こんにちは、まるこです
先日、パナソニック汐留美術館に「ギュスターヴ・モロー展 サロメと宿命の女たち」を観に行ってきました
展覧会の感想や購入したグッズなど、書きたいことを思いついたままに書いていきたいと思います
興味ある方どうぞ最後までお付き合いください
ギュスターヴ・モロー展 サロメと宿命の女たち
ギュスターヴ・モロー展について
こちらの展覧会はギュスターヴ・モローの女性観に焦点を当てた構成となっていました。
彼にとって最愛の女性である母への愛、聖母のように純潔だった恋人への愛、”ファム・ファタル(運命を惑わす宿命の女)”への畏怖と憧憬、純潔な聖女への憧れ…などなど、女性の多面性をさまざまなアプローチで描き出した画業を見ることが出来ました
モローのメモ
初めの方に、モローが母に宛てて書いた手紙というかメモの展示がありました。
彼は身の回りの世話など母に任せっきりで”マザコン”という評価もあるみたいですが、描いた絵の説明をいつも母にしていたそうです。
母が年老いて耳が遠くなると、作品を説明するため筆談のように手紙を書いて見せていました。その手紙の現物が展示されていました。
母のために書かれたものですが、今となっては彼の制作背景を探る貴重な資料となっているなんてありがたいです
それがまたとても詳細に丁寧に書かれていて、真面目さとか母に頭が上がらない感じ?とか伝わってきます。その細かさがゴッホ→弟テオへの手紙みたいだねって思った
モローの恋人
モローが母の他に唯一大切だった女性、恋人のアレクサンドリーヌ・デュルーに関する絵や写真の展示もいくつかありました。
彼女は”修道女のように純潔で聖母のような存在”だったそうです。
素描《雲の上を歩く翼のあるアレクサンドリーヌ・デュルーとギュスターヴ・モロー》では、三頭身でマンガのように二人が描かれています
彼が生涯描き続けた”ファム・ファタル”像とはまったく異なり、とても可愛くほっこりしたイラストでした彼女との関係は、仕事とは離れて本当に安らげる存在だったのかもしれません
どちらかが死んでも、二人の死後にまた再会し、子供に返って永遠に幸福を楽しんでいるように見えて…そんな希望を描いたのかもしれません。
10歳くらい年下の彼女でしたがモローより早く亡くなってしまいました
一緒のお墓には入れなかったけど、モロー自らお墓をお揃いのデザインで作ったりなど、家族同然にお付き合いしていたのが分かったし、彼女が亡くなった時のモローの悲しみはどれほどのものだったろうかと想像したら…ギュッとした気持ちになりました。
さまざまなサロメ
モローはそれはそれはたくさんのサロメを描いてきました。
皆それぞれ違った視点からアプローチして表現していたように見えました
あるサロメは東洋風の衣装で描かれ、「神秘的な性格を持った巫女のような宗教的な魔術師のような」性質を表象しているようで、祈るようなポーズをさせていました。
特に東洋風の文様は、様々なビジュアルソースを緻密で繊細に模写をして研究し、発展させているようでした。
そうしたモチーフは一つ一つに何か意味があるようでじっくり見入ってしまいます飽きません
また、ファム・ファタルとしてではなく”(男性に)見られる対象としての存在”にフォーカスしたサロメがあったり、洗礼者ヨハネの断首時にヨハネに対するサロメの微妙な心理を強調するようにサロメの横顔のクローズアップを描いた作品もありました。
”サロメ”という一人の女性を通して、さまざまな角度から女の多面性を研究・表現しようとしていたように見えました。
お目当ての《出現》
この展覧会の一番のお目当ての《出現》は結構序盤に登場してくれました
サロメの鋭い視線、強い意志を象徴するような指先とポーズ…聖書の”母にそそのかされたサロメ”とは全く別人としての”ファム・ファタルとしての”解釈と表現に目も心も奪われました
