vol.201 岡山ツーリング(後編)備前/播磨国境をゆく^ 閑谷学校~赤穂御崎 | 旅ブログ Wo’s別荘

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 前作はキリ番記念作を挟んだので1作飛びになりましたが、岡山ツーリング・後編ですグッド!

前々作は、廃止となった私鉄を動態保存している“片上鉄道”でしたが、今作はその後の足取りです。早速スタートしますDASH!

前々作(vol.199)は↑の写真で終っていましたカメラ
↑の道は、JR和気駅の北側を走る県道なんですが、メインの標識の左下に『閑谷学校』の補助標識が出ています。
これから行く目的地はその、閑谷学校です。

“閑谷(しずたに)学校”、岡山が誇る『日本最古の庶民学校』の跡です学校
(※岡山県備前市)

”日本最古の学校”といえば、当別荘で2009年ツーリング納めで『足利学校』(vol.63 09.12.4up)を訪ねましたが、足利も”日本最古の学校"と謳っており、どちらが最古なのか?という素朴な疑問も湧きます^クリップ

少し調べてみると、たしかに学校の創立は足利学校のほうが古いんですが、その内容は違う点が多々あります。
足利は主に武家や僧侶の子弟を教育する高等教育機関だったのに対し、閑谷学校は町人や近隣の農民等庶民全般も迎え入れた事。これが”日本初の庶民学校”と呼ばれる所以です星

又、足利学校の建物は明治維新で廃校後ほとんど取壊され、近年復元されたのに対し、閑谷の建物は当時のまま残っており、ほとんどの建物が国宝・国重文指定という貴重なものですキラキラ

場所は、前々作の片上鉄道が接続していたJR山陽線和気駅から1つ東隣、吉永駅から車で10分位の山の中にあります霧

↑到着しました^
大きな駐車場があります車

片上鉄道の吉ヶ原(柵原)もでしたが、ここも公共交通機関が無いに等しく(※バスは吉永駅から1日2本だけ、まるで吉幾三の唄そのものw)、車かバイクで行くのが定番ですあせる

駐車場の周囲には↑数軒お店があり、”備前バーガー”、”備前カレー”等のB級グルメに力が入ってますハンバーガー

さらに、想像を絶するB級グルメが!
↑”備前名物・しょうゆぶっかけソフトクリーム”ソフトクリーム
聞けば、その名の通りの成分/色/形状だという事ですw叫び
案外美味しいらしいんですが、僕には試す勇気はありませんでした^

B級グルメはさておき、閑谷学校を見学します^男の子


学校の門に着く前に池があるんですが、↑その池も国重文指定。閑谷学校の敷地全体が国特別史跡指定ですうお座

やってきました、↑閑谷学校の正門です(※門も国重文)

正門から一般の出入りは出来ず、見学客は正門の脇にある↑の通用門から入ってチケットを購入します。
門に『日本遺産決定!』と立て看板がありますが、これは文化庁が今年から始めた制度で、"ストーリー性のある文化財群/活用する文化財"をテーマに、新たな文化財のありかたを目指す新制度だそうです。
ちなみにこの閑谷学校は、"近世日本の教育遺産群"として、前出の足利学校と共に指定されたとの事王冠1

門から中へ入ると・
芝生の広々としたスペースのむこう、↑右側に見える建物が・・クローバー
(※↑左側は先程外から見た校門です)

↑が閑谷学校メインの校舎、『講堂』です(※国宝)
1701年の建造との事です。

内部は立入禁止ですが、↑縁側までは上がれて、障子を開け内部を覗くことが出来ます目
↑木の床がきれいに掃き清められていますキラキラ

↑『障子をあける際はつばめが入らないように』との注意書き虹

縁側はちょっと寺院風ですが、当時は『大きな建物といえば城か寺院』の時代なので、こういうデザインになるんでしょう。

講堂の脇には、↑小さな平屋がくっつくように建っています。『小斎』といい、岡山から藩主が視察等に来た場合控室として使う”VIP室”だったとの事(※これも国重文)

