2024北陸応援シリーズ、第2シーズンの2回目です^
前作の高岡から、富山市へバックしてきました。今作は、ここ富山市を中心に展開する私鉄・富山地鉄に全線乗り、併せて富山市内も少し歩きます。早速スタートします
早朝のJR富山駅、この駅から出ているのが・
☆JR西・北陸新幹線
☆あいの風とやま鉄道(※以下、あい鉄と略 旧北陸線)
☆JR西・高山線(※猪谷以南はJR東海)
☆富山地鉄の軌道線(※路電 ラストで乗ります)
ですが・
もう一つ、富山にとって重要な私鉄が、JR駅の隣から出ています↓
駅東側の細長いビル・エスタの1Fに駅があるのが、
富山地方鉄道(※以下、地鉄と略)です
地鉄の駅は『電鉄富山駅』、JR駅から乗換は約10分位時間が必要と思います
富山市近郊を網羅し、さらに立山黒部アルペンルートや宇奈月温泉へのアクセスも担うという、富山の顔と呼んでもいい私鉄ですが、これからたっぷり見ていきます^
駅ビル入口には地鉄総合案内所があり、しっかりした表示もあるんですが、2024現在、少しわかりにくい状態となっています。
というのは・
北陸新幹線開業に伴い、あい鉄(※旧北陸線)や地鉄も高架化される事になり、あい鉄側は完成しましたが、地鉄は今も工事中で仮駅となっています(※2028年頃完成予定との事)
という事で、改札付近は少々手狭
ホーム・駅配線も仮で、2面2線ですが・
1つのホームに2列車を縦列に停める方式をとっています。
そこに停まっていた電車は~
京阪電車で特急用に使われていた名車が、ここ富山で第2の活躍をしています。そういえば京阪淀屋橋駅も1ホームで2列車を縦列発着させており、意外な共通点(?)
これから半日かけて全線乗っていきますが、その前に、地鉄の概要をおさえておきます
富山地鉄は、↑富山市東郊の諸都市を結び、終点・立山/宇奈月温泉の両駅では観光アクセスの役割も持つ、富山に無くてはならない私鉄です
上の路線図の通り、宇奈月温泉への本線と、立山線の2線がメインで、支線格の不二越上滝線とあわせて3路線で運行しています(※市内路電は別途)
3線とも、運行系統は電鉄富山駅から発着です。路線総延長は100kmを越え(※路電含む)、実は全国有数規模の私鉄がここ、富山にあります
路電(※市内軌道線)については、鉄道線全線乗車の後にみていきます
なお、この『富山地方鉄道』という独特の社名ですが、この社名には、同社設立の際の壮大な理想が関係し、その魂は現在の富山にも活きています(※同社沿革等は、後々書いていきます)
地鉄の電車は自社製造のほか、京阪や西武、東急等のお古も導入していて、"次は何が来るのか?"という楽しみもあります。
僕がこれから乗るのは、不二越上滝線の岩峅寺行です。
入ってきたのは・
お~
2022年に西武から譲り受けた"新レッドアロー号"が!
地鉄では"キャニオンエキスプレス"という愛称が付けられています。
西武車の前に、↑先発の立山行が東急車で入ってきました。車内撮ってませんが登山客で満席に
一方、岩峅寺行はガラガラ。朝の通勤方向と逆というのもありますが、この豪華車両に普通運賃のみで乗せてもらうのは申し訳ない気も・^
一部↑ロングシートに改造
朝陽を浴びて、早朝の電鉄富山駅を発車しました
↑北陸新幹線の高架が離れてゆきます。国鉄の頃は北陸線と線路が繋がっていましたが(※地鉄も狭軌)、新幹線工事に伴い分離され、かつて行っていた乗入は出来なくなっています。
1つ隣の稲荷町駅で、本線から分れて不二越上滝線へ
稲荷町には車庫があり、車窓からバラエティ豊かな地鉄の車両が見えます
途中、南富山駅で軌道線の終点と接続
南富山駅には地鉄の研修所や路電の車庫もあり、地鉄と路電の線路がここで繋がっています(※軌道線も狭軌、但し乗入便は無)
次第に田園風景へ
富山県の光景、↑一軒家の周囲を樹木で囲んだ"屋敷林"がある家が車窓から見えます
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電鉄富山から約35分、終点・岩峅寺(いわくらじ)駅に到着。
同駅で立山線に接続します
岩峅寺で、立山行の↑東急車に乗換えます^
立山線の電車は全て本線の寺田駅経由で運転され、"不二越経由の立山行"はありません。
次は、立山線の終点を目指します
