手紙

marimcream様 初めまして。

 

私立大学2年と私立高校2年の兄弟の母です。

 

こんにちはにゃー こんにちはにゃー

 

長男の大学受験の時からこちらのブログに大変お世話になっております。 「男がやる気を生み出す早道は…」を読んで、居ても立っても居られず初めてメッセージを送らせて頂きます。 

 

長男は小学1年生から野球を始め、中学生になると学校の部活では無く硬式野球のクラブチームに所属しました。

 

監督から信頼して頂きキャプテンを任され、野球推薦で私立高校に進学しました。1年生からベンチ入りし、周囲にも活躍を期待されていたのに、高1の11月に突然部活に行けなくなりました。 

 

え?

 

当時本人は多くを話しませんでしたが、後から聞いた話しでは、高校に入学して自分の思っていた野球ではなかった事。野球が楽しかったのは小学生の頃だけで、中学以降は、結果を出す事を求められてツラい気持ちしかなかったが、周囲の期待に応えようと続けて来た。

 

しかし、このまま野球漬けの日々を送っても甲子園は夢だしましてやプロ野球選手になるのも無理、オレの将来どうなるんだろう、と考え出した事。

 

野球への情熱が冷めてしまい、気持ちが切れてしまったとの事。 周囲はもったいないと説得しましたが、本人の気持ちは変わらず、結局野球部を退部しました。 

 

 

退部後しばらくはやりたい事が見つからずにいましたが、その後ダンスをやってみたいと言い出し、アルバイトも始めて費用を捻出してダンススクールに通い出しました。 

 

そのダンススクールで親しくなった男の先生と色々話しをするようになり「オレ、将来やりたい事が見つからないんですよね」と話すと、「お前は絶対、大学に行った方がいいぞ!」と勧めてくれたそうです。

 

 

その先生は〇山学院大学の〇〇政治経済学部を出た秀才で、1度一般企業に就職したのに、やはり夢を諦め切れずプロのダンサーになった方だそうです。

 

 

「オレは大学受験の時に、自分の限界を超える勉強をした。でも、その経験が社会に出た後も生きているから、お前も人生で1度は自分の限界を超えるまで勉強する経験をしてみろ」

 

 

と言ってくれたそうです。その言葉に感銘を受けた長男は、憧れの先生と同じ〇学の〇〇政治経済学部を目指す事を目標にし、ダンスもバイトもやめて、高3の12月から〇進ハイスクールに入塾しました。

 

高3の12月か。

 

入塾時のセンター模試で、英語は200点満点中の40点しか取れませんでしたが、1日も休まず〇進に通い、高3の夏の模試では200点中140点まで上げました。

 

しかし、入試ではmarch全滅して浪人しました。

 

再び〇学を目指しましたが、一浪後結局は合格叶わず、別の大学に進学しました。

 

入学後は再び野球がやりたくなったと言って野球サークルに所属し、今夏は英語の短期留学を予定していて、充実した日々を送っているようです。

 

 次男はやはり小学一年生から野球を始め、兄以上にセンスを感じさせる活躍で周囲に期待されて来ました。中学では兄とは違う硬式野球クラブチームに所属しましたが、勉強は全くしなくなり、中学での成績はオール3以下でした。

 

この頃私は毎日次男とバトルしていました。野球もパッとした活躍できなくなり、自主練はサボってばかりで夜遅くまでゲーム三昧、朝は起きれないし勉強も全くやらない。私の目には何も努力せずにダラダラしている様にしか見えず、毎日怒っていました。

 

 

クラブチームは親の手伝いが必須で、土日は夫婦で活動に同行して車出し、グランドの草むしり、炊き出し等、必死に手伝って来ました。

 

私がこんなに尽力しているのに、努力しない次男が許せない、と当時は考えていました。 

 

野球推薦で私立高校に進学希望しましたが、土壇場になって推薦の話が流れてしまい、大変な思いをしました。

 

中3の12月になって高校側から、同じくらいの野球レベルの選手がいて、2学期期末試験の結果を待って検討していたが、もう1人の選手の方が成績が上だったので、あなたはごめんなさい、という驚きの回答が来たのです。

 

その高校には同じクラブチームの先輩達も野球推薦で行っていたので、まさかこんな風に土壇場で断られる事は無いと思っていました。 

 

チームの監督も慌てて他の私立高校推薦の話しを持って来てくれましたが、次男はきっぱりと、推薦断られた高校を一般受験すると言いました。

 

中学にもすぐ報告し、担任の先生も、この状況で一般受験に挑戦すると言えるのは息子さんの気持ちが強い証拠、周囲は全力で応援しましょう!と言ってくれました。

 

とはいえ全く受験準備していなかったので大変でした。次男の普段の成績からはかなり難しいレベルの高校でした。幸い、少し前から塾には通っていたので、塾に相談して滑り止めの私立高校と、一般受験で受けられる私立高校を3校決めて、慌てて見学。

 

 

そして次男は人が変わったように勉強漬けの日々に突入しました。

中学の先生も塾の先生も、クラブチームのみんなも応援してくれて、次男は見事に全ての受験校に合格。

 

すごい!

 

特に第1志望の野球推薦断られた高校には、一般入試20位以内で合格し、教科書代が無料になる特典を受けたのです。 

 

頑張りましたね。

 

日東駒専レベルの付属高校ですが、自信を付けた次男は、他大学受験を目指して高1から〇進ハイスクールに入塾し、野球部との両立を頑張っています。 

 

次男が今話すには、中学時代はストレスが溜まっていたと。

 

 

小学生までは何も考えずに楽しくできた野球も、中学以降は結果を出すことが難しくなった。勉強も授業について行けなくなり、自分でもどうしていいかわからず、不安な気持ちをゲームで紛らわせていた、と。

 

 

このままじゃいけないと自分でもわかっていたが、母親にあれこれ言われるのはウザかったと。 

 

 

非常に長文になってしまい、申し訳ありません。 

 

 

息子達は2人共、父親のことを尊敬していて自分も将来あんなお父さんになりたい、と言います。

 

これが一番すごいびっくり

 

 

主人は、教育熱心な母親からの干渉がすごくイヤだったので、自分は子供には絶対レールを敷くまい、全て子供の意思を尊重することをポリシーにしていました。

 

息子達の事は応援し、野球の審判をやったり熱心に協力して来ましたが、決して結果は求めませんでした。 私はついつい、特に次男に感情的に接してしまいましたが、仕事しながらの野球の手伝いや、クラブ費用遠征費用が大変な事に対して、見返りを求めてしまったんだと思います。

 

見返り、ねショボーン

ついね、無意識に求めちゃうよね・・・。

 

 

 子育てを通じて私も自分自身と向き合い、成長させてもらいました。

 

 以上、少しでも参考になればとわが家の体験談です。 

 

次男の大学受験が控えていますので、引き続きこちらにお世話になりますが、よろしくお願い申し上げます。

 

メッセージありがとうございました。

とても参考になりました。

 

 

メッセージありがとニャンですにゃー

 

 

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