最近、職場の研修でユニバーサル・デザイン(以下、UD)について扱われました。
UDの定義。
調整又は特別な設計を必要とすることなく、最大限可能な範囲で全ての人が使用することのできる製品、環境、計画及びサービスの設計をいう。
(障害者の権利に関する条約 第二条より抜粋)
研修の目的は、モノを造ることに当てはめるのではなく、UDの理念を若手の育成に生かす、という観点。
たとえば
あいまいな指示はしない
図示する場合、色分けを工夫
掲示物のレイアウトの工夫
能力に応じてノルマの調整を柔軟に
詳しくは書けませんが、その他、いくつかの提案がありました。
要は
理解力や思考力、空気が読める読めないなどの差で不利益を受けないよう、やさしい環境づくりをする
ということ。
画一的な教育しか受けなかった世代の人間としては、
「甘やかしてはいかん」
と考えて、下の世代にも厳しい要求をしてしまうものです。
わたしは柔軟性がある、というか、ユルいほうですが、それでも
気合いで何とかなる
という思想が抜けません。
配慮ばかりでいいものか少々疑問も残るんですが、時代の流れには逆らえませんね。
ものみの塔の組織は何年前からか、映像を多用するようになりました。
協会からの手紙だったか、大会か特別集会での発表だったか忘れましたが
「エホバは視覚的な教材を用いることの益をよくご存じです」
というふうなことが述べられたときには、必死なこじつけに笑いそうになったものです。
理解しやすいように配慮してくださってるのね~
ご親切ね~
と本気で思った人は、どれくらいいるんでしょうね。
しかし、ものみの塔が提供する映像ものは、伝道の場面の影絵みたいなやつをはじめ、なぜ映像にする必要があるのか、意味不明な要素が多いですね。
しかも、今は王国会館にモニターが付いているらしいですが、すべての会衆にあるのかな?
うちが集会に行くのをやめた2年ほど前、まだ会衆にモニターは付いてなかったので、どういう使い方をしているのか知りませんが、どうせ、たいした使い方ではないんでしょう。
視聴覚の効果について、深いことは考えていない。単に目先を変えただけ。
UDの観点からすると、失格。
まあ、じゅうぶん練られたものを見せて洗脳効果が上がってもいけないから、これは失格のほうがいいですね。
集会や大会の日時、場所。
出席者への配慮などあるはずがない。
はい、失格。
布教の時間。
病床にあっても意識不明でない限り15分とか
30時間・50時間・80時間という区分とか
不定期だの不活発だのという
根拠のない勝手な基準を定めて、事実上、布教を強要しておきながら
「エホバは各自の状況によって選べるよう配慮してくださっている」
などとほざく。
失格。
寄付。
王国会館や大会会場の寄付箱。
デビットカード・クレジットカード。
銀行送金。
小切手・為替。
条件付き寄付。
宝石・貴金属・高価な物品。
不動産。
保険。
遺産。
寄付をする意思があれば、どういう形ででも寄付ができるよう「配慮」されてますね。
これだけは抜け目がないな、やっぱり。
毎度のことながら、ものみの塔の組織について書きながら腹が立ってきます。
でも、この宗教の寿命も、そう長くはないのでしょうね。