朝一に富山駅で見た立山行もでしたが、この便もアルペンルートへの乗客でほぼ満席。本線や不二越上滝線は、通勤通学で朝は富山駅向きに混み合う傾向ですが、立山線は逆に、朝の立山行が混む特徴があります
後尾の運転台(※ワンマンなので無人)から、沿線を撮っていきます
渓谷を渡ったり、トンネルに入る場面も。標高が上っていくのが乗っていてわかります
全国の私鉄で引っ張りだこの東急中古車ですが、立山の麓でも元気に走っています
終点・立山駅へ到着。東急8500がこんなに登坂能力があるとは、各地の私鉄で重宝がるはずです^
駅舎は2階建で、1Fは地鉄ホーム、2Fに立山ケーブルの駅があります
2Fのほうが広々していて、多くの登山客/アルペンルート縦走客が次のケーブルカーを待っています
駅舎も山小屋風。この駅、過去ツーリング作で一度登場しています。2015年upの"飛騨ツーリング"で、落差日本一の滝・称名滝を訪ねた時、Wo号で寄りました(※末尾にリンク)
称名滝へは、駅前からバスでも行けます
立山ケーブル、↑駅前からチラッとだけ見えます
アルペンルート僕まだ未踏破ですが、もう少し先の楽しみにとっておいて、今作は地鉄に集中します^
復路の便が入ってきました。
今度の電車は、↑地鉄が自社発注した14760形です。地鉄初の冷房車だったそうです^
2段窓にバッタンコ式シート、これ僕思ったんですが、国鉄が関西の新快速用にデビューさせた117系と共通したものを感じます(※製造年も1980年前後と同時期)
再び渓谷を渡り、"富山の117系"で麓へ下っていきます
復路は岩峅寺を通り過ぎ、本線との分岐駅・寺田駅まで乗ります。
↑北陸道の下をくぐり、しばらく走ると・
宇奈月温泉への、本線が近づいてきます
本線との接続駅・寺田駅に到着。
ここで宇奈月温泉方面に乗換えます
寺田駅、ホームのすぐ富山方で本線と立山線がY字型に合流します
こういう分岐駅、過去作で訪ねた四日市あすなろう鉄道の日永駅や、JR鶴見線の浅野駅と同様の配線です
地鉄の駅をみていて面白いのは、たまにリニューアルしている駅もある一方、大半の駅は昭和感満点で^、大げさに言えばタイムスリップしたような雰囲気です。JRのローカル線では決して出せない味わい
同駅からも立山連峰が望めます
次に乗る、↑宇奈月方面への電車が入ってきました。今度は京阪車です^
"テレビカー"として一世を風靡した元京阪特急、今は越中の地で第2の勤めを頑張っています^
↑ドア横の補助席は現在使われていません
この電車は、途中の上市駅止めです。ここで宇奈月温泉行に乗換えます。電鉄富山からの本線便は、約半数がここ上市までの区間運転です。旅客需要の点が第一の理由ですが、もう一つ、同駅の構造上の理由も。それは・
この上市駅で、本線は一旦終端になっていて、富山~宇奈月の直通車は同駅で折返す形で、ここで方向を逆に変えて運転します。
過去作で訪ねた西武飯能駅や、一畑電車の一畑口駅と同じような配線です。意外とこういう形の路線が全国に散在します
↑上市駅には観光案内所も。同駅は中新川郡上市町、富山市から12~3km程東郊に位置します。古くから立山連峰(※特に剱山)への入口として栄え、今もトレッキングでの街おこしをしています
上市駅は↑JAの中に入っています
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宇奈月温泉行が来ました。再び東急車です
再び富山駅方面に走り出した後、北方向へ分岐し、日本海のほうへ
上市を出ると、富山県東部の3市、滑川市/魚津市/黒部市へ入っていきます。
少し閑話休題ですが、上市~滑川周辺には"加積"が付く駅が4駅あります(※中加積/西加積/浜加積/早月加積)
上記4駅とも、現在の住所は"加積"ではなく、しかも4駅を2駅づつ分けるように、その間に"滑川"が付く駅が3駅挟まっています。なんか気になって後日調べると、ここ滑川周辺の古くからの地域名が"加積"というそうです
滑川市に入ると、↑あい鉄と並行します
滑川市の主要駅・中滑川駅、残念ながら途中下車出来てませんが、立派な駅ビルがあるようです
続いて魚津市へ、↑電鉄魚津駅付近は高架線
新魚津駅は、あい鉄魚津駅と同じ場所。この"県東部3市"から富山市への通勤客は、速くて地鉄よりは安いあい鉄を使います。
ただでさえ人口減少で厳しいのに、さらに並行区間まである地鉄。厳しい現状ですが、地鉄はあくまで宇奈月/立山への観光需要と、途中小駅でまめに乗客を乗せていくのが存在意義という事でしょう
