vol.351 2020滋賀③(終) 湖北の古戦跡を訪ねる 賤ケ岳・小谷城跡他 | 旅ブログ Wo’s別荘

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本年の滋賀県シリーズ、最終回ですみずがめ座

今作では前回チラッと予告した、湖北に点在する”古戦場”を訪ねてゆきたいと思いますパー

 

”天下分け目”の地として、古来東西の諸勢力が対峙し、せめぎ合ったここ、近江の国(滋賀県)メラメラ

琵琶湖の周囲、特に岐阜県境との関ヶ原にも近い湖北地域には、歴史の舞台に登場した数々の戦跡が残っています。

今回のシリーズで走ってきた中で、3ヵ所ほど戦跡へ寄ってきました。ご覧下さい^^グッド!

(※今年のコース概要は前作参照)

 

①賤ケ岳

木之本の街から西へ約1km、戦国時代の古戦場、賤ケ岳(しずがたけ)への入口です右上矢印

この特徴ある「賤ケ岳(嶽)」という名ですが、由来は↑の看板を参照して下さい(手抜きw)あせる

↑地図でご覧のように、琵琶湖のちょうど”北東の角”に位置する賤ヶ岳です。賤ケ岳の北には、前作でご覧頂いた余呉湖があり、山頂からも望めます(後程)波

山上へはリフトで登れますうり坊

駐車場から少し登ると、リフト乗り場

スキー場のリフトと同じタイプですスキー

でも最近のスキー場って、多くがペアリフトやゴンドラリフトになっているので、こういうシンプルな1人乗りは「昭和のリフト」なのかもw

そんな事を思いつつw、リフトは一路山上へ・とかげ

約5分、山上駅に着きました!

しかしここはまだ山頂ではなく、約300mさらに徒歩で登りますあせる

周辺も含め、琵琶湖国定公園の自然歩道に指定されていて、風光明媚な風景を堪能する事が出来る山道です霧

ボチボチと登っていくと~

お~目

奥びわこが一望の下に!

地図でもご覧頂きたいですが、琵琶湖の北端は山筋が鋭く湖へ突き出しているような地形で、いわば『湖版・リアス式海岸』みたいな感じになっています。大津付近の滑らかな感じとは全然異なる印象、これも日本一の湖・琵琶湖の魅力です・波

そして、目を琵琶湖から北へ移すと~目

余呉湖も見えます(※余呉湖については前作参照)ヒヨコ

まもなく山頂です!

山頂に到着ですあせる

(標高421m)

前作で歩いた木之本の街が一望の下^

山頂付近は少しだけ↑滑らかな地面があって、四方を俯瞰できます目

こんな風光明媚な地で、本当に血で血を洗う戦いがあったのだろうか・・

 

・ここで、賤ケ岳の戦いを簡単におさらいしておきます^クリップ

1582(天平10)年、本能寺の変に斃れた織田信長。その後継者争いでせめぎ合っていた豊臣秀吉vs柴田勝家の間で繰り広げられた戦でした。

滋賀県シリーズでいつも書いてますが、東西日本が対峙する要衝だった滋賀、そして湖北。戦国時代とは、まさに滋賀県が内戦の戦場となっていた時代です。

 

・信長の後継を巡っては、当初は話し合いや、周辺諸藩の取り込み等の策略に両氏走りましたが上手くいきませんでした。ならば軍事オプションへ移行だという事(こういう流れは昔も今も変わらない)で、両氏は日本の要衝、湖北をおさえにかかります。

 

本能寺の変の翌年に、ここ賤ケ岳で戦が勃発。初戦は柴田軍が優位に立ちました。

しかしその後情勢は急変。その頃、主に岐阜付近での攻略指揮を執っていた秀吉が、急遽大垣→木之本へと早馬を駆って(※美濃の大返し)当地へ到着、陣頭指揮。

秀吉の配下の『七本槍』と呼ばれる7人の武将の活躍等もあり、結果秀吉軍が勝利しました。ご存じ、豊臣秀吉が天下を取る契機となったのが、他ならぬこの、賤ケ岳の戦いです・

戦死した兵たちを慰霊する祠もありました。まさに、”兵どもが 夢の跡”そのものの地、賤ケ岳です・霧

 

-*-*-

②小谷城跡

 

次は、このシリーズでおなじみとなったR365を、木之本から関ヶ原方面へむかって南東へ進みますDASH!

