日本初のインドカレーは革命家の味! | スパイシー丸山「カレーなる365日」Powered by Ameba

日本初のインドカレーは革命家の味!

先日ブログアップした新宿中村屋ですが、

イギリス経由の

西洋料理としてのカレーライスしか知られていなかった時代に

1927年、日本で初めてインドカレーを提供したことは有名な話。

せっかくなので、

このお話しをブログでも取り上げてみたいと思います!!!!


いわゆる、小麦粉のトロミが特徴的な

洋食カレーライスしか知られていなかった1900年代初頭、

どうしてそんな時代にインドカレーを提供することが出来たのか??


実は、当時、日本に来ていた

イギリスからのインド独立を目指すインド人革命家、

ラース・ビハーリー・ボースを中村屋の裏の洋館(アトリエ)で

政府、警察からかくまっていた!!という状況があったからなんですね。



わかりやすく言うと、

かくまっている彼(ボース)からインドカレーの作り方を教えてもらい、

それを販売することになったので、

日本初のインドカレーを提供することが出来たのであります。


ですが、いろいろ疑問が出てきますよね。

そもそも、どうして政府や警察からかくまわなければいけない、

そんな状況になっていたのか????


はいっ、

当時、日本はイギリスと日英同盟という同盟を組んでいたので、

同盟国のイギリスに反旗をひるがえす

インド独立を目指す革命家は、日本にとってもアウトな存在。

ボースは日本政府から国外退去を命じられていたのでした。。。。


では、どうして、

あえて日本政府に背く、革命家をかくまう行為をしたのか??

実は、

当時の日本では、アジア開放運動の志士を守ろうという動きが

民間で高まっていたそうなんです!!!

そして、

アジアに侵攻する欧米列強から護るべく、

日本を盟主としたアジア諸民族を団結させる、大アジア主義を目指す

影響力の強い団体があり、

彼らがインドやフィリピンの独立を後押しする活動、

復興アジア運動を積極的に行っていたんですよね!!!!!


そして、ボースの国外退去命令の報を聞き、憤りを覚え、

この国外退去をなんとか防ぎたいと考えていたのであります!!!!

※インドやフィリピンの独立が目的ではなく、欧米列強のアジア侵略に抵抗するため、アジア諸民族が日本を盟主として団結すべきであるという考え方が大アジア主義です。


そして、中村屋創業者の相馬夫妻も

このボースの国外退去命令をニュースを知り、

志士、ボースの身の上を気の毒に思っていました。


で、ある日、

店に立ち寄った団体の関係者に相馬愛蔵氏は

「店の裏の洋館なら彼をかくまえるかもしれない」ともらします。

この一言が既述の団体に伝わり、

「よし!!ここならいける!!!」となり、

中村屋のアトリエでボースをかくまうこととなったんですね!!!!!


スパイシーさんも、

中村屋がボースをかくまっていたetc.の話は

かなり前から知っていましたが、

今回、いろいろ調べてようやくスッキリしたのが、この部分でした!!!

というのも、

どうして、インド独立を目指すインド人革命家が日本にいたのか???

どうして、日本だったのか???

という部分が曖昧だったんですよね。。。。。


スパイシーさんの推測としては、各国に革命家が散らばり、

要人と接触し、独立を後押しするようロビー活動をしていたのでは??

と、勘ぐっていたのですが、

どうやら、色んな国にインド人革命家が行っていたのではなく

日本が重要な国で、日本を目指していたようなんです!!!!!

※追記: インド人革命家たちはドイツやアメリカでも活動し、団体の支部などもありました。


で、

どうして日本を目指していたのか????

というと、

繰り返しになりますが、

日本では、民間ベースで、

アジア開放運動の志士を守ろうという動きが高まっていた。

また、インドやフィリピンの独立を後押しし、

日本を盟主としたアジア諸民族の団結を目指す、

とても影響力の強い団体が存在していたからで、

国から追われた後に向かう先として、

日本は選択肢として、強い存在だったのだと思われるのです。


いや、

そもそもあの時代、

 

日露戦争ではロシアに勝利!!!!

