マレーシア旅シリーズ、第2回です^
前作・初回は航空便乗継でのドタバタが中心になってしまいましたが、今回よりいよいよ、マレー旅本番(?)へ入っていきます
まず最初に、マレーシアの簡単な概要を、箇条書で挙げてみます
①多民族国家。
②イスラム教が国教。
③形式上の国王(スルタン)を置くが、立憲君主制の民主国家。
④元々マレー人の地だが、華人(※中国系)が同国人口の約1/4を占めている。
⑤イギリス植民地だった期間もあるので、英語がよく通じる上、マレー語もアルファベット表記。
⑥先の大戦で日本が占領していた時期もあるが、今は親日国。
⑦東南アジア諸国の中では治安が比較的良い。
上記を頭の片隅に置きつつ、すすめていきます(※同国の歴史は、後程ペナン州博物館のところで言及)
ではスタートです
前作は、ペナン島の中心都市・ジョージタウンの『コムタ・バスターミナル』へ到着して・
新旧の賑やかさが混沌とした、コムタ横のチャイナタウンを歩き出したところで終わってました。
今作はこの続きからです
コムタを出発、↑チャイナタウンをしばらくすすんでいくと~
街角に突如現れた、↑清楚なつくりのイスラム教モスク
こういう光景、本シリーズでこれから何度も出てきますが、ランダムに次々現れる世界各宗教の寺院・教会。これがマレーシアの面白さの一つです
1801年に創建された、↑カピタン・クリン・モスク。
交易でペナン島に住んでいたインド人ムスリムが建てたと伝わり、ペナン島最大のモスクです。
(※現在のモスクは1916年に建て直されたものです)
↑門の横には、数カ国語で解説板がありました(※日本語も)
マレーシアでは、他のアジア諸国より日本語の案内が多めな気もしました
番人のかたの許可を得て、中に入らせて頂きます。
(※ここに限らず、モスク見学は、観光客見学の可否、服装制限や立入可能区域を要確認)
礼拝堂内には絨毯が敷かれ、毎日5回の礼拝時間には地元の人がお祈りに訪れます。
異教徒の見学者は堂内の絨毯内へは立入禁止で(※ここに限らずモスクは大抵こう)、外周の廊下から見学します。
世界中のモスクには必ずあるんですが、↑礼拝前に手足や顔等を清める沐浴場です
僕は思うんですが、この”礼拝前に水で体を清める”習慣、日本と共通したものも感じます。
モスクといえば僕は、ムスリム国家を初めて体感した2007年のモロッコ旅で見学した、カサブランカのハッサン2世モスク(※vol.21参照)を思い出しますが、偶像崇拝の無いイスラム教のモスクの堂内って、ホント何もありません。
あるのはただ”祈りの場”だけ。自身の”心の中の神”へ向かって祈るような感じなのでしょうか
モスクには、↑ミナレット(尖塔)も欠かせない設備です。
ミナレットの入口(※ここは内部非公開でした)には、コーランの一節(だと思います)が約10カ国語に訳されて掲出されていました。日本語もあり、"時にかけて誓う。本当に人間は、喪失の中にいる。信仰して善行に勤しみ、互いに真理を勧めあい、また忍耐を勧めあう者たちのほかは"、とありました。
日本人にはなかなかとっつきにくい面もあるイスラム教ですが、仏教や他の諸宗教と教えの根本は同じです
カピタン・クリンモスクをあとに、ジョージタウンの歴史探訪へ引続き歩きます
しばらく歩くとチャイナタウンは途切れ、↑古い倉庫が並ぶ通りに。
マレーシアは治安が比較的良いので、海外での通常の注意を持てば、日中なら少々裏通りも大丈夫です(※2014当時)
↑壁のあちこちに、元々あるシミや突起・凹凸などを生かして絵が描かれています
猫の絵もあちこちにありました
↑は特に良く出来てると思ったアート。バイクは本物の古い廃車体で、乗っている人間は扉に描かれた絵です
これらは『ペナンウォールアート』といい、ジョージタウンのあちこちで展開されている街おこしの一環で、他にも街のあちこちで沢山の楽しい壁面アートを見かけました。これを見て廻るのもペナン観光の一つになっているとの事^
島内でよく見かけるのが三輪自転車タクシー・↑トライショー
客席に造花などの飾り付けをしたり、音楽を流しながら走っている車もあります
