き換えていうと、将来何になりたくなっても対応できるようにと、それこそ選択肢やを増やすために、
中学受験をして、少しでも良い学校へ入ることを目指すことがあります。
ここまでは悪いことではありません。
確かに成績がよければ大学も就職も選び放題です。
でもなまじ良い成果を上げて素晴らしすぎるところに合格してしまうと
その学歴を生かさない道を選択しづらくなる、そんなこともあるのです。
トップ高校卒の子が高卒で別の道を歩んだとしても、何の問題もありませんが、
せっかくここまで頑張ったのにと、もったいなく感じてしまうのです。
いい教育は必要か、と言われたら、必要だ、と思いますが、何をもっていい教育とするかは親の価値観がものすごく反映されています。
スポーツ選手と、ミュージシャンと、工学博士に小説家。それぞれにとっていい教育って違ってくると思います。
親は子育てにも正解があると思ってしまい情報をいっぱい集めて、その「正解」に子どもを合わせなくてはと思ってしまうのです。
子は育つように育つ。
型にはめてはいけません。
子が愚息だと己を責めるのが母ですが、
愚息が愚息なのは愚息のせいで
母のせいではありません。
私が天才猫ニャのは、私の努力でお母さんの教育ではありません。
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