↑の、丸みのある独特のかたちの石塀、全長700mに及ぶ校地の周囲を囲っていますが、この塀も国重文です。
とにかく閑谷学校、ここの全ての構造物が”まるごと文化財”という状況です^キラキラ

↑講堂の横にある『習芸斎』
ここでは毎月数回、朱子学や経文等の講座が開かれていました。学生以外に近隣の農家の人も聴講を許され、今で言う”公開講座”を行っていました本

習芸斎の内部には、↑沢山のわら座布団が備えてありましたが、ここは現在でも公開講座等に利用されているとの事。足利学校同様、文化財を生かした“生涯学習の場”として今も活用しています。

石塀沿いには、冒頭ご覧頂いた正門以外にも小さな門がいくつかあり、藩主専用の『御成門』や、公開講座の際等に近隣の人が出入りした『飲室門』等が現存しています(※これらも全て国重文)

校地のはずれにポツンと建つ、↑『文庫』
貴重な教材や資料を火災から守るため、他の建物とは離して建てられているとの事です。

“火災予防”といえば、↑の設備も。
このモッコリした盛り土は『火除山』といい、この奥に寄宿舎等の生活施設があり火を使うので、万一火災が起きた際に講堂などに延焼しないよう人工的に築山されたものだそうです。
実際江戸末期、寄宿舎で火事があった(※そのため寄宿舎は現存していない)との事ですが、この火除山のおかげで、講堂など校舎は無事でしたメラメラ

その火除山の側を通って、さらに奥へ・
資料館がこの奥にあるそうなので、見学しますグッド!

校地奥にあった、↑明治期の校舎風の、レトロな建物。
↑は1905(明治38)年、明治維新で廃校になった閑谷学校の精神をこの地で再興しようと、当時の岡山財界や有識者が中心となって設立した私立中学“閑谷黌(しずたにこう)”の校舎です。

この校舎はその後、1991(平成3)年まで、戦前戦後を通じて様々な形で教育の場として活用されていました。
現在は、これから見ますが資料館となっていますメモ

ちなみにこの"黌(こう)"という難しい漢字ですが、”学校、塾、学舎”というような意味との事で、現在でも熊本の『濟々黌高校』等での使用例がありますスポーツ

資料館へ入りますしっぽフリフリ

↑ 風格を感じる玄関です。
僕の出身小学校に昔あった木造校舎も、窓がこんな感じでした桜

この校舎も、国有形文化財に指定されています。
知られざる歴史遺産の宝庫、閑谷学校ですキラキラ


校舎は2階建、両階とも資料館の展示室として公開されています。
昔はここを生徒たちが走り回っていたんでしょうか^走る人

資料室内は撮影禁止だったので、ここで閑谷学校の歴史を纏めておきたいと思います^ベル

閑谷学校は江戸初期の1670年、賢候として名高かった岡山藩主・池田光政によって創建されました。
当時、武家の子弟が学ぶ”藩校”は岡山市内にありましたが、一方この閑谷は、地域のリーダーを育成すべく設立された、武士の子弟と庶民(商人/農民)が共に学ぶ、藩校とは異なる役割を持たせた、日本初の庶民向け本格学校だったとの事本

なお、この“閑谷”という地名はこの学校設立時に考案されたもので、元々は”延原”という地名でした。
光政自身が設立前からこの延原に視察を重ね、閑静な環境のこの地が学びの環境にふさわしい”閑かな谷”ということで、命名したんだそうです霧

爾来、同校は幕末まで一貫して庶民教育に力を注ぎ、現地パンフには『論語朗謡の声、この谷に響いて』とありました。
読み書き算盤にとどまらず、儒学を中心とした”人としての倫理の道”を教授していました(※その辺りは足利学校と共通します)メモ

僕が感銘うけたのは、光政はこの学校の周囲に、学校経営の”学田、学林”を与えて運営を許し、財政的な基盤を持たせたという事。
これはもし池田家が将来、幕命により他藩へ転封になっても学校が存続するようにとの配慮で、いかに光政が教育を重視していたかがわかります星

時代は変わり、1870(明治3)年、明治維新による廃藩置県・学制開始により廃校。
しかしここからが教育熱心な岡山人の底力、"閑谷第2章"ともいえる再興の歴史がスタートしますグッド!

