エジプト 独裁政権崩壊
インターネットから始まったエジプトの革命運動。
ついに
独裁政権崩壊。
Facebookやツイッターを立ち上げた人たちは、
市民革命の原動力になるとは、これっぽっちも思っていなかっただろう。
インターネットには負の側面もたくさんあるけど、
時代を変える強大な力を持つことが、これで証明されたことになるなぁ。
しかし、革命だけでは平和は訪れない。
新政権誕生とともに、色々な声が再びネット上にあふれると思うけど、
それらの声が新政権にしっかりと反映されなければ、
インターネットは新時代を切り開けないだろう。
革命ツールだけで終わって欲しくない。
エジプトの今後に期待したい。
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ネット世代パワー 主役は若者
(MSN 産経ニュース 2011.2.12 19:50)
【カイロ=黒沢潤】ムバラク大統領を模した人形の首を胴体部分から引きちぎり、独裁体制の終焉(しゆうえん)を喜ぶ男たち。狂喜のあまり腰をくねらせて、アラブ・ダンスを踊る女たち-。11日、大統領の辞任が決まると、数十万の民衆で埋め尽くされたカイロのタハリール広場は一気に“興奮のるつぼ”と化した。
チュニジアに続き、エジプトでも起きた“革命”の主役は紛れもなく、人口8千万人の約3分の2を占める30歳以下の若者だった。若者たちが見せた体制への反抗は、21世紀になお君臨する他の中東独裁国家の首脳たちにも「変革のメッセージ」を突きつけた。
1月25日、騒乱が勃発(ぼっぱつ)すると、ムバラク政権は警察部隊を投入し徹底弾圧に乗り出した。だが若者らはたじろがず、ゴム弾、時には実弾まで込められたと指摘される銃口が自分たちに向けば向くほど、抵抗の意思を強めていった。
「右手に石、左手に携帯電話」。騒乱発生後、交流サイト「フェースブック」に書き込まれたメッセージがこれだ。中流階級で教育を受けた若者たちは、フェースブックや短文投稿サイト「ツイッター」、携帯電話などを使って政権に粘り強く抵抗。ネットの破壊力はすさまじく、28日のデモの大量動員につながった。
「イスラム原理主義勢力も、自由主義者勢力もできなかったことを“フェースブック党”がやった」。欧州メディアはネット主導のデモをこう評した。一方、これに脅威を抱いた政権側は、ネットや携帯電話を遮断する強硬手段に出る。若者らを「孤立化」させる戦略だったが、デモ参加者は逆に膨れ上がった。
政府はなおも強硬手段に出た。カイロ上空にF16戦闘機を飛ばして「ジェットの轟音(ごうおん)」でデモ参加者を威圧。2日、ラクダや馬に乗った一団まで乱入した反ムバラク派と親ムバラク派の衝突現場には、私服警官を多数潜入させるなどして徹底的な排除を試みた。
国際人権団体は、18日間続いた騒乱の死者は少なくとも297人と発表。エジプト保健省は重軽傷者数が約1500人と発表した。
ムバラク大統領は事実上、「四面楚歌(そか)」の状況に追い込まれながら、なお任期満了での「名誉ある退陣」に固執し、窮地に陥っていった。学生のゴマ・セディークさん(21)は、情勢を読めないムバラク氏と側近らを「『裸の王様』と、ミイラのように何も言わず付き従う閣僚たち」と揶揄(やゆ)した。
「強権政治は実に30年続いた。ムバラク政権は私の誕生前に生まれたが、普通なら大統領が5人誕生してもおかしくない異常な時代だった」。ホテル業のアブドル・エルワハブさん(24)さんはこう吐き捨てた。
今回のエジプトやチュニジアの政変について、1980年代後半に旧ソ連・共産主義体制を打倒した「東欧革命」と比較する専門家は少なくない。エルバラダイ国際原子力機関(IAEA)前事務局長は“アラブの春”と名付けている。