全ての面において、日本はアジアで圧倒的に強く


欧米列強に唯一対抗出来た

圧倒的な存在だったんですよね!!!!!!!!!!!

つまりは、

頼るのは日本しか選択肢がなかった、ということなんだと思います。



せっかくなので、もう少し細かく書いてみます。

中村屋のHPによるボースの紹介から引用すると、
http://www.nakamuraya.co.jp/pavilion/products/pro_001.html

「ボースは明治19(1886)年、インド ベンガル地方に生まれました。英国の植民地として圧政に苦しんでいた祖国を救おうと、16歳の時親元を離れ独立運動に身を投じます。しかし、インド総督への襲撃をきっかけに、英国政府から懸賞金をかけられ追われる身となり、大正4(1915)年、日本に亡命します。」

そして、日本に向かった理由はこう書かれています。
http://www.nakamuraya.co.jp/pavilion/founder/people/p_014.html

「身の危険が迫る中、ボースは武器を入手するため日本に渡ることを決意します。そんな時、アジアで初めてノーベル文学賞を受賞したベンガルの詩聖 ラビンドラナード・タゴールが日本行きを計画していることを知ります。そこで、来日の下準備をする親類だと偽って来日します。」


実は本当の目的は、日本で武器を入手するためだった!!!!

というのは驚きですね!!!!!

そして、その後、

どうやって中村屋のアトリエにかくまってもらうようになったのか?

詳細はこう書かれています。

「大正4(1915)年6月5日、神戸に上陸したボースは京都経由で8日には東京に着き、7月28日には中国の革命家孫文を箱根に訪ね、肝胆相照らします。武器をインドに送るためボースは上海に渡り、東京の同志から送られてきた多量の武器をインドに送ります。ところが、この船がイギリス官憲に見つかり、同時にボースの密入国がイギリスに発覚してしまい、追及されることになります。日本に戻ったボースに孫文は大アジア主義を唱えた「玄洋社」の頭山満を紹介します。当時の日本はイギリスと日英同盟を締結しており、イギリスのお尋ね者であるボースに国外退去命令が下ります。同年の11月28日のことでした。退去期限の12月2日を翌日に控えた12月1日の夜。官憲の尾行がついたボースは頭山邸から変装し、警官の目を欺き逃亡します。そして逃げ延びた先が中村屋でした。それから相馬夫妻は3カ月間半、命がけでボースを匿います。」



なるほど、なるほど!!

武器を調達しに日本に向かったってことですが、

そもそも、革命家に武器を渡すサポートをしてくれる環境が日本にあり、

上海に渡ったあと、

「東京の同志から送られてきた多量の武器をインドに送ります」

と書かれているように、

インド独立に向けた同志が存在するのがわかります。

さらに、中国の革命家、孫文までも日本の箱根にいた!!!!


という、状況から考えても、

政府の動きとは違う、大アジア主義を目指す民間の動きの高まりが

強く伝わってきますよね!!!!!!!!!




さて、ボースの続きです。

ボースはその後、

相馬愛蔵氏の愛娘、俊子さんと恋におち、

なんと!!なんと!!結婚することに!!!!!!



これにより相馬家とのつながりをさらに深めることになり、

さらには、

日英同盟解消前の1919年に

国外退去命令がなくなり、晴れて自由の身に!!!!!

翌年には日本に帰化、中村屋の役員も務めるようになるんですね。


全てがうまく行くと思われた、そんな矢先の1925年、

逃亡生活の心労がたたり、俊子さんが亡くなってしまいます。

26歳の若さでした。


悲しみくれるボースでしたが、

お世話になっている相馬家に恩返しをする時がやってきます。

そう!!

日本で初めてインド式のカレーを販売するという

日本カレー史の新たな一歩が始まるのであります!!!!!



