vol.223 世田谷をのんびり走る ちょっと(?)上品な路電 東急世田谷線 沿線ブラ付 | 旅ブログ Wo’s別荘

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 昨年5月に『東急田園都市線・全線脱線散歩』の作をupしました(vol.195)が、再び東急線に乗る企画をやってみます^グッド!

田都の作では、今回乗るスタートの三軒茶屋駅にも途中下車していて、そこでは今作テーマの世田谷線が写った写真も載せています。その写真の添付文に、"いずれこの線もネタにしたいと思います"と書いてました^あせる

という事で、今作では東急世田谷線を全線走破してみます。都内では貴重な存在となった、路面電車スタイルを今に残す路線ですが、見ようによっては"LRTの先駆け"的な路線でもあります。併せて、沿線の街ブラも付けます。ではスタート^


1年ぶりに再訪、↑キャロットタワーと名付けられた人参色の駅ビルがそびえる東急・三軒茶屋駅ですビル

↑渋谷からの国道246と世田谷通りが分岐する三軒茶屋、その名の通り、昔は茶屋が三軒あったというのが名の由来ですが、今やその面影はなく、大都会・東京の一角です地下鉄

わずかに昔日の面影を見出すのは、三叉路の付け根にある石の道標と、↑江戸の旅姿をあしらった由来看板くらいでしょうか・

東急バスも人不足なのか、三茶交差点にいる間に研修バスが時々通っていきますカメ

では今作のテーマ、キャロットタワーの1階に乗場がある、東急世田谷線に乗ります^星

↑の電車、世田谷線は前述の通り、路面電車スタイルです。

今や都内に残る路電路線は、23区では都電荒川線とここだけです。しかし、世田谷線は現在全線が専用軌道で、道路と併用している区間はありません。あくまで”車両や施設の仕様が路電規格”という仕様です。

この世田谷線の淵源は、かつて国道246の渋谷~二子玉川間に走っていた『玉電』と呼ばれた路電に端を発します。
その玉電を廃止し、地下化するという形で1977年に開通したのが現在の田園都市線ですが、その玉電の支線であった世田谷線が、路面スタイルのまま残った、という経過ですクリップ

・で、なぜ世田谷線は玉電廃止の際に”もろとも”とならず、現在も存続できているのかですが、理由は簡単です。
都電荒川線が、都電で唯一廃止を免れて残ったのと同様の理由で、路電スタイルでありながら線路は道路上でなく、全線専用軌道で、道路交通とのバッティングが無かったからです(※都電荒川線はごく一部併用軌道あり)

とはいえ、車両やシステムは全くの路電です。
世田谷線は三茶~下高井戸(※京王線と接続)約5kmを、L字型状の路線で結んでいます次項

↑車内ですが、2両編成の連接車で、各々の車両の先頭方向をむいたクロスシートです。固定式ですが、関東の鉄道(※しかも路電)で座席をクロスにしようという発想は珍しく、しかも場所が”世田谷”という事で、都電荒川線のような下町ムードはあまり感じられません。
「路電は路電でも、ここは世田谷よ」といったところでしょうか^ひらめき電球

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走りだしました!
↑前面を見ると、PC枕木&ピシッと敷かれたバラスト、さすが東急という感じの、ビシッと整備が行き届いた線路ですキラキラ
(※僕はペンペン草も生えてる荒川線もすきですがw^)

沿線で見つけた↑のギター教室の看板、都内でよく見かけますが、"にいぼり"と読むことを最近知りました^;カラオケ

車内の↑次停案内表示器、バスでよく見かけるのと同じタイプですが、運賃の支払いもバスと同じで、乗車時に料金機に支払う(※又はICカードタッチ)、運賃は全線均一で150円です(※2016現在)