(※マレーシアの他の観光都市でも走っています)
タイではトゥクトゥク、ベトナムでシクロ、インドではリクシャ等の"軽車両タクシー"に相当するもので、こういう車で街を廻るのも"東南アジア体験"になって楽しい(※但しボッタくりに注意)
↑まるで19世紀にタイムスリップしたかと思うような通りも
映画のセットのような界隈もあり、ホント楽しい街ブラでした。
ジョージタウン、さすがは街丸ごと世界遺産に指定されているだけの事はあります
次は、この近くにある中国寺院を見ようとガイドブック頼りに来てみましたが、↑残念ながら改修工事中でした。しかし門には、↑世界遺産マークと解説文がしっかりと掲示。
ジョージタウンでは今、世遺指定をうけて歴史建造物の化粧直しが急ピッチで行われています
わかりにくい写真ですが、↑の道路右側が海岸です
ジョージタウン市街地の海岸沿いには、この島の歴史を物語る、現在も”現役”の歴史的遺産があります。それは・
↑写真の看板にもありますが『姓周橋』、”周さん一族が暮らす桟橋”(Chew's Jetty)が海にむかって延びています。
後述しますがこのほかにもいくつか、家系ごとに暮らして生活の場としている、木製の"居住桟橋"がペナン島にあります
1mほどの木で出来た通路の両脇には、家や店がびっしりと並んでいます。木の通路の下は海、ここは"桟橋の上"なんです。
その昔、中国からペナンへ渡ってきた華人たちが、一族ごとに桟橋をつくり両脇に家を建て、水上生活をしている場所です
このような桟橋はジョージタウンに6本程あり、それぞれ『林さんの桟橋』、『陳さんの桟橋』等、一族同士集まって今も生活しています。
中でも↑の『周さんの橋』が一番観光化されていて、土産店やカフェ等が並んでいます
しばらくすすむと、↑店が途切れて海が見えてくる場所もあります。
店が無いと、ここは海の上だと実感します^
観光化されているとはいえ、ここは周さん一族には現在も生活の場。中には撮影禁止の札を出している家もあったので、見学する際は注意書き掲示に注意し、マナーを充分守ることが必要です。
↑桟橋の突先まで、陸から約300m位あります。
対岸は約3km先に、マレー半島側のバタワースの街があります。
この”周さん桟橋”、欧米人観光客が沢山来ていました。なおこの周さん桟橋、民宿まであって、水上宿泊体験も出来ます
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周さん橋の次に、観光化されていない同族桟橋を一つおじゃましてみます^
周さん橋のお隣にある、林さん一族の桟橋です
この桟橋は、すぐお隣の橋が観光客で賑わっているのがウソのような静けさでした。お店は全く無く、洗濯物が干してあったりして、ホント”素の水上生活の姿”が窺える桟橋です。
↑写真、わかりにくいですが桟橋の左に黄色いフェリー船が停泊。対岸のマレー半島・バタワースと結んでいるフェリーです
林さん橋の突先は、↑な感じ^
林さん橋の入口に、↑の写真が掲出してありました。
1910年当時の古写真との事。現在以上に家屋が密集しているのがわかります
東南アジア各地でみられる"水上集落"、なかなか旅行者が訪れにくい場所でもありますが、ペナンはある程度観光客を受け入れる素地があるので、マナー厳守の上訪問可能です。
同族桟橋見学を終え、再び海岸沿いの通りを歩きます
同族桟橋の隣にはバタワース行きフェリー桟橋があり、そこにはバスターミナルも併設されています。
ペナン島内のバスは大抵ここ『JETTY(桟橋)バス停』が起終点になっています(※コムタ・ターミナルには往路or復路のどちらかで通る)
JETTYのすぐ近くにある↑の洋館は、税関の建物です(※1907年築)
街全体が世界遺産指定のジョージタウン、イギリス統治時代を彷彿とさせる建物が次々と目に飛び込んできます。
ロータリーの真ん中にあった↑の塔は、『ビクトリア・メモリアル時計塔』(※1897年築)
余談ですが、ペナンを歩いてると↑マックのステッカーを貼った車をよく見かけました
