平和を祈って何が悪い | JW2世のおっさんだけど、青春はこれからだ

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エホバ? あぁ、出来損ないの偶像ですね。


「南蛮漬け」という料理がありますよね。食材としては、そろそろ小アジが登場する季節になりました。
親父が釣り好きだったこともあって、幼いころからよく食べてましたけど、おいしいですね~。つまみにして、お酒が飲みたいです(^^)


南蛮、という言葉のついでに連想したのが、南蛮文化、南蛮貿易、そして、それとともにやってきたキリスト教のことです。ちょっと無理やりな連想ですが。

長崎県の対岸、熊本県・天草地方にキリスト教が伝えられて450年になるそうで、それを記念し、宗教を超えた集いがあったとのニュースを見つけました。

ニュースによると、主催したのは天草のカトリック教会で、神父、住職、神主が対談。

神父は「仏教の方々にとって、キリスト教は今でも邪宗なのか」などと住職に問いかける一方禁教前には、キリシタンによる神社仏閣の破壊があった歴史にも言及し、「二度と繰り返されないように心から祈っている」と述べたそうです。

対談の内容については詳しく書いてありませんでしたが、「平和のための祈り」として、神父と住職がそれぞれの流儀で祈りを捧げ、神主は祈りに代えて、平和を祈る舞を披露、教会の信徒代表の「こういう人の輪、気持ちが広がっていったらありがたい」との言葉で記事が締めくくられていました。

この記事を読んでいて、塔協会発行「啓示の書-その壮大な最高潮は近い」の中で、1986年の「国際平和年」について言及されていたことを思い出しました。

以下、該当箇所を抜粋します。

1986年1月1日,法王ヨハネ・パウロ2世は国連の働きをたたえ,元日を平和のためにささげました。そして,10月27日,同法王は平和を求める祈りをささげるため,世界の多くの宗教の指導者たちをイタリアのアッシジに召集しました。

神は平和を求めるそのような祈りにお答えになりますか。では,それら宗教指導者たちはどの神に祈ったのでしょうか。もし彼らに尋ねるとしたら,それぞれのグループが違った答えを述べたことでしょう。多くの異なった仕方で行なわれる請願を聞いて,答えられる何百万もの神々のいる万神殿でもあるのでしょうか。

参加者の多くはキリスト教世界の三位一体の神を崇拝しました。 仏教徒,ヒンズー教徒,その他の人々は無数の神々に向かって祈りを唱えました。英国国教会のカンタベリー大主教,仏教のダライラマ,ロシア正教会の府主教,東京の神道神社協会の会長,アフリカの精霊崇拝者たち,および羽毛を付けた頭飾りで着飾った二人のアメリカ・インディアンなどの著名人で代表される,全部で12の“宗教上の家族”が集まりました。それは,少なくとも,見事なテレビ報道をするのには多彩なグループでした。あるグループは一度に12時間も休まずに祈り続けました。(ルカ 20:45‐47と比較してください。)

「エホバの名によって歩む」人たちとは対照的に,それらの宗教家はだれ一人,生ける神エホバに祈っていませんでした。(ミカ 4:5。イザヤ 42:8,12)
 彼らは集団としてはイエスの名によって神に近づきませんでしたし,その大多数はイエス・キリストをさえ信じていませんでした。(ヨハネ 14:13; 15:16)
彼らはだれ一人として現代に対する神のご意志を行なっていません。そのご意志とは,国連ではなく,来たるべき神の王国を人類のための真の希望として全世界でふれ告げることです


そして、僧侶が祈っている写真とともに

世界の諸宗教の代表者たちは国連の「平和年」を支持し,イタリアのアッシジで訳の分からない祈りをささげましたが,それらの代表者はだれ一人として生ける神エホバに祈りませんでした


というコメントも付け加えていました。


たしかに、国際平和年と祈りの集会を機に平和が促進されたわけではないし、宗教団体によっては、単なるパフォーマンスとして参加したのでしょう。

しかし、中には本当に心から平和を願い求めて祈った人もいるでしょうに、そんな気持ちを認めずにバッサリ斬り捨てるなんて、ね。

だれ一人として神のご意志を行なっていない? 

だれ一人として生ける神エホバに祈らなかった?

当たり前ですがな。皆さん、信じるものは違うんだから。

ニュースの中の、記念行事を発案した神父さん。動機は

「真摯に歴史を振り返るなかで新しい知恵を見いだせたら」

との思いだそうです。

真摯に歴史を振り返る。謙虚です。

平和の実現は非常に困難でしょうけど、まず、その気持ちがないことには何の進展もないですよ。ものみの塔協会さん、分かってますか? 分かるはずないか。

「神の王国の支配は近し!」などと煽り続け、その到来の予想を外しては釈明と修正を繰り返し、教義に関しては外向きと内向きで言葉を使い分けて欺き、雑誌には不誠実な引用を掲載し、数々の不祥事を組織ぐるみで隠蔽し、寄付の収集には熱心に取り組み・・・
ほかにも、いろいろありますが・・・

本当に平和を求める姿勢があれば、もう少しマシな活動を行なっているはずではないですか?


ともかく、平和を祈り求める人々について「生ける神エホバを云々」などと批判はできないですよね、みっともなくて。

わたしとしては、今後も聖書の原則は当てはめて、できる限り、さまざまな立場の方を理解し、尊重し、平和な関係を築くことに力を入れていきたい、と思っています。

まあ、それもなかなか難しいですけど、JW流の「奉仕活動」よりは、ず~っと現実的でしょ。