同線では、起終点を含む全駅で切符販売窓口はなく、改札口もありません。これも路電やバスと同様です。

ただ、バスと少し違うのは、運転士が乗ってないほうの後部運転台には車掌さんが乗っていて、乗る時は両端から、降りるのは連結部(中央)寄りのドアからという事ドア
熊本市電や広電等の路面電車で、連接車には車掌を乗せている例と似ています。

昨年の田都の作で訪ねた”東急・電車とバスの博物館”で展示されていた、↑往時の玉電の塗装を復刻した電車とスライド^
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三茶から4駅目の松陰神社前駅で、途中下車しますあし

↑駅前の踏切でクロスする道路、商店街になっているので沢山の人で賑わっています。
ここを歩いてこれから、駅名にもなっている松陰神社を訪ねます走る人


世田谷という事で、そんなに下町っぽくは感じない商店街ですが、それでもコンビニ店頭に野菜が多数並んでいたり、昔ながらのよろずや(?)風の店先に↑ティッシュが棒積にされてたり、庶民的な匂いも感じます^

商店街が途切れたところに、↑神社の鳥居が見えてきます目
松陰神社です。

実はこの松陰神社、上京間もない頃に「た」と一度来た事があって、当時「た」シリーズはまだ発足してなかったので作にはしてませんが、当時の記憶に比べるとリニューアルされてるような感じがします。
↑の鳥居にしても、何か真新しい感がレンチ

境内に入ると早速、前回なかったものが。
↑“吉田松陰先生ブロンズ像”
元々あった石膏像から型をとり、新たにブロンズ像としてリニューアルされたものだそうです。


そして鳥居から一直線にすぐ、↑本殿があります。
ここで、松陰神社の概要を纏めておきます。

詳しくは同神社のHPを参照して頂きたいですが、祀られているのはご存知・幕末の長州藩士、吉田松陰です。

儒学や兵法学など多才な学者であった松陰ですが、その秀でた能力ゆえ、数々の憂国の行動の結果何度も投獄され、さいごには安政6(1859)年、開国に伴う世の中の激変のさなか安政の大獄で再度投獄、死罪下命。
29才の若さで刑場の露となった松蔭を追慕するため、1882(明治15)年に建立された神社です。現社殿は1928(昭和3)年竣工との事。


歴史がわりと新しい神社のせいか、スッキリと開放的な感じもします。

本殿の右側に、”松下村塾”への案内板。
矢印に誘われてすすむと・右矢印

そこには解体途中の、↑あられもない姿になっている一軒の平屋があせる
これが松下村塾(※レプリカ)ですが、2016現在残念ながら一旦解体しての修理工事中との事注意

松下村(しょうかそん)塾は、松陰の叔父が故郷、長州・萩で開いていた私塾で、松陰自身も短い間でしたが教鞭をとりました。塾生には、後の明治政府の重臣となった伊藤博文や山縣有朋等が在籍し、錚々たる顔ぶれを輩出しました。
ここ松陰神社の建物は、萩の“本物”を模して造られたものです。


その、松陰のお墓がこの神社境内にあるとの事。
”神社にお墓”というのも不思議な感がありますが、刑死した松陰は、当初他の刑死者の例にならい小塚原回向院に葬られたそうです。後に松下村塾の門下生であった伊藤博文や高杉晋作らにより、長州藩の別邸があったここ世田谷の地に改葬されたという事です。

案内看板に従って歩くと、墓所の前には↑鳥居が・
神社は神話に出てくる神々だけでなく、例えば菅原道真や歴代天皇のように実在の人物を神格化して主祭神としているところが全国に散見されますが、まさにこの神社もです。

他の何人かの烈士の墓標とともにある、松陰の墓所(※謹写)

両脇に『徳川家奉納燈篭』がありますが、徳川幕府の方針に意見して処刑された松陰に対して燈篭奉納というのも、なんか微妙な感じもしますあせる

再び松陰像に見守られながら、神社をあとにします。

タラレバですが、もし松陰が処刑されずに明治政府のメンバーになり、天寿を全うしていたならば、総理にまで登り詰めた可能性も充分あるし、当時の日本、ひいては現在の日本も少しは違ったものとなっていたかもしれません波