解体寸前まで追い込まれた閑谷の校舎は、前述しましたが地元岡山の有識者や学者・財界からの有志が存続活動を展開、私学『閑谷黌』として再スタート。その後正式な旧制中学となり、さらに岡山県立に移管され、終戦を迎えます。

戦後は学制改革で閑谷高校となるも、短期間で隣の和気高校の分校となり、その分校も1964(昭和39)年に閉校。

その後は岡山県青少年教育センターとして使われ、生涯教育の場へ。光政が創立した閑谷の伝統は戦後にも受け継がれました王冠1
そして1991年、青少年センターが史跡外に移転、資料館に改装されて現在に至ります。

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資料館見学を終え、講堂のところまで戻ってきましたリサイクル

講堂の周囲には、↑孔子廟や閑谷神社等、付属の建物もいくつかあります。
足利学校にも孔子廟がありましたが、孔子の儒学って江戸期の学校では重視されていたようです。いわば”人の道”を教える拠り所の基礎を孔子に求めていたようです。

これ程の偉人を輩出した隣の大国ですが、昨今近隣諸国に対してとっている数々の行動、もう少し倫理の道に立ち返ってほしいなぁともあせる

緑深い“閑かな谷”に、今も生き続ける日本最古の庶民学校でした。
前述の”日本遺産”登録だけでは足りず、現在は世界遺産登録を目指して運動しているそうです^クラッカー


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場面かわり、閑谷学校を出てバイクで約5分、
↑の史跡があります。
『閑谷学校 校門跡』
前述の通り、同校は学林・学田を持っていたため校地が広く、江戸時代はここまで校地内だったという事です学校

↑の門柱、左右2本が地中から頭を出しています。現在はなぜかほとんど地中に埋もれていますが、本来は3.8mあるそうです。
現地看板によると"約2/3は埋もれている"との事ですが、僕が見た感じでは4/5は地中にあるような気も・モグラ

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閑谷学校を出て、海の方向へ南下しますDASH!


瀬戸内海に近づいていきます波

ここは閑谷学校と同じく備前市ですが、海に面した日生(ひなせ)地区です。
前々作の片上鉄道の始発地だった片上港より東に位置し、兵庫との県境にある街です。

この日生に『港の見える丘公園』という横浜と同名なw公園があるとの事で、Wo号で登ってみますDASH!

