先週、親父が腰の手術をしました。
手術がうまくいったかどうかは、退院してからでないと不明な部分もあるので、まだ何とも言えませんが、とりあえず無事ではありました。
手術は午後3時くらいから6時過ぎまで。
聞いていた予定より30分ほど延びました。
手術当日と翌日は家族が付き添ってください、
との要請が病院からあったので、
当日はわたし、その日の夜から翌日の昼までは弟が付き添いを担当。
付き添いと言っても、手術中に緊急事態が云々というふうなことを想定してのものではなく、
手術後のちょっとした介助のためなので、あまり構える必要はありません。
だから、手術中は待ってるしかなく、自由時間と言ってもいいのですが、
大きい病院ではないので施設が充実しているわけではなく、かと言って外出するのも面倒。
けっきょく、病室で待つことにしようと思いました。
音楽を聴きながら読書でもしようか、と準備してきましたが、
やっぱりというか、わざわざご来院なさるのですよ、長老様が。
手術の1時間くらい前に2人登場。
76歳と81歳。
若い奴が来たら、JWはなぜ非聖書的と言えるのか、との主題で論じてやろうかと思っていたのですが、ユルい爺様たちだったので、特別講演は中止しましたw
それでもねぇ。
狭い病室に、わたしと、長老二人。
緊張はしないけど、あまり自由に振る舞えないじゃないですか。
しかも、81歳は「ものみの塔」を取り出して、ペンで線を引いたりしているし、
76歳は「神の言葉の紹介」だったか、小さい冊子を読みながら居眠りしてる。
何しに来てんだろ。
わたしは司馬遼太郎の「街道をゆく」を読んでいましたが、
爺様たちがときどき話しかけてくるものだから無視するわけにもいかない。
まあ、JW的な話題ではなかったから、そこはよかったんですけどね。
それでも、何となく窮屈なような、ずいぶん長く感じる時間を過ごすことになりました。
手術が終わったら、親父に一声かけて爺様たちは帰って行きました。
2時くらいに来て、6時半くらいに帰って行ったから、4時間半ばかり滞在したわけですね。
けっきょく、お二人様は何をしに来たのか分かりませんでしたが、
成員が入院することになったら、手術の有無にかかわらず長老に知らせよ、という発表が
7~8年前だったかの集会であったし、個人的な事柄にいちいち立ち入る、この宗教の取り決めに従っただけ、ということなのかなぁ。
心配してくれるのはありがたいけどさ、気遣いの示し方ってものを、少し考えたほうがいいんじゃない?
まあ、今さらムダか。