vol.422 「た」現る・第36の巻 狸と「た」が化かし合いw 千葉・木更津へ(久留里線走破) | 旅ブログ Wo’s別荘

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 ご無沙汰しておりました、「た」ですw叫び

猛暑とコロナ禍再燃の2022・夏でしたが、この男は相変わらず元気ですブタネコ

(☆初めてご覧のかたへ 当別荘異色シリーズ、「た」なる謎のオジサンが出演(?)し、少々おかしなw街ブラを展開する企画です)

現れました!

千葉県中部の要衝・JR木更津駅です電車

 

今作ではこの駅を基点に、『木更津といえばアノお寺』を訪ねるほか、プチ街ブラと、あと「た」から乗りたいとリクエストがあったJR久留里線にも乗ってみたいと思います。ではスタート^ペンギン

同駅は線路を挟んで東口/西口がありますが、↑は海(東京湾)に面した西口ですベル

案内図のあちこちに↑『タヌキ』がw

同市のゆるキャラ、きさポンですクマ

 

木更津といえば、有名な證誠寺の”狸囃子”ですね、駅からすぐなので、これから早速行きます馬

駅前通りのお店にも、あちこちに狸がw

駅前付近で見つけた↑”みまち通り”へかたつむり

ここから証城寺まですぐ、との事ですが・・

まず見えてきたのは、お寺でなく↑神社あせる

八剱(やつるぎ)八幡神社です。

本殿(↑右側)よりも、近年建てたとみられる参集殿(※社務所・授与所等)のほうが数倍大きい^^

先月upした大阪・堺の妙国寺につづき、ここにも『伝説のソテツ』が・

↑のソテツ、源頼朝お手植えの蘇鉄との事で、現地看板によれば、この蘇鉄は頼朝が直接同社へ贈ったものではなく、お隣・現君津市の山中にあり、往来する人馬が休憩場所としていた森家に、自身も兵馬を休憩させていた頼朝がお礼に贈った樹だそうですクローバー

1926(大正15)年に、当地の銀行頭取が森家から譲渡をうけ、同社へ奉納したとの事です。

蘇鉄の奥には、↑”関東一大神輿”の案内板。行ってみると~

コンクリ造の大きな神輿庫が建ってました。

パイプシャッターとガラス戸で二重に閉じられ、撮影は出来ない状況でしたが、内部には巨大な御神輿がありました。

↑庫前の看板によると、毎年7月には盛大に例祭が挙行され、重量1.5tもある神輿が街を渡御します。関東で一番大きな神輿との事です星

同社HPによると、源頼朝が鎌倉幕府開府の際、神領を寄進して社殿を造営させたのが開創と伝わります(※蘇鉄が森家から同社へ移されたのはこの由来による)

後には家康からの崇敬もうけ、木更津総鎮守として親しまれています。↑現社殿は1773(安永2)年の建立で、以降3回の大修理を経ているとの事レンチ

 

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八剱神社からすぐ、證誠寺の入口が見えてきました目

知名度抜群のお寺ですが、小じんまりとした印象です^

證誠寺は、真宗本願寺派の寺院です。ちなみに浄土真宗のお寺は、御朱印をしないところが多いという事です(※御朱印好きな、「た」談)^

繰り返しですが、ホント超有名なお寺のわりには、境内もそんな広くなく、控えめな佇まいです。

しかし~

タヌキについての解説板は、ちゃんと完備^^キラキラ

由来については↑の通りで、全国的に有名なので僕がここで書き足すことでもないですねwクマ

童謡碑や狸塚等、境内のあちこちにタヌキ関係の石碑がみられます。

童謡『證誠寺の狸囃子』は、上記の故事にちなんで野口雨情が作詞、中山晋平作曲というゴールデンコンビでつくられて大ヒットし、現在も歌われているのはご存じの通りですカラオケ

↑境内奥にある本堂です。

本堂横の寺務所入口で、↑不審な動きをしている「た」(笑)

”ご朱印は無い”と言ってるのに・・w叫び

浄土真宗のお寺という事で、↑親鸞像もあります^

♪しょ、しょ、しょじょ寺の庭でございました^^あじさい

 

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證誠寺からさらに西へ歩くと、木更津港です。いつもツーリング作で通っている木更津ですが、街ブラするのは今回初めてで、駅~證誠寺~港(海)が想像以上の近さでしたひらめき電球