頂上近くにある駐車場から、さらに徒歩で少し登ると・走る人

お~
眼下に広がる瀬戸内海の島々、なかなかの絶景です虹

↑日生の街も一望の下目

そして東へ目を転じると、↑完成したばかりだという、すぐ対岸にある鹿久井島とを結ぶ“備前日生大橋”が姿を現しています波

↑近頃ツーリングで海沿いの展望スポットに行くと、↑な”鐘”をよく見かけます。ここのは“幸福の鐘”というそうです^ベル

↑赤穂線・岡山県側での主要駅としては最東、日生駅です電車

駅の前を走る道は国道250号、兵庫・明石から岡山市まで瀬戸内沿いに東西に結び、国道2号からみれば浜側を走ることから通称”浜国道”と呼ばれていますうお座

その浜国道を東へ走り、Wo号は↑県境を越え、兵庫県赤穂市に入りましたフラッグ

兵庫県に入ってすぐ、↑国道から外れ、県境近くの集落へ。
当地へ来たからには是非寄っておきたい『駅』がありますひらめき電球

↑その『駅』です。
JR赤穂線・備前福河駅ですチューリップ黄

赤穂市の中心にある主要駅の播州赤穂駅から西へ2駅目、県境の無人駅ですが、なぜ僕がこの駅に来たかったのかというと・ナゾの人

先程、『県境を越え、兵庫県に入った』と書きました。
でもこの駅、”備前”を冠しています。
その訳は~サーチ

↑の説明板に注目目

この駅の周辺は元々、先程走ってきた岡山県和気郡に属する村でしたが、1963(昭和38)年、現在でも珍しい『県際合併』をして兵庫県赤穂市へ編入されました。しかし駅名は、開業当時岡山県だった時の”備前”がそのまま残っていて、所在県と旧国名が違うという珍名駅です星
(※同駅の他、JRでは紀勢線の三重県南部の駅で旧紀州だった数駅が”紀伊〇〇”となっている例等もあります)

しかし、↑の解説板を読んで興味深いのが、『住民の長年の願いがかない・』というくだり。この地区の人々は、なぜそんなに岡山から兵庫への移籍を望んでいたんでしょうか(謎)

県際合併は当該市町村の合意に加え、双方の県議会・知事の承認がいる等、ハードルの高い手続きが必要です。
先般の平成大合併時には、長野県山口村が隣の岐阜県中津川市へ合併した例等もありますが、戦後では全国でも数例しかありません。

そこまでして合併を成し遂げた、この集落の人々のパワーの源とは何だったのだろう・カメ

↑そんな備前福河駅、片面ホーム1線だけの駅です。電車は毎時1本程(2015当時)あります。
ちなみにこの駅の1日あたりの乗客数、近年は50人程で推移しているとの事汗

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まだ日没まで少し時間あったので、兵庫県最西端の"岬"へ寄ってみます。
その名も“赤穂御崎”といいます波

↑は浜国道から外れて御崎へ向かう途中ですが、なんか工業地帯っぽい道です。
”赤穂”といえば赤穂浪士討入りのイメージが強いですが、意外と工業も盛んで、京阪神からの程よい距離や安い地価を武器に、同市ではいろんな工場を誘致しています。
又、赤穂市は水道代が全国有数に安いというのも大きなセールスポイントです。蚊取り線香等の防虫剤でおなじみ、アース製薬の本社も赤穂にありますぶーぶー

↑岬の駐車場に着きました駐車場
日本最古かつ最大の国立公園、瀬戸内海国立公園にも指定されている名勝、赤穂御崎です。

御崎の園地に立つ↑銅像は、大石内蔵助・出立の像です。
1701年、江戸城"松の廊下"事件でお家取潰しになった赤穂城主・浅野家。その家老だった大石は残務整理の後、この御崎から京都・山科へ隠居するため出立。
山科で過ごす中でお家再興は絶望的だと知るや、主君の仇・吉良を討つ計画を着々と立て、同志を募って江戸へ。そして、有名な”討入り”決行となる訳です。

知られざる兵庫西端の岬・赤穂御崎、歴史の波に洗われた過去を秘めています。

赤穂御崎からの瀬戸内海は~

↑先程の日生からの光景にも負けない程、見事な大パノラマです波
姫路市の沖に浮かぶ家島諸島や、香川・小豆島も見えます目

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御崎を出て、赤穂市内へ入ります馬
↑赤穂城のお濠の横を通り、駅前の方向へDASH!
デジカメなのでかなり明るく写ってますが、まもなく日没、赤穂市内は又、次の機会に譲りたいと思います。

↑播州赤穂駅前で、日没を迎えましたお月様


さすが赤穂、↑駅の土産屋さんや駅そば屋さんも『討入り模様』いて座

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↑山陽道・赤穂ICでゴールとします。高速の人となり、帰京します星空

2作に亘りおおくりした、片上鉄道&閑谷学校を中心とした岡山ツーリングでしたグッド!
今回はいつものように無理な日程にせず^目的地を絞ったので、その分各目的地でゆっくり過ごすことが出来ましたお茶

比較的地味なイメージもある兵庫~岡山の県境一帯でしたが、知られざる名所が数々あります。今後も小出しに訪れたいと思っております^虹







(※2023.2 2024.7 文一部修正)