この車でドライブスルーすると何か特典があるんでしょうか?w
ビクトリア時計塔からすぐ、道路沿いの駐車場の奥に、↑煉瓦を積んだ古い壁がみえてきました。ここは・
ここは昔の要塞跡なんですが、どこが入口かと探したら、奥まった所に↑吊り橋のような通路発見、内部への入口のようです
↑は『コーンウォリス要塞』、現在に至るベナン発展の歴史、その基点とも言える場所です。
ここはガイドブックに大抵"ペナンきっての名所"として紹介されていますが、内部は案外地味ですw
↑壁沿いには、かつて護衛の兵士が詰めていたであろう小部屋が並んでいます。
現在この小部屋は展示室として使われ、資料等がありましたが、残念ながら内容は紹介するには少し不足気味でした
それよりもこの要塞の楽しみ方は、壁ごしに外を見渡して、イギリス植民地時代の往時に心馳せることだと思います
要塞の外は、↑道路を挟んですぐ海、対岸のマレー半島側に幾門もの大砲が砲口をむけています。
かつてはこのマラッカ海峡、海賊が群雄跋扈していたと言われています(※現在でもタンカー等を襲う海賊がこの海域にいて、国際問題にもなっていますが)
精緻な文様が施された、↑芸術性も高い大砲です。
コーンウォリス要塞、この名はペナンを交易の拠点としていた東インド会社(※社会科で習った^)提督の名前だったそうです。
ここに英国王室直属の砲兵隊が駐屯していたそうですが、実際の警備は主にインド人の傭兵が担当していたとの事です。
スーベニアショップをひやかした後、要塞をあとにします
要塞を出て、しばらく歩くと・
今度は、↑白亜の美しいキリスト教会が
セント・ジョージ教会(※1818年築)
東南アジア最古の英国式教会といわれています
セントジョージ教会すぐ近くには、↑ペナン州立博物館があります。
なんせ街全体が世界遺産なので、名所がこれでもかこれでもかと連続で現れます^
博物館の庭には、ペナン島の中心・ペナンヒルに登っていた、↑ケーブルカーの初代車体が保存されています。
(※ペナンヒルへのケーブルカーは現在は最新型に更新されて走っています、次作で乗ります)
この博物館の建物も、元々はイギリス時代に学校として建てられたもので、歴史的価値が高い建物です。
では内部を見学します
博物館は2階建てで、1Fは主に美術品や小道具などが、イギリス・中国・インドなど各文化別に展示されています。
交易の中心地であったと共に、世界中の文化の交差点でもあったペナン島・ジョージタウンの歴史を凝縮して体感できる場所です。
英国人社会/華人社会/イスラム社会とともに、インド人社会も重要な位置付けのコミュニティという事で(※現在でもそうです)、↑インドの部屋も
↑そして2Fへ上がると、ペナンの近現代史の資料がありました。なかなか興味深い展示でした
そして、↑日本に関係ある展示も。
先の大戦時、短期間ですが旧日本軍がマレーに侵攻し、ペナン島にも上陸、軍政を敷いていました。
しかしマレー人の独立運動が高まり、1948年に英保護国的な『マラヤ連邦』が発足。
そして1963年、ボルネオ島の一部とシンガポールを加えたマレーシア連邦として独立を果たしたとの事です。
(※1965年、シンガポールが分離独立)
↑独立当時の人々の生活などを再現したコーナーもあり、貴重な展示だと思いました。
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宿のチェックイン可能時間になったので、荷物を置きにいきます
↑安宿の集まっているlove roadへ。19世紀ヨーロッパの長屋街のような佇まいです。
着きました、↑が本日の宿(red inn)です。まさにオールドペナンという感じの、ひなびた外観でした(※中は普通の安宿でしたけどw)
宿でしばらく休憩してから、夕方の街歩きで出掛けますが・
今作ここまでです!
次作・シリーズ3回目は、ペナン島最高峰(?)のペナンヒルをケーブルカーで登ったり、ペナン島のもう一つの顔、リゾートの雰囲気もチラッと覗きに行きます。お楽しみに^
(※2023.1 2024.6 文一部修正)