港へ歩いていく↑「た」ブタネコ

港にも↑タヌキが・wクマ

漁船やプレジャーボート、貨物船まで混然となって停泊している木更津港です船

海産物のお土産店を見つけましたプレゼント

店内には生簀もあり、漁港の雰囲気を味わえる店でした^

古来より港を中心に栄えてきた木更津、↑は『木更津船』と呼ばれた東京湾の廻船。江戸と木更津の間を、幕府の御用米等も運んで運航していたとの事で、幕府から運航に際して数々の特権を付与されていたといいます船

この後一旦、駅へ戻るんですが、駅前通りのアーケードは↑の通りボロボロな感じ・あせる

↑アーケードを見上げると、蛍光灯は抜けて、錆びるに任せた柱や梁は危険な雰囲気さえ・・

東京から快速列車で一本の通勤圏、アクアライン開通で千葉中部の要衝なはずの木更津駅前でさえこの状態、地方の疲弊や駅前空洞化をここでも感じました汗

一旦駅前に戻りましたリサイクル

駅2Fのコンコースから見た↑西口(※港方面)です黄色い花

反対側の東口↑(※内陸方面)へ出ましたカエル

東口から歩いて20分程のところに市立博物館があるという事で、行ってみたんですが・

残念ながら、月曜だったので休館日!叫び

実はこの日、お盆の真ん中・8/15で、”お盆”や”終戦記念日”という事ばかり2人とも気をとられて、月曜という事をてっきり忘れてました。↑はがっかりしている「た」(笑)あせる

 

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昼食をとり、なんだかんだしているうち、久留里線の発車時刻がきました。改札へ走る人

久留里線、ここ木更津駅を起点とし、上総亀山駅まで約30kmを走るローカル線です。関東では数少ない非電化盲腸線です電車

・実は久留里線、当別荘で10年前に一度取り上げてます。2012年upの作で、当時同線に残っていた国鉄型DCに乗るため訪れました。

(※末尾にリンク貼っておきます^)

上総亀山行が入ってきました!

現在の同線は↑軽快なJR東が新製したDCが走ってます電車

↑「た」は初久留里線だそうですクラッカー

木更津駅を発車すると、一旦北方向(※東京方面)へ走り、その後東へ、内房線から分岐します右上矢印

木更津~上総亀山間、途中に13駅ありますが、終点の3駅前に、線名になっている久留里駅があります。そこまでは毎時1本位あるんですが、久留里から先、上総亀山終点まで行く便は日5本しかありません。終点まで行きたい場合は、事前に時刻表チェック必須ですあせる

内房線から分かれるとすぐ市街地は途切れ、田園風景になってきますカエル

途中駅で離合可能なのは、久留里駅と、準主要駅格の横田駅の2駅のみです。

↑枕木やバラストが見えない程、緑の雑草に包まれた線路クローバー

東京駅から1時間半で、こんな本格的なローカル線が残っているのが驚きですてんとうむし

久留里駅に着きましたが、この駅は復路で途中下車しますコスモス

(※ちなみに久留里線、始発は木更津駅ですが、路線の半分以上は君津市に所在しています)

久留里を出ると、いよいよ”1日5本”のレア区間です^^

平野だった車窓風景は一変し、山が近くなってきます霧

そして、木更津を出てから1時間強で・

終点・上総亀山駅へ到着フラッグ

終点ですが、無人駅ですあせる

駅舎内には、↑かつて活躍していた国鉄型DCの郷愁を誘う写真カメラ

駅周辺には、亀山ダムとダム湖があるんですが、折待ち時間が短いため残念ながら行けず、↑終端部を見に行くのみとしますあせる

木更津から約32km、久留里線終端に立つ↑「た」wブタネコ

2012年の作でも書きましたが、元々この久留里線は、千葉県営の軽便鉄道として敷設され、開業当初は軌間762mmのナローゲージでした。その後国有化され、軌間も国鉄と同じ1067mmに改軌、かつては貨物や荷物も扱っていましたが、近年は同駅乗降客数が日100人を切っているという寂しい現状です汗

 ちなみに、先日JR東が発表した線区ごとの収支報告(2019)によると、ここ久留里線の上総亀山~久留里間は、100円の収入を得るために15,546円の経費がかかっているとの事です。しかしこの数字にはいろんな恣意的ロジックが隠れていて、木更津からの久留里線全体でみればこの数字はグッと下がります。JR東の意図は、こういうショッキングな数字を示す事で、この区間のバス転換議論の起爆剤としたい意図かもしれません。

当別荘でいつも書いてますように、鉄道は、採算や乗客数だけで計る存在ではないというのが僕の微動だにしない考えです。勿論、最終的にどうするか決めるのは、一に地元の住民の皆さんであり、二に地元自治体、そして三に国・県の姿勢です。

 

・折返し時間がきました時計

新型DCは、軽やかなエンジン音を響かせ、「た」を乗せてw、上総亀山駅をあとにしますDASH!

