先回の記事で母のことに少し触れましたが、
そろそろ、「最期」のことを考えないといけない、と思っています。
膵臓がんが見つかって3年経過。
通院での抗がん剤治療をしていますが、進行が遅く、転移もないそうなので、
今のところ、来年の桜を見ることができるかどうか、というほど切迫してはいません。
しかし、この数ヶ月、
食欲が落ちる→体力が落ちる→入院して点滴→少し回復して退院→食欲が落ちる・・・
のサイクルを繰り返しており、会ってみると、だんだん弱ってきたなぁ、と感じます。
母のこともだけど、もし、親父が独りになったら。
年金はわずかだし、内科的には大きな問題はないものの、腰が悪いし、そのうち、年齢的に車の運転も難しくなってくるだろうし。
年老いた親の世話という問題が、ごく間近に迫って来たことを今さらながら感じます。
10年くらい前までは、少しも想像してなかったんですけどねぇ。
ものみの塔2014年3月15号では
「高齢の人たちを世話する」
という研究記事が掲載されました。
ポイントをいくつか抜き出してみると
家族全員が集まり,どんな助けが必要か,実際にどうするか,どのように皆で協力できるかを話し合うのは賢明なことです。
高齢の親の世話に関してどんな選択肢があるかを,当人を含め家族が事前に調べておくのは良いことです。
高齢者はいつまでも人に頼らずに生活したいと思うものです。しかし,必要が生じた場合にどんな世話を受けたいかを子どもに話しておくのは,非常に有益なことです。
多くの場合,実家の最も近くに住む子どもが,介護の大半を担っているようです。それでも,介護をする人は,親の必要だけではなく,自分の家族の必要も考えなければなりません。バランスが求められます。
心から愛する親が老齢ゆえに苦しむのを見るのは,辛いことです。介護する人は,悲しみ,不安,欲求不満,怒り,罪悪感を抱くことがあります。敵意さえ生じるかもしれません。親が辛辣なことを言う,あるいは全く感謝しない,ということもあるでしょう。それでも,すぐに腹を立ててはなりません。
うん! そうか!
すごーく役に立つぅ♪
だれもが頭では分かっている、当たり前のことしか書いていない。
いや、それが悪いとは言いませんよ。
いけないのは、余分なことを書くことだ。
エホバの証人が用いる継続的委任状の内容を,ぜひ話し合いに含めてください。
家族の問題に組織が介入すんな。
そして、決まり文句
だれにでも当てはまる正しい方法のようなものは,ありません。それでも,注意深い計画,家族の協力,良いコミュニケーション,そして心からの祈りによって,老齢の親を敬うという責任を果たせます。そのようにするなら,親に関心を払い,必要な世話を行なっているという自覚が持てるので,自尊心を抱けます。そして,平安な思いだけでなく,
エホバからの祝福を確信できます。何と素晴らしいことでしょう。
ずいぶん軽いな。
アホっぽい。いや、アホだ。
この一文だけで、介護に伴う苦労など、組織としては思いやってはいないことを露呈していますね。
もっとも、この研究記事が扱われたときは
「具体的な記事で、協会はご親切ねー」
みたいな反応が当然のように見られましたけどね。
親の介護を経験された方。
いま行なっておられる方。
負担の軽重はそれぞれ異なるにしても、
頭が下がります。
うちも、そのうち仲間入りするでしょう。
自信はないが、やれるだけやるしかないですね。