おはようございます。
神仏応援団リュウです。
神社応援団のメンバーの
ピョン吉
が 興味深い神社があると言って、教えてくれたのが、
初姫神社
はつひめじんじゃ
そして、その場所はと言うと。。。
函南町。
ここで、少し前の記事を思い出して頂きたい。
初島の西側の網代(あじろ)という地に
阿治古神社
あじこじんじゃ
という鹿島踊りが受け継がれている神社があったと書きました。
そして、もともとの宮司さんは、亡くなっていて、現在は、函南町の神社の宮司さんが兼任してくれているという。
で、この函南町の初姫神社が、その神社なのではないかと、淡い期待を持ちつつ向かいました。
この神社は 保育園が隣にあり、神社の境内に保育園が建っているような配置でありました。
由緒を読んでみると
御祭神は
金村五百村咩命
とありました。
てか 誰??
そして、何と読むの??
初姫神社⛩️だから 初木姫じゃないの? と疑問を抱きますが、由緒には、延喜式に載っている神社であって、昔は
金村五百咩神社
という名前だったようです。
で、金村五百村咩命 とは 一体どんな存在なのか?
という事で、ネット検索してみました。
創祀年代は不詳。海抜13メートル、当地周辺において、「縄文海退」があった際のラインに位置する聖地の一つ。
『伊豆国神階帳』に「従四位上 たわらの明神」とある。また、『明治神社誌料』では、当社を「従四位上 なつめの明神」とする。
御祭神は金村五百村咩命。同じく田方郡の式内社に「金村五百君和気命神社」があり、両社の御祭神は夫婦とする説がある。
この場合、金村五百村咩命の「村」は「比」の誤字と考えられ、本来は「金村五百比咩命神社」だったという。
なお、式内社「金村五百君和気命神社」の論社は伊豆の国市の奈胡谷神社と御嶽神社があるが、御祭神が金村五百君別命であるのは、奈胡谷神社のみ。
また、一説に「金村」とは金谷という地名から採られ、「五百村」とは、多くの集落の意。
つまり金村五百村咩命神社とは金谷という地の多くの集落の集まった場所にある姫神を祀る神社という意味だという。
金村五百村咩であれば「かなむらいほむらひめ」、金村五百比咩であれば「かなむらいほひめ」か。
江戸時代中期の享保4年(1719年)の棟札には「楊原明神(やなぎはらみょうじん)」と書かれており、江戸時代には楊原明神と呼ばれていた。
初姫明神とも呼ばれたという。沼津の泉明寺が別当だった。明治6年(1873年)、郷社に列し、現社号に戻した。
例祭は10月10日。近代は昭和20年(1945年)まで例祭当日は周辺の小学校が休みになっていた。神事の際は、雅楽が奏でられ、ピーヒャードンと賑やかに執行されていた。
境内社に、神明社・八坂神社・床浦神社・王子神社・山神社・御嶽神社・金山社・稲荷社がある。
とありました。
ということで、「ある姫」を祀っているようです。
さらに 楊原明神 で探ってみると、静岡に楊原神社⛩️という神社があり、御祭神は 大山祇命でした。
となると、「ある姫」というのは、三島系の姫というのが有力かなと思います。
古称が 初姫神社ということなので、「初木姫」である可能性が高いかなと思います。
ですが、現在は謎となっています。
社務所も宮司さんも見当たらなかったので、阿治古神社⛩️と関連があるのかも 謎のままとなりました。