昭和期には全国の都市でみられた『路面電車』ですが・
昨今、環境や高齢者にやさしいとして見直そうという機運が出てきています
日本の路面電車は、高度成長期にあった昭和40年代、モータリゼーションによって道路から追い出されるかたちで次々に廃止になっていきましたが、一方ヨーロッパ等では逆の思想で、都心から車を締め出し、様々な支援策によって路面電車を維持発展させる傾向となっています。
日本でも近年、こうした諸外国の流れが伝わりはじめ、又、路面電車が現存している地方都市では、"せっかく残っている路電を再生させよう"という機運が起こってきました。
まさに今、"路面電車ルネサンスが"日本で始まりかけています
そんな中、2006(平成18)年、日本初の本格的LRTとして『富山ライトレール』が、旧JR富山港線の軌道敷を引き継いで営業をはじめました
(※LRT=高性能低床車両や専用軌道化等で定時性/快適性/バリアフリー性を高めるなどした、次世代型路面電車システム)
初乗車すべく、富山まで行ってまいりました
やってきました、JR北陸線・富山駅です
↑かつての月光型寝台電車(583系)を改造した通称"カマボコ電車/食パン電車"が現役で走っています(※2009当時)
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↑富山駅北口に出ました
富山駅のメイン口は反対側・南口なので、ちょっとこじんまりした感もうけます^
この北口から、これから乗る富山ライトレールが出ています。
富山市の未来、そしてもっといえば我が国地方交通の未来を占う乗り物です。
駅前のりばに、↑早速入ってきました
↑富山ライトレールの車両です^
開業時に7編成新造され、ヨーロッパのLRTを思わせるスマートな車体です
富山ライトレールは2006年、旧JR富山港線を全面改修し、LRTへ転換開業しました。実はこの計画、"言い出しっぺ"はJRだそうですが、富山市が全面的にバックアップし、運営会社も同市が筆頭株主となる第3セクターで設立されました
ちょうど先日行われた総選挙期間中に行ったので、各政党の幟がはためく駅前
発車しました!
富山駅北口を離れていきます
まずはいきなり、新設された道路上を走る区間です。
路線の大半は、前述の旧JR富山港線の軌道敷を利用していますが、富山駅から奥田中学校前までの一部区間は、新設した路面軌道を走ります。
路面区間の一部は、↑線路の中に緑(芝生?)が植えてあり、路面電車のエコなイメージを演出しています
軌道幅は旧富山港線時代と同じ、1067mmです。
富山~岩瀬浜間約8km、全15駅を結びます。JR時代は10駅だったので、1.5倍に増えました
富山駅を出て1駅目は、↑路面区間唯一(※2009当時)の途中駅、インテック本社前駅
路面区間なので、渋滞に巻き込まれたり信号で停まるのも車と一緒です^
そして2駅目の手前、大きくカーブした線路は~
道路から外れて・
旧JR富山港線から引き継いだ、↑専用軌道敷に入りました。
専用軌道に入って最初の駅が、奥田中学校前です。
そして専用線駅2つ目が、↑粟島(大阪屋ショップ前)駅です。
この『大阪屋ショップ』は駅の隣にあるスーパーで、ネーミングライツを提供しています
粟島以北は、JR時代の路盤をほとんどそのまま使っているため、線路はかなり高規格です。車両の新しさと相まって、乗り心地は抜群です^
ワイドな前面窓で、運転しやすそうな運転台
運転席横にある↑料金機、ワンマンバスとほぼ同じものです。
紙幣のほか"バスカ"というライトレール専用ICカードも使えます。
運賃は現金だと全線200円均一ですが、パスカだと160円に割引になります。2割引とはかなりの割引率だと思います(※2009当時)
さらに高齢者には、半額になる"シルバーパスカ"もあり、富山に住むなら必須アイテムです
次駅や各種案内は、↑前後にある液晶画面で表示
車内はクロスシートが配置され、短い乗車時間でも居住性に配意した車内となっています
全線単線(※JR時代のまま)ですが、半数以上の駅には離合線が設けられていて、キメ細かいダイヤが可能になっています。
2009現在、昼間は15分間隔で運転されていて、JR時代の倍以上となったそうです
一路、終点の岩瀬浜に向かって走るLRT車
終点、岩瀬浜駅に到着
岩瀬浜&蓮町駅からは『フィーダーバス』と呼ばれる接続バスも出ていて、地域の足を面的に広げようとする試みも実践されています(※運行は富山地鉄バスに委託)
ライトレールの各駅には、↑側壁を利用して各々の駅ごとの特徴や歴史を描いた壁画を掲げています。この岩瀬浜駅は海が近いので、日本海を往来していた"北前船"のデザインです
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岩瀬浜駅の周囲を少し街ブラしてみます
まずは・
"岩瀬浜"という事で、まずは海の方向へ
↑岩瀬浜です
静かで広々とした砂浜、真夏は海水浴場として賑わいます
遠くに見えるのは、立山連峰です