しばらく走ると国道沿いに見える↑、「小谷城跡」の案内板。

次に訪ねるのはここ、小谷(おだに)城跡ですカメ

古城ファンにはおなじみ、日本有数の山城跡です。

看板にすすめられるままw、国道から小径へ入ると~

(※↑の空地は、城下の武家屋敷の跡です)

歴史資料館が、山のふもとにあります。まずはここを見学かたつむり

城跡見学の前に、ここで知識を仕入れてから入山するのがおすすめです^

資料館の壁には、小谷城跡の魅力を表す数々の獲得タイトルが・・

全国的にも屈指の人気ある古城、どんな城だったのか、ますます楽しみになってきますニコニコ

残念ながら館内は撮影禁止なので詳しく紹介できないんですが、この小谷城主であり、ここ湖北を支配していた浅井(あざい)家の歩みを基礎に、小谷城そして湖北の戦国史をわかりやすく解説していましたサーチ

また、僕が資料を見ていると館の学芸員のかたが声をかけて下さり、城跡へ行くにあたってのアドバイスもして頂きました^^グッド!

 

・・では城跡・小谷山へ出発です!

館のかたに教えてもらった通り、途中1/3程まではバイクで登れるとの事で、Wo号は小谷城跡の山へ入ってゆきますDASH!

車で行けるのは↑、山の中腹、番所跡までです。

”番所”、文字通りで、城へ登るための検問所があった跡です・

各ポイントには↑、往時の姿を精緻に表したイラストがあり、頭の中で在りし日の様子を想像する事が出来ますキラキラ

 

・ここでまず、小谷城の概要をサラッとおさらいしますクリップ

我が国の”中世五大山城”に数えられる名城、小谷城、これからご覧頂く小谷山(※標高495m)に、16世紀初頭に築かれました。戦国期、湖北を支配していた浅井氏の居城です。

(※国史跡)

↑は現地の俯瞰図ですが、山城は、中央にある谷(清水谷)の両側の尾根に築城され、これから見学するのは主な見学コースとなっている”東尾根”のほうです。

先程行った資料館等のある清水谷(きよみずだに)には、臣下が住んでいた武家屋敷が並んでいたという事です・

 

・織田信長と次第に対立していった浅井氏、1570(元亀元)年、この近傍であった姉川の戦い(※後ほど現地を訪ねます)で敗れ、友軍だった北隣・越前の朝倉氏もまた信長に敗れる。小谷城を信長軍に包囲された浅井家最後の当主、浅井長政はこの城で信長軍と激闘の末万事休して自害、1573年、浅井家の歴史は終焉となりました・

 

ちなみに現在長浜市の当地ですが、平成合併前の旧名は「東浅井郡」でした。由来は勿論、同氏の領地だったことからです(※長浜市合併の経緯は前作参照)

さぁ、知識も仕入れたところで、あとは登るのみです!w

所々で、木々の間から眺望が開けているスポットがあります目

↑むこうに見えるのは『虎御前山』、そこに織田信長は山城を築き、この小谷城を落としにかかってきました。まさに”対峙”ですよね・

 

・またまたちなみにですが、虎御前山の麓は旧東浅井郡虎姫町で、この山から付いた地名でした。長浜市合併前は全国で唯一『虎』の漢字が使われた自治体だったそうですトラ

はるか琵琶湖には↑、竹生島がポコッと浮かんでいます^

次の曲輪がみえてきました

(※曲輪=くるわ・・石垣等で区画分けして整地してある場所)

ここは「御茶屋」

御茶屋といっても喫茶店ではなかったそうでw、、パンフによると「風雅な名前には似つかわない軍事施設だった」との事叫び

まだまだ行きますよ!

とりあえずは本丸を目指します右上矢印

カモシカがいるそうですが「熊と間違いやすいので注意」という看板。しかし、本物の熊もいるそうですドクロ

次は”馬洗池”跡。ここは名前の通りの使い方だったようですが、詳細は不明だとの事です馬

さらに山深く分け入ります

またまた広めの曲輪が・

「大広間」跡と呼ばれる所で、建物跡・倉庫跡等が確認されているそうです。しかし詳細は、歴史とともに深い森の中へ埋もれています・

↑は「首据石」

家臣・今井秀信が敵方のスパイだった事が発覚、現長浜市内の神照寺で殺害・斬首の上、小谷城まで持ち込んでこの石に首を晒したとの伝説です・ドクロ

石垣の跡も一部残っていて、山城としては大変貴重なものです

そしてついに、本丸跡到着!

