刺激 | ☆野中 東・雑種が描く雑記☆

刺激

先日、ボクチンは久しぶりに映画を観た。

邦題「マックイーン:モードの反逆児」

個人的に原題の「McQueen」の方が観客に染み渡ると勝手に解釈する。

 

 

正直、マックイーンの訃報を聞いた時は驚きというよりはショックの方が大きかった。

何故ならば、自ら命を絶ったのだから。

 

ほぼ同世代という事もあり、マックイーンとエディ・スリマンに関する情報は積極的に耳を傾けた。

同世代の誰かが世間に認められる情報は個人的に励みとなり、同時に刺激と化した。

 

映画を通してマックイーンという人物像を紐解くと、単純に繊細なだけではなく、目の前にあるものに対し容赦無く戦ってきたのだと改めて痛感する。

 

そうか、ここだ。

ボクチンもマックイーンと同様に現存するか否か関係なく、歩むべき道を妨げる相手に対し容赦無く抵抗または反抗してきた。

 

マックイーンが亡くなってもう、10年が過ぎ去ろうとしていた頃にこの映画が上映された。

個人的にマックイーンは愛する母親の死を追いかける様に生を拒んだと勝手に解釈していた。

今回観た映画を通してこの考えが間違っていた事に気付く。

 

 

母親と同様に愛したイザベル・ブロウの死(自殺)が色濃くマックイーンの心身を刺激したのはまぎれも無い事実だろう。

ここで細かな説明をするとネタバレになるので、曖昧な言い方を並べると、お互い濃密な関係を築き上げた故、現存よりも精神面での繋がりを重視していたのだろう。

恋愛というよりは、どちらかというと憧れに近い感情なのかな。

 

世間一般的に脂の乗った時期に多忙な環境をこなし、私生活と職場の境目のないままマックイーンは歩み続けた。

 

人は強い相手を目の前にすると、ハッタリでも強く見せようと心がける。

道徳心を尊重した真面目な人は尚更だ。

 

自ら死を選ぶ人は世間から逃げたのではなく、むしろ戦いの意思表示を仕向けたのかも知れない。

個人的に死を選ぼうと考えた事はあるが、実行に移した経験がないので推測でしか語れない。

この場を借りて敢えて個人の意見を素直に伝えられる事が可能であれば、間違いなくマックイーンは素直に人生を貫いた数少ない人物だと改めて想う。

そうでなければ、商品である服を売る以前にショーを重視してきたのだから。

 

 

劇中でも語れていたが、個人的にマックイーンのショーで特に印象的だったのが、1999/ssのショーだろう。

この時のマックイーンは全てにおいて成熟しており、単純に服を売る場ではなく、「パッション」を伝えたかったのだと思う。

こういった思い入れもあり、このシーンは感動のあまり自然と涙がこぼれた。

 

事実、この時の映像を「ファッション通信」というテレビ番組でリアルタイムで観た瞬間、革命を目の当たりにしたとさえ感じたほど刺激的であった。

どうしてかというと、ファッションショーは当然のごとく顧客を増やすのではなく、

映画の様な感動を与える空間を提供する場であったのかと、言葉よりも行動であると改めて痛感したからである。。

 

マックイーンの様なデザイナー、いや、クリエイターはこれから出てこないだろう。

マックイーンそのものが強烈な存在だったから。

 

 

亡くなって間もない時期に発行された雑誌。

今もなおボクチンのバイブルだ。

 

 

数年後にマックイーンを想い描いた落書き。

 

ボクチンはマックイーンの様に多くの人々に刺激を与える事はできないが、真っ先に頭の中で考えたものではなく、実直に感じ取ったものを素直に表現する事を心がけるよ。

 

与えられた技術よりも、自ら創り上げた可能性に従うまでさ。

 

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