夏の終わりという事で、海の家の撤収作業をやっていました。
なにやら怪しげなミッキーマウスの絵がw
次は~
線路沿い、↑"カナル会館"の看板に誘われて行ってみると・
"カナル"はcanal(運河)という事で、すぐ横に岩瀬運河が流れていることからこの名だそうです
内部は、富山の物産店とレストラン街で、"道の駅"と同様の施設です
カナル会館の近くには、↑"ノーベル街道"の看板が
この案内板によると、日本人ノーベル賞受賞12人(※2009現在)のうち4人が、富山市から岐阜県に至る国道41号沿いに生まれたという事で、この名なんだそうです。街おこしのネタって色々あるもんですw
↑岩瀬運河を渡るライトレール車
カナル会館近くに、古い街並があるという事で、その方向へ
北海道等でもみられますが、ロシアからの船も着く事が多い富山港という事で、標識にロシア語が併記されています。
重厚な↑料理旅館が見えてきました。
ここから、大町新川町通りに入っていきます
落ち着いた佇まいの家並みがつづきます
この通りから少し外れるとすぐ海で、↑富山港展望台もあります。
独特な形をしたタワーですが、近くの神社の常夜灯からデザインされたという事です
電柱が地下化され、スッキリとした街並みです
この街道で一番のスポットが↓
ここ岩瀬で、北前船の廻船問屋を営んでいた、森家住宅です(※国重文)
当時の豪商の資金力や、地域の中での勢力が偲ばれる豪邸です。
その森家の隣の銀行も、街並に合わせレトロに改装されています
約1kmある古街を歩き終えると~
岩瀬浜駅終点から2駅目の、↑東岩瀬駅がみえてきます
この瓦屋根平屋の駅舎、旧国鉄富山港線時代から残る唯一のものです。JRからの引継工事の際、ほとんどの途中駅舎は取り壊されてしまいましたが、1駅くらい残そうという事で、同駅は保存される事になりました
現在は休憩/待合室として活用されています
(※同駅舎は富山市文化財に指定)
旧国鉄/JR時代のホームも、併せて保存されています。
柵のむこうに見えるのが、新たに整備されたライトレールのホームです
ライトレールは路電で低床のためJR時代のホームは使えず、同駅保存のもの以外全て取り壊されました。
ライトレール概要の続きですが、元々同線は、1924(大正13)年、"富岩鉄道"という私鉄で開業、後年国有化されたものです。
富岩鉄道→富山電気鉄道→鉄道省→国鉄→JR西日本→富山ライトレールという、まさに時代の変化と共に、めまぐるしく運営主体を変更しながら生き残ってきた鉄道です
(※2022追記:さらに2020年には富山地方鉄道と合併、同社の一路線となりました。ラストに後述します)
↑左の柱にある駅名版、JR西日本で現在も使われているタイプです。JRだった頃の名残をとどめる東岩瀬駅です
このホーム、ほかにも数々、JRの痕跡が残されています。
↑の"ワンマン列車乗車口"もJR西日本が取り付けたもの(※JR時代末期はワンマン運転だった)
↑屋根には小さなJR時代の運賃表も。乗務員さん用だったと思われます
旧国鉄の盲腸線を、最新鋭のLRTに大改造という日本初の快挙を成し遂げた富山市。将来の地方都市交通の姿を先取りしているのかもです^
ホームには接近案内も装備
ちなみにライトレールの車両は7編成あり、各々1編成づつ、虹の7色に塗られています(※2009当時)
ベースの白は、立山連峰の雪を表しています
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さいごに、車庫と本社のある城川原駅に降りてみます
この駅は富山と岩瀬浜の中間に位置し、国鉄時代もここに車庫がありました。
広々ととられた線路配線に、国鉄時代の名残が感じられます。
↑架線設備も、JRそのままです
国鉄/JR時代の車庫は取り壊され、ライトレール仕様の車庫が新築されました
城川原駅には、ライトレールの本社があります(※当時)
1Fには受付のほか、同社グッズを売る売店もあります
そして、城川原駅のホーム壁には、↑の写真が
国鉄時代の、冬の朝の通勤風景と思われます。
雪の朝、駅へ急ぐ人々が写っています。写真には"みんな走ってた"との文も。活き活きとした昭和の富山港線が写っていました。
時代は変化し、LRTとなった富山港線。ライトレールはこれからも地域の足として活躍を続けると思います
健闘を祈ります、富山ライトレール
再びカマボコ電車に乗り、富山をあとにしました
☆2022追記
本文中にも少し追記しましたが、2020年に富山ライトレールは、元々富山市内を走っている富山地方鉄道の市内線と相互乗入を開始し、会社そのものも富山地方鉄道と合併、発展的に解散しました。
市内に路線を網羅する富山地鉄との乗入が実現した事でライトレールの利便性も飛躍的にupし、全国交通系ICカードも使用可となる等、現在も進化を続けています。これには、鉄道を生かす街づくりを強力に推進した同市の森市長の功績が多大だと思います。同氏はこの実績が高く評価され、交通文化賞を受賞しています
(※2022.3/2023.11 文一部修正)