今日は、「日本看護歴史学会」第36回 学術集会👥の、
シンポジウム「東大看護の多様性」の、4人の論者の一人として参加🙋♂️
東大1年時からの、障がい者の自立生活の介助ボランティア👨🦼を契機に、
人に触れる仕事がしたいと、全く未知の「看護学科」を選択し、
看護師17年間👨⚕️を経て、議員になった経緯などを発表🗣️
正確に述べると、私の時の学科名は「健康科学・看護学科」であり、
保健学科から名称変更したのが平成4年度で、
私の進学(3年時)が平成7年度でしたから、まだ変更後の日が浅く、
先生方や先輩方も様々手探りで、
進学ガイダンスや卒業後の進路指導をされていた印象です
なお、現在の「健康総合科学科」も同様ですが、
3年時当初は、看護師になれる「看護コース」と、
それ以外の「健康科学コース」には分かれておらず、
共通の授業を聴講することができ、
当該学年の途中から、選択するシステムだったと思います。
かつての学び舎「医学部3号館」
安田講堂などに象徴される、キャンパス内の多くの「ゴシック調」建物とは、
残念ながら、見劣りする建物で~。
医学部3号館にアクセスする「春日門」は、2007年に改築されて、
見通しのよい、すっきりした門になっていますが、
以前の門は、鉄の板できた、収容所の通用門のような作りでした
「赤門」などと比べてはいけないのでしょうが。
学術集会の大会長であられる、矢野正子先生らと記念撮影しましたが📸、
矢野先生には卒論指導から、ずっとお世話になっています🙇♂️
向かって左は、私が学部、大学院時代に、内モンゴル自治区から留学され、
現在は、富山県立大学で老年看護学の教授になられた、張平平先生
張先生とも、本当に何十年かぶりの再開に
今回のお話も矢野先生から直々にいただいたのですが、
少なくとも学問としての「看護学」📚とは、
大学院修士課程修了後から全くかかわってこなかったので、
今年の頭に、本件を引き受けた後に、とても心配になっていましtが、
終わって本当にホッとしました😅
東大は、1,2年生の教養課程を経てから、
専門教育を選択できる「進学振り分け」システムを、長年採用👇
結果的に、私も教養課程時での、障がい者の方々との出会いが、
大きく人生の転機となっていて、
同大学の自由な気風とともに、多様性の要因となっていると思っています
私のころには、優先的に進学選択ができる「指定課類」である理科2類は、
一方で、私の学生当時に存在して、現在は無くなってしまった制度に、
看護系短期大学卒業生を、3年時に受け入れる「編入学制度」があり、
多くの編入生の方々は、臨床等の経験をもって学び直しに来られていたので、
3年時に「看護コース」選択する際や、看護実習前には、色々教えていただき、
助かりました~
残念ながら、その歴史的役割を十分に果たしたことにより、
平成17年度入学生をもって募集を終了しています
確かに、看護大学も増え、学術的な役割は終えたのかもしれませんが
「多様性」の観点からも、残してもらいたい制度ではありました
また、「健康科学・看護学科」という名称を採用したことで、
文科から進学してくる生徒が、明らかに増えた学年で、
医学部の学務担当に確認してもらったところ、平成8年度の出身課類は、
理科一類 22%
理科二類 64%
文科三類 14%
とのことでした。
その後、さらに「健康総合科学科」との名称変更により、
学科のHPによれば、現在は、約5割が文科からの進学とまでなっており、
しかも「看護コース」(看護化学専修選択者)にしぼっても、
2022年度進学者の出身科類の割合は、
理科二類 60%
文科一類 20%
文科三類 20%
と、さらに文科色が強まっていることが、明らかに
こうしたことが、東大看護の多様性の要因になっているのではないか、
との考察を、シンポジウムでは述べさせていただきましたが、
ともかく、今後も引き続き、現場の看護師の方々の支援になる取組を
タイムリーに実施してまいります