構造物は何も残っていません。

浅井家最後の領主、浅井長政は小谷城に籠城し、次第に琵琶湖側から包囲網を狭めてゆく織田(羽柴)軍にさいごの攻防を繰り広げました。前述しました部分と重複しますが友軍・越前の朝倉軍が撤退した事から敗色は決定的となり、長政はこの本丸の近くにあった赤尾屋敷で自刃、小谷城は落城、浅井家はここに滅亡しました・霧

本丸よりさらに上へ、もう少しだけ頑張って登ってみますあせる

先程歴史資料館のかたに教えてもらったところによると、「山王丸まで登れれば一段落」との事なので、そこを目指します右上矢印

↑「大堀切」跡

本丸より上、さらに奥の中枢部を守るため、本丸の上に大きな堀で仕切ってあったとの事ドア

大堀切より上にある↑、京極丸跡。

近江源氏の流れをくむ京極高広が、ここで浅井氏の庇護のもと暮らしていたとの事ですが、京極氏代々の歴史は複雑で、ここに書くと軽く容量オーバーになるため(汗)割愛させて下さい・あせる

あと少し!w

着きました、山王丸跡です・

小谷城の「詰めの丸」とも言われ、山王権現が祀られていたことからこの名だそうです。今は↑の通り、木洩れ陽がきらめく森があるのみです・霧

↑は資料館でもらったパンフの表紙ですが、かつてはこんなふうな城郭が、小谷山の尾根に堂々と築かれていたとの事。壮観だったでしょうね・・日本五大山城、近江・小谷城です・キラキラ

 

さらに山王丸より上、山頂には上パンフにもみえますが「大嶽丸」という大きな曲輪があるんですが、山王丸まで登れば小谷城の概要は大体つかめると思います。登ってみようというかたは、適した服装、特に靴は底が充分すべりにくいもので臨んで下さいグッド!

 

・前述の通り、堅い守りと構造の小谷城を激戦の末見事落とした秀吉ですが、北近江を統治するにあたってここは使わず、琵琶湖のほとりに長浜城を築城、湖北の本拠地としました(※長浜については、当別荘滋賀県シリーズの2018年作を参照)

賤ケ岳と同じ事をまた書きたくなってしまいますが、”夏草や 兵どもが 夢の跡”・・です・虹

 

-*-*-

麓、清水谷へ下りてきました。

小谷城、いかがでしたでしょうか、こんなのどかな地で、戦国期に激烈な戦闘が交わされ、↑の静かな谷には武家屋敷がビッシリと建ち並んでいた・・

想像できますでしょうか・もみじ

清水谷には、こんな史跡も残っています↓

「常勝寺跡」

小谷山の麓のこの地、8世紀頃に四十九坊を擁す大規模な寺院があったというんです。後に浅井氏の庇護もうけ”小谷寺”と改称しましたが、浅井氏滅亡とともに同寺も衰退、今では緑の田畑となってます・カエル

↑にその昔、寺院の堂宇や門前町がひしめいていたといいますが、信じられない光景ですね・

歴史を探求する事の面白さ、深さを、改めて感じます・しっぽフリフリ

 

-*-*-

③姉川古戦場跡

長浜市、市街地の北側を、伊吹の麓から琵琶湖へむかって流れる姉川(あねがわ)、ここでもかつて、戦国期の激戦が繰り広げられました。ご存じ、姉川の戦いです。

本シリーズでもR365で姉川に架かる橋を↑渡りましたが、国道の橋の近くに・・

以前国道だった旧道に、廃止となった旧橋が残っています(※野村橋=現在歩行者のみ通行可)走る人

その旧橋のたもとが、姉川の古戦場です。

旧橋のたもとには碑等が集められた小さなポケットパークがあり、そこに↑、合戦についての解説板があります。ごく簡単に纏めますクリップ

 

ここの合戦は、先程の小谷城の戦いと大いに関連しています。対立の構造も同じで、小谷城で詳述した浅井・朝倉氏の軍と、信長(秀吉)軍との戦いです。ただ姉川には、織田側にアノ徳川家康も与しています。