立山連峰から流れるいくつもの川を渡り、元東急車は黒部市へ入ります
この元東急8500、4扉のうち2つは閉鎖され、↑沿線の広告等が入れられています
地鉄は原則ワンマン運転なので、無人駅乗降は後乗り/前降りという全国でおなじみの方式で、ドア4つもいらないという事です
朝の立山線もでしたが、富山駅~宇奈月間で約1時間半かかる観光路線で通勤型ロングシートというのは少々しんどいような気もします。クロスシートの西武車や京阪車に比べ、これが来ると乗客的にはいささか"外れ感"も否めない元東急車、せめてセミクロスに改装するとかの策も必要かな?とも思いますが・
そんな東急車内でいろんな事を考えるうち、↑電鉄黒部駅に到着(※復路で途中下車します)
地鉄は再びあい鉄とクロスし、宇奈月方面・内陸へ入っていきます
北陸新幹線の下をくぐると~
新黒部駅に到着。2015年の新幹線金沢開通に合わせ、新幹線接続のため新設した駅です。
駅ホームの横は、新幹線駅の駅前広場
新黒部駅を出ると沿線は再度ローカルムードに。宇奈月温泉が近づきます
立山線同様、終点が近くなると山間部へ、トンネルも現れます
そして・
車窓に温泉街が見えてきました
本線終点・宇奈月温泉駅に到着
駅ホームからは・
"トロッコ列車"で有名な、黒部峡谷鉄道が見えます
2024.5現在、能登地震の影響で一部区間が不通になっており、アルペンルートと同じく、乗るのはもう少し先の楽しみにしておきます。
折待ち時間の間、温泉街を少し歩いてみます
駅前の噴水も↑温泉です(※かなり熱い)
全国的にも知名度が高い宇奈月温泉ですが、これもひとえに"地鉄の力"が一助になっていると思います
足湯があったので休憩していきます
駅前の温泉噴水もかなりの熱さでしたが、この足湯も激熱で、足を入れてすぐ足先が真っ赤になる程でした
宇奈月の源泉は最高98℃、日本有数の超高温だそうです
駅に戻ってきました。ちなみにこの日、地鉄の一日券を使って乗ったんですが、宇奈月~電鉄富山間は片道1880円、一日券は2600円(2024)なので、宇奈月往復だけでも元がとれ、かなりお得です
宇奈月温泉駅で、同駅開業100周年記念の写真展をやっていました。これを使って地鉄の歴史を簡単に纏めておきます。
地鉄で最初に開通したのは1913(大正2)年、滑川~五百石駅(※立山線)間でした。地域ごとに立山軽便鉄道、黒部鉄道等数社が設立・開業しました。一部は"富山県営"で開業した区間もあり、ラストに乗る市内路電は"富山市営"でした。
各線は次第に"富山電気鉄道"へと統合されていき、最終的には1943(昭和18)年、戦時統合により『富山地方鉄道』が発足しました。しかし、他地域のような"単なる国策統合"ではなく、創業者・佐伯宗義が元来抱いていた考え、『富山県内の鉄軌道は各社バラバラにやっていてはダメだ、県全体で一体的に運営してこそ全県が発展する』という理想が、図らずも実現した形でした
そのため、他地域では戦後になるや、"待ってました"とばかりに再分離されましたが、富山では引続き『地鉄』として、旧市営だった市内軌道(路電)も含めて経営され、現在に至ります。
他社に例をみない"地方鉄道"という社名は、実はこんな創立の理想を秘めています
かつては国鉄特急『雷鳥』が宇奈月温泉駅まで乗入し、ここから大阪駅まで乗換無しで行けました。現在ではありえないような便利さでした
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次に乗る↑は『特急』の電鉄黒部行です。日3本だけですが宇奈月~電鉄黒部間に、途中新黒部駅のみに停車する特急があり、新幹線接続を意識した列車です。
終着・電鉄黒部駅到着。3線ありますが激狭のホーム(うっかりしてると落ちそう)、なんか車庫の事業用線(?)に着いたような感じも
駅前は広々、しかし黒部市の玄関はあい鉄の黒部駅が担っているためか閑散としています
電鉄富山へ戻ります。又々14760です。結局この日乗った7便の車種は、西武車1回/東急車2回/京阪車1回/自前車(14760形)3回という結果でした^
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電鉄富山駅到着、早朝から半日余かけ、地鉄全線走破を果たしました
この時点で午後3時頃、遅めの昼食にします