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再び世田谷線に乗り、次の下車駅へ^

次は、松陰神社前から2駅、上町(かみまち)駅で下車します。

上町駅には、↑世田谷線の車庫と乗務員区があります。
東急のHPには”鉄道マニア必見の駅”とありますが(※2016当時)、その割には道路や駅から車庫はほとんど見えずw、↑の写真は付近の踏切から望遠で撮ったものですあせる

この上町駅周辺は数々の旧跡や街ブラポイントが集まっていて、世田谷線随一の散策エリアなので歩いてみます^走る人

↑上町には、街のゆるキャラもいます^
『代官ホタルン』お月見

その"代官"の名の由来、世田谷代官屋敷が現存し、保存公開されています(※東京都史跡)

しかし残念ながら、この日は月曜で休場日あせる
↑は隣の駐車場の塀ごしに撮ったものですが、大きくて立派な藁葺き屋根が塀越しに見えます目

周辺の写真撮っていると、守衛さんが門の中から、つかつかと僕のほうへ!
行動が怪しまれたかと思いきや!

守衛さん僕に「休館日で済みませんねぇ、これをお持ち下さい」と言って、柵ごしにパンフレットを渡してくれました。何と親切な・(※感謝)キラキラ

ちなみにこの代官屋敷がある街路では、毎年1月に『世田谷ボロ市』が開かれ、沿道は骨董品等を扱う店が並んで大変な賑わいになります。
僕も上京すぐの頃に一度来た事があるんですが、ホント物凄い人出で、とても”じっくり骨董品を品定め”なんて出来る状況でなく、早々に引きあげた思い出がありますサーチ

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・次に、世田谷線を挟んでボロ市通りの反対側へ歩きますあし
少し歩くと、↑烏山川跡遊歩道とクロスします。
かつて目黒川の支流だった小川が流れていたそうですが、昭和40年代に暗渠化されたそうです。
歩道は、千歳烏山方面へつづきますクローバー

その、烏山川の傍に、↑こんもりした緑の丘が現れました。
『世田谷城址』です。
その昔、世田谷にもお城がありました霧

現在は、区立の城址公園として開放されています。

現地看板によると、奥州吉良氏が14-15世紀頃にここ世田谷の地を拝領、築城したと伝わります。
現在は天守はもとより石垣等も残っておらず、江戸城の資材に転用されたと言われます。

↑城跡の丘の上から俯瞰する世田谷。一面の住宅やマンションだらけです。世田谷区、60k㎡程の面積に90万人以上が住む、23区でも有数の住宅密集地なのはご存知の通りです家
明治維新から1世紀余でこんなに変貌するとは、アノ吉田松陰でも想像出来なかったでしょう^

↑天守があったであろう一角だけは、立入禁止になっていました。
昨年「た」シリーズで行った練馬城址と同様の措置で、遺構保全のためです。

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つづいて、世田谷城址のすぐ隣にあるお寺を訪ねます。
豪徳寺です。
近くにある小田急の駅名にもなっており、都内の方には耳なじみかと思います。
小田急豪徳寺駅は、世田谷線の山下駅と連絡しています。

立派な石柱の門ですが、↑上部にチョコンと狛犬がいます^
これも神仏習合の一端でしょうか?わんわん

門からまっすぐ歩くと↑正面にある堂宇、本堂か(?)と思うんですがこのお堂は『仏殿』で、本殿はこの奥にあります。

仏殿の横には、↑三重塔も。
元々はこの寺域までが世田谷城の敷地だったとの事ですが、前出の城主・吉良家が1480年『弘徳院』という庵を結んだのが同寺のおこりとされています。曹洞宗のお寺です。