 

 

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復路は、久留里駅で途中下車カメ

 

↑久留里駅舎です家

駅前にあった↑顔ヌキ記念写真コーナーで、年甲斐もなく撮影を要求する「た」(笑)カメラ

前述の通り久留里からは毎時1本あるので、これから1時間、「た」と駅前を街ブラしてみますかたつむり

駅からすぐの国道410号沿道には沢山のお店が並びます。今回時間不足で行けてませんが、久留里には城があり、かつて上総有数の城下町でした虹

この久留里、ツーリング作でも何度か通ってるんですが、久留里城にはいずれの作でも寄れてないので、宿題としたいと思います^あせる

また、久留里は”名水の里”としても知られます。

街中のあちこちに井戸があり、自由に水が汲めるようになっていますキラキラ

千葉県で唯一、名水百選に選ばれているとの事です宇宙人

名水を飲む、よく迷酔する「た」w

市街の東のはずれに神社があるというので、そこまで行って折り返す事にしますリサイクル

久留里神社です

(※君津市指定文化財)

本殿へは、↑丘の石段を上がります。「た」はまた『エスカーは無いのか』と吠えてました(笑)叫び

静かな山中の古社、平将門ゆかりの社との事、源頼朝もここで戦勝祈願したと伝わるそうです。源平ともに崇敬していたという事でしょうか?^^

木更津行の時刻がきました、↑急ぎ駅へ戻る「た」

改札の横には、数々の地酒が・

”名水の里”という事は、”美酒の里”でもあります^^

「た」にとって、最初で最後の久留里線旅となるのでしょうか、しかし「た」は『また、名水を汲みに一人で行く』とは言ってましたが・w宇宙人

木更津駅に戻ってきました、2022夏の「た」企画、ここでゴールです^

総武線快速で帰京電車

この日8月中旬(2022)、当時コロナ禍が拡大していたので「た」企画恒例の”夜の居酒屋”は取止めとし、グリーン車内での簡単な飲みで我慢してもらいました^電車

 

 いつまで続くのか、3年目のコロナ禍・・

でも世界はもう、コロナは恒常的な疾病として”ウィズコロナ”に向かう流れとなっていますよね・

日本でも今年に入り、イベントや祭の復活、海外旅行の再開等、新しい動きになってきました。国も、もういくら感染者が増えても、行動制限をする状況にはないと言っています。現に、今夏の第7波は日本が世界最大の感染人数になったという事ですが、国は一切、行動制限も蔓延防止宣言もしませんでした。”世の趨勢は変わった”という事でしょう。

・まぁ、もはやこの期に及んで、『飲食店を閉める』や『外出自粛』政策をしても、実効性がないのは明らかだと思います。

 

今後は、勿論医療機関のご負担軽減を第一に考えた上で、我が国も”次”へ向かう時かもしれません波

 

・東京湾アクアラインの結節点として一時注目が集まった木更津、僕もバイクで何度も通っていた地ですが、今回初めて街中を歩いてみて、交通の便が良いわりには”地方色”も残る、とはいえ自然と利便のバランスがとれた街だと思いました。久留里線の動向には、今後も注視していきたいと思っております・お茶

 

 

☆関連作リンク

vol.125 都心から1時間、今なお現役『昭和の気動車』 千葉・久留里線に乗る | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)

(↑2012年、国鉄型が走っていた頃の久留里線の作です)

 

vol.348 千葉県台風被害応援 全線復旧!小湊鉄道&いすみ鉄道で房総横断(沿線街ブラ付) | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)

(↑久留里線とともに、房総半島を走るローカル線・小湊鉄道といすみ鉄道を走破した作です。いすみ鉄道は元国鉄の木原線で、建設時は久留里線と接続される計画でした)