駅近くのラーメン屋さんで・
富山名物・ブラックラーメンを頂きます^
↑色の通り、ガツンと濃厚な味わいでした
元々は、終戦後の復興作業に携わる人々(※富山市も空襲で大きな被害をうけた)へ、塩分補給&手軽に満腹感を得てもらうため生まれたと言われています。
日没までもう少しあるので、残り時間で市内軌道(路電)に乗ってみます
路電の電停は、JR富山駅高架化完成に合わせ、同駅の高架下に移転しました↓
新幹線改札からコンコース挟んですぐ向かい、非常に便利なつくりです
ここで、市内軌道の路線図もおさえておきます↓
↑富山駅を中心に、主に4つの系統があります。
そのうち岩瀬浜への路線は、2006年に旧国鉄路線を改造し、日本初のLRTとして開業した旧富山ライトレールの線です。
(※過去作で乗りました。末尾にリンク)
2020年、高架下の新電停完成と共に、元からの市内線と直通運転を始め、会社も富山地鉄と合併しました
駅近くの、富山城跡まで乗ってみます^
なお、↑路線図の"3系統環状線"、昭和の高度成長期に数路線を廃止した際に路線が途切れ、一旦環状運転は出来なくなっていました。それを2009年に再度延伸して繋げ、環状線が復活したという快挙を遂げたものです
しかし、県都とはいえ人口約40万の富山市で、なぜこんな充実した路電網があるのか?ですが・
富山市は、人口減少や市街中心部衰退といった"地方都市あるある"の打開策を『鉄軌道を活用したコンパクトシティ化』に求めました。それを推進したのが、2002-21年に市長を務めた森市長です。
彼は"鉄軌道が持つ安定性は都市機能に欠かせない"という信念の下、前出の国鉄富山港線のLRT化や、地鉄市内軌道の延伸等の施策を行うのと並行して、中心部に住居を購入/賃貸する市民へ補助を実施。衰退しかかっていた路電は息を吹き返し、中心部の人口は増加に転じました
この富山の成功の下地にあるのは、宇奈月温泉駅で前述した、地鉄創立の理念、"富山県下の鉄道一体化"に僕はその源流をみました。富山がラッキーだったのは、優れた考えを実践した2人のリーダーを得た事でしょう
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新旧様々な路電が発着する富山駅電停。駅で時間があるなら是非見ておきたい光景です
丸の内電停で降ります。
ここに・
富山城址公園があります
天守は元々無かったとの事ですが、1954年に↑"模擬天守"が造られ、同城のシンボルとなっています
所々に、能登地震で損傷した状況が見受けられました。
城内へ入ってみると・
本丸御殿があったと思われる所は広場に。越中前田氏の居城であった富山城、存城時は現在の倍以上の面積があり、京都・聚楽第を模して設計されたという錚々たる城だったそうです。3棟程あったという櫓や本丸御殿は、明治廃城令やその後の火災で全て失われており、史料もあまり残されてないとの事
富山城跡近くに、富山きっての商店街、
『総曲輪通り』があります
この"総曲輪"(そうがわ)という独特の名は、江戸期はこの辺りまでが富山城内で、城郭を表す"曲輪(くるわ)"の言葉からきています
新たに出来たビルの公開空地との接続等、活性化の工夫も歩いていてみられましたが、残念ながら人通りは少なめ
総曲輪通り東側の電停から、路電で富山駅へ戻ります
鉄軌道を活かしたコンパクトシティ構想が成功を収めつつある富山、全国の都市へのモデルとなるよう、一層の発展を祈ります^
前出の地鉄創立者が抱いた、"鉄軌道で一県一体発展"の理想へ、一世紀経った今も努力続ける富山市/県、今後も目が離せません^
今作ここまでです!
次作で今シーズン最終回です。富山をあとに、"レアルート"での能登入りをしてみたいと思います。どこを通ってどこまで行けたのか?お楽しみに^
☆関連作リンク
vol.203 飛騨ツーリング(後編)神岡の後は・ 飛騨といえばこの“村”&落差日本一の”滝” | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)
(※↑称名滝)
vol.57 JR線が路面電車にリニューアル 富山ライトレール (岩瀬浜プチ街ブラ付) | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)
(※富山ライトレール 現・地鉄富山港線)