1570(元亀元)年7月、織田軍は先程の小谷城跡で出た虎御前山に布陣、姉川を挟んで対峙した浅井・朝倉軍との戦闘が始まりました。

双方合わせ1万人以上の兵を動員、文字通り血で血を洗う激戦が展開、姉川は血で真っ赤に染まったといいます・

結果は織田・徳川軍の勝利。周辺の支城を失った浅井は小谷城へ敗走、本作の順序と逆になりますが、このあとは浅井家滅亡へとたどる、小谷城の戦いへとなっていくんです・馬

姉川周辺には↑、「血原」、「血川」等の生々しい地名が残り、いかに激戦だったかを今に伝えています・

今年の滋賀県シリーズ、おわりに近づいてきました・

 

・・

帰京前、高速の人となる前に、R365沿いにある道の駅『浅井三姉妹の郷』に寄りますフラッグ

駐車場は広々車

建物の前には↑、浅井三姉妹の像。時節柄、一同マスクをして三姉妹も感染防止に努めていますwあせる

 

勿論ここで、この浅井三姉妹の概要にもふれないといけません。

先程の小谷城に果てた、浅井家最後の領主・浅井長政の娘たちだった三姉妹、ちなみに(長政の妻)は、アノ織田信長の妹・お市の方です。本作では織田家と浅井家の熾烈な戦闘にスポットがあたっていますが、当初両家の関係はそうではなく、一定の繋りと関係性があったとの事・

 

小谷城の戦いで前述の通り父・長政が城内で自害、三姉妹は織田側の武将に救出され、ひとまず織田家に預けられました。

その後三姉妹は各々の時代のパワーバランスの下、それぞれ徳川家や京極家等、政略的に武将各家に通婚していきました。彼女たちは戦国武将の盛衰や生きざま・死にざまをまさに至近距離で体感し、また三姉妹は嫁いだ家によって各々別の運命を歩んでいく事になります・

 

三姉妹それぞれの波瀾万丈な生涯は数々のドラマや映画でも題材となり、戦国女性の代名詞として知られているのはご存じの通りです・おひなさま

そんな数々あったドラマの中でも、NHKで2011年放送の大河ドラマ「江・姫たちの戦国」にちなんだ博覧会が当地で行われました。その記念コーナーが、道の駅の一角に設けられていました目

湖北各地の3会場(※長浜市・東浅井郡)で催された同博覧会、出演した俳優の来訪や数々のイベントで大いに盛り上がったとの事クラッカー

隣の湖東地区、彦根市からひこにゃんも応援に駆け付ける(笑)ネコ

この規模の地方博としては異例の大成功を収めた同博、来場者数は目標を大きく上回り、1年足らずで100万人を達成。人口わずか10万余、しかも交通至便とはいえない湖北地区で、人口の10倍近くを集客してしまう滋賀の「歴史パワー」には、改めて感服です・星

勿論、道の駅お約束の「野菜直売コーナー」もありますwオレンジ

・で、在住経験者の僕としておすすめしたいのが↑、”しいたけ”

湖北産の椎茸は『伊香しいたけ』.と呼ばれ、肉厚でいろんな料理に使えます。奥琵琶湖を訪ねたら是非買って帰って下さいw割り箸

今年の滋賀県ツーリングも楽しかったです、再びR365を伊吹の麓へ、関ヶ原ICから帰京の途につきます・DASH!

 

・ラストに、今年のシリーズ全般について纏めます^ニコニコ

2017年より毎年おおくりしている滋賀県シリーズ、今年は県北端、奥琵琶湖は木之本を中心として、国道365号沿線をたどるように旧伊香郡・東浅井郡を訪ねてみました馬

 

今作はシリーズ初の古戦場特集にしてみましたが、古来『近江を制する者は天下を制す』と呼ばれたように、天下取りのため戦国の武将が刃を交わした湖北の山河、兵たちが命を懸けた地、まさに”歴史は語る”です本

 

・特に今回の旅で僕自身、住んでいた時になぜか行ってなかった『伊吹山ドライブウェイ』、『賤ケ岳リフト』、そして『小谷城登山』、この3つを一気に初体験した事はすごく大きかったです合格

在住時には「近いし、いつでも行けるからいいか・」と思ってたら、結局行かずじまいだったこの3ヵ所、こういう場所へ意識して訪ねようという気になるのも、やはりブログ作っていてこそだと思ってます。来年の滋賀はどこにしようか?今から思いを巡らせています・虹

 

滋賀県シリーズ2020全3作おわります、長い間ご覧頂き有難うございました。なお次作は趣ガラッと変わり、久々に『アノ男』が当別荘に帰ってきます。お楽しみに!wグッド!