中村屋はもともとはパン屋さん。

※日本で初めてクリームパンを発売、かりんとうの高級化にも成功したようです。

 

この頃、お店を構えていた新宿に百貨店が進出することになり、

中村屋は少なからず脅威を感じていました。


同時に、お客から「買い物の時一休みできる場所がほしい」

とのリクエストがあるのも知っていました。

そこで思い切って喫茶の開設を検討。

カレーライスはハイカラな洋食として人気が高かったのですが、

カレーはカレーでも、

他では絶対に食べられない、、

ボースの祖国インドの味を再現した


純印度カリーを目玉商品にした喫茶部を作ることになり、

昭和2(1927)年6月12日、

ついに、純印度式カリーが発売されることになったのであります!!!!



最初こそ、お客は戸惑ったものの、

徐々にスパイスの香りに慣れ、

そして、その香りに惹かれ、

次第に売り上げが伸びていくようになり、

値段が破格の80銭という超高級価格だったのにも関わらず

一日200食はオーダーが入るくらい飛ぶように売れた!!!!

というからビックリです!!!!!!!!!!

※当時、町の洋食屋のカレーですら高い食べ物で価格は10銭から12銭。その8倍の80銭というから、ものすごく高級な食べ物で、異国文化に興味津々な上流階級の方々が食べていたんだと思います。


こうして、純印度式カリーは中村屋の名物料理になり、

イギリス式、洋食カレーだけしか知らなかった日本人に

そのルーツである、

インドのカレーの美味しさを伝えるという、

大きな役割を果たしていくことになるのであります!!!!!!



さて、東京のインドカレーの老舗といえば、
 

東銀座のナイルレストランも有名ですが、

実は、初代A.M.ナイル氏も
ラース・ビハーリー・ボースと同様に
 

インド独立を目指す革命家だったというのは、これまたよく知られた話。

 



中村屋の純印度式カリー発売の翌年の1928年に

京都帝国大学工学部に留学したのが来日のきっかけだったのですが

 

 

A.M.ナイル氏もまた、

日本にアジア開放運動の志士を守ろうという動きがあった、

というベースがあったからこそ、

日本にやってきたんでしょうね!!!!!

 

 


 
ナイルレストランのHPによると、こう書かれています。
http://www.ginza-nair.co.jp/history.html

「A.M.ナイルはインド南部ケララ州のトリヴァンドラムに生まれた。高校在学中からインド独立運動に参加して、イギリス当局から目をつけられていたために、兄が留学したことのある日本に留学することになった。」


お兄さんがすでに日本に留学されていたということからも、

やはり、日本は向かうべき国だった!!というのがわかりますね。

その後の詳細はこのように書かれています。

「1928年に京都帝国大学の工学部に入学したナイルは2つの大きな出会いにめぐりあう。1つ目の出会いは大学に配属されていた将校を通じて、日本陸軍と接触したことである。2つ目の出会いは日本に亡命していたラシュ・ビハリ・ボースである。ビハリ・ボースとの出会いが、頭山満や大川周明らの大アジア主義者との出会いに発展していく。ナイルは1933年の夏に国賓待遇で満州国を訪問した。満州国でナイルはインド独立運動を続けつつ、変装してモンゴル奥地の調査旅行や、満州在住のロシア人社会の情報を収集するなど、スパイ映画さながらの活動をした。これらの活動は、板垣征四朗や梅津美治郎や田中隆吉など、戦後東京裁判に登場するような日本陸軍上層部や中堅幕僚の理解・協力を得て行われた。」



インド独立運動を続けながら、

スパイさながらの活動をされていたとは!!!!

とても興味深い貴重なお話しですね!!!!!!!



それにしても、

日本のインドカレー普及を語るうえで欠かせない、

中村屋、ナイルレストランの両店が

ともに革命家としてのルーツを持っていることは!!!!!!


志士の熱い魂が宿ったカレーだからこそ、

長い時を経ても決して色あせることなく、

人々を魅了し続けているのかもしれませんね!!!!!!!!!



いやー、

いろいろ調べながら、

今回はスパイシーさんも、とっても勉強になりました。

本当は昨日アップしたかったのですが、

ちゃんと事実を調べて、咀嚼して、

わかりやすく書こうと思ったら、時間がかかってしまいました。


よし、

疲れた脳みそをシャキッとさせるべく、

これからカレーを食べたいと思いまーーす(笑)


スパイシ~~♪♪♪



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