そして、仏殿の左横にある↑招福門。
この門の中には~

門と名を同じくするお堂、招福殿があります。
その、"招福"を司る使いとは・

堂の裏手に、その答えはあります。

そこにあったのは、夥しい数の『招き猫』
ホント凄い数です。
豪徳寺は、招き猫発祥の地とも言われるそうです(※諸説あり)ネコ

これだけの数の招き猫、目前にするとホント壮観です。
頬杖をつく観音さんの周りに、大小様々な招き猫が大集合しています。
先月upした信貴山では寅でしたが、ここは”招き猫のお守り”だそうですひらめき電球

繰り返しですが、凄い招き猫の数に圧倒されます叫び

で、なぜ”豪徳寺で猫”か?の由来ですが、ここを通りかかった彦根藩主・井伊直孝に、同寺の飼い猫が手招きして直孝を呼び(ホントか?w)、休憩することにしたからだそうです。

その休憩中に急な雨が降り、直孝は「猫のおかげで濡れずに済んだ」と喜んだそうです。
それが縁で同寺は井伊家の菩提寺になったそうで、爾来”猫の寺”として親しまれているとの事にゃー

という事で、井伊家の菩提寺となった豪徳寺には同家の墓所があります。
(※なんか今作、お墓が多いですが)あせる
東京都史跡で、一般参拝可との事なので参ってみます。

墓所の一番奥に、井伊家のスペースがあります。
一区画がかなりゆったりととってあり、都内のお墓でこの環境は贅沢です。さすがは”大老”です。

井伊直弼墓(※謹写)

墓所の案内板もあり、直弼だけでなく井伊家代々のお墓が並びます。

豪徳寺を出て、先程降りた上町駅の隣、宮の坂駅まで歩きます走る人

↑宮の坂駅には、予備知識なかった意外なものがありました。
それは~ひらめき電球

プラットホームの隣に、↑昔の電車が横付けされていました。
この車両は・

現地看板によるとこの電車、1925(大正14)年製という超オールド車で、長年同線(※廃止となった渋谷~二子玉間含む)を走っていたそうです。
その後、1970(昭和45)年に江ノ電に譲渡、湘南の海沿いで活躍した後、1990(平成2)年引退。65年間に亘る現役を終え、この世田谷へ里帰りしたという事です・波

↑昼間は内部も見学できます。駅前に区の支所があり、そこで管理されているようです。

懐かしい木の床の車内。戦前戦後、数え切れない人々を渋谷へ、世田谷へ運んでいたはずです。昨秋に訪ねた名鉄路電の保存車もそうでしたが、今の電車にはないぬくもりを感じて、いつまでも座っていたくなりますキラキラ

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宮の坂駅から終点・下高井戸へヒツジ
先程擦れ違った”玉電カラー”電車が来ました。
ラストに乗れました^

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三軒茶屋から10駅、約20分で・
(※僕は途中下車したのでもっとかかってますが)

終点・下高井戸駅到着です虹
車体横には、かつて東急が略称で使っていた「T.K.K」の文字も復刻されています。
昭和期の関東私鉄は、略称をアルファベット3文字にするのがトレンドで、忠実に再現していましたトレードマーク

僕のすきな、↑路線終端部です^
その横には、自転車を押して歩いてる人も。ホームが歩道代りになってるのが路電ならではの雰囲気です^


下高井戸駅は京王線に接続、↑駅も両社ピッタリくっついてて、乗換には便利です。

同駅前の商店街、↑なんかディープな感じで面白かったです目

アーケードの下の狭い道を、↑店先ギリギリに車が走っていました。僕は初めて下高井戸を歩いたんですが、こんなクセありな街とは初めて知りました^

そんな下高井戸を探索しつつ、ここでゴールとしたいと思います。この日雨模様でしたが、意外な”素の世田谷”の一面も垣間見た一日でした^パー





(※2023.11 文一部修正)