今週の集会のプログラム「エホバに勇気を求める」。
わたしが担当でしたので、相変わらず、指定された資料から逸脱した話を盛り込んできました。
ワークブックに記されている話の構成は、つぎのとおりです。
詩27:1-3 エホバが光であることを考えると勇気が出る
詩27:4 清い崇拝に対する認識と感謝はわたしたちを強くする
詩27:10 エホバは、人から見捨てられたご自分の僕をいつでも助けることができる。
参照資料は、ものみの塔2012年7月15日号。
このうち、最初と最後の要点では、一般の教会のサイトに載っていた詩編の解説を参考にして、表現を拝借した部分があります。教会さん、ありがとうございます。
真ん中の要点、ここでは言いたいことがありました。
「さて、勇気を出すために大切な要素もう一つみてみましょう。ダビデは何を願い求めたでしょうか。詩 27:4を読みます・・・(中略)
ダビデは、神の霊的な備えを、心に心地よく感じること、備えに感謝することに関心を抱きました。
なぜ、これが勇気と関係するのでしょうか。神を崇拝する方法には様々な面がありますが、どうしても欠かせないのは、聖書を読み、その意味と適用について深く考えることです。
クリスチャンであるなしに関わらず、世界中の多くの人が聖書を読んでいます。その中には、聖書の言葉から勇気を得た、という人もいるでしょう。
ではわたしたちは、クリスチャンと言うのであれば、聖書そのものと、もっと真剣に向き合うべきではないでしょうか。
手引書、さまざまな出版物、これは助けになる面もありますが、出版物の内容というのは、見解が変わることもよくあります。それに伴って、すでに使えない内容のものも少なくありません。
また、これは少し前に気付いたのですが、目ざめよの印刷版に掲載されていた、ある大学教授のコメントが、オンラインライブラリーのほうでは、そっと削除されていました。削除のアナウンスはありませんから、どうしてかな、と思いますよね。その他いろいろ、ちょっとどうか、と思う点に気付きます。
しかし、み言葉そのものは変わりません。人知を超えた知恵を知り、それにもとづく勇気を得るには、み言葉そのものに親しみ、よく考えることが第一です。
加えて、導きや感謝の祈りをささげること、家族や仲間たちのことを気遣ったり励ましたりすることもおろそかにしないようにしたいものです。
このような、だれでもできることでありながら、こうしたことから、勇気を得ることができます。クリスチャンであれば、これに異論はないでしょう・・・」
ものみの塔とワークブックには、どうしても「宣教」に結びつける適用が随所にねじ込んでありますから、それをすべて却下したうえで、上記のコメントを入れました。
大学教授のコメント削除の件は確か、ブログで知りました(どなたのブログだったか失念しました。情報ありがとうございました)。
ほんとうはもう一つ、以前に中野っちさんが指摘されていたものみの塔の研究記事にも触れたかったのですが、その日は妙にお客さんが多かったこともあり、つい自重してしまいました。これについては、改めて、会衆内で話題にしてみてもいいかな、と思います。
ということで、今回は「協会の出版物は使えないぞ」という注意喚起の話になりました。
幾人かの方から、よかった、という感想や、言いにくいことも言ってくれてありがとう、という言葉をいただきました。
その日、長老から注意はなし。後日あるかな? ないでしょうね。本当のことしか言っていないので、突っ込みようがないのだ。
今後はもっと鋭く切り込んでもいいですね。それで、不良シモベを降ろせ!という機運が高まれば、それに乗じて一気に脱塔かな。そんな狙いもあります。
すでに開き直ってるつもりですけど、もっと開き直ってやりましょう(^^)v