また、洗礼者ヨハネの存在感もすんごかったです神々しさ、何かを訴える目、何かを言いかけるように開いた口元…
絵画作品としてこうした表現でサロメと洗礼者ヨハネを描いている画家は他にはなく、かなり珍しいですね。
この宙に浮かぶヨハネの首は、周囲に描かれた人たちが何も気にしていない様子から”サロメにしか見えていない幻影”と考えられ、サロメの幻視だと言われています
そう考えるとまたサロメのヨハネに対する歪んだ異常な愛情をゾワゾワと感じてしまいます
絵の中のヨハネの首から滴る血やサロメの宝飾品の箇所には絵具が厚めに乗せられているので、立体的で照明に反射してつやが生まれて本当に血が絵からあふれているように見えたし、サロメが本物の宝石を身に着けているようにきらめいて見えてドキッとしました
こちらの作品、思っていたより大きくて…見つめていると絵の中に入ってしまいそうでした。
本当に離れがたかったです
モローの女性観~ファムファタル~
モローの言葉によると、「女というのはその本質において、未知と神秘に夢中で、背徳的悪魔的な誘惑の姿をまとってあらわれる。悪に心を奪われる無意識的存在なのである。」なのだそうです。
なかなかこじらせている感はありますが、なんだかとっても偏っていて「お前一体何があった
」と聞いてみたいものですが…
でもこの解釈は嫌いじゃない
そんな彼の描いたファム・ファタルたちがずらりと並べられていました。
…って言ってもね、デリラとかスフィンクス、セイレーンなどはファム・ファタルっていうの分かるけど、レダとかバテシバがファム・ファタルくくりなのは元ネタ的にも「んっ」って思いました
特にレダを描いた2枚はかなりモローの妄想入ってるなって感じ(ディスってない)
1枚目はレダが白鳥(に扮したゼウス)に自ら肩を回していて見ようによってはレダが誘ったみたいに見えたし、2枚目はレダの股の間に白鳥(ゼウス)が乗っかってて恍惚の表情でいらして…
レダをファム・ファタルとして解釈して脚色して演出加えてる感じでした。
あ、でもそれがモローなんだろうと思いました
純潔の乙女
展覧会は《一角獣》と純潔の乙女というテーマで締めくくられました。
一角獣(ユニコーン)は本来獰猛な動物で、どんな屈強な男でも捕まえられないとされています(空想だけど)。
そして唯一一角獣を捕まえられるのが”純潔の乙女(処女)”です(そういう設定です)。
純潔な処女の前では獰猛な動物もへにゃへにゃ~ってなっちゃうのだとか(誰も見たことはないけど)
ファム・ファタルを多く描いてきたモローですが、純潔な乙女もまた描きました。
彼は最愛の母と聖女のようなデュルーに愛され、やがて彼女たちを失いました。
女性の多様性を畏怖と憧憬をもって描く中で、心境にどんな変化があったのでしょう。
ミュージアムショップと購入したグッズ
こちらのミュージアムショップはそれほど攻めたラインナップではありませんでした。
(ディスってない逆に無意味な散財しなくて済んで感謝
)
私が購入したのはこちら
図録とポストカードたちです
図録は初めから買うの決めていましたが、表紙がとってもかっこいい
背景の線描がでこぼこ加工印刷されてるの
この表紙の額絵があればそれも欲しかったくらいです
ポストカードは発色がめっちゃきれいで素晴らしいです
他にチケットファイルや一筆箋、マグネット、トートバッグなどがあったかと思います
どれも普通なんですけど(←ディスってない)、大きな展覧会に比べて良心的な価格設定に思いました
マティスとルオーとモロー
モローは結構家に引きこもって絵を描いていたと言われてますが、62歳で美術アカデミー会員に選ばれ、64歳で官立美術学校の教授となってます。
今回その辺は語られていなかったのでどんな変化があったのか興味あります
彼の門下生にマティスとルオーがいるということは知っていたのですが、あまりにも画風が違うので、違和感あったんですよね
しかし今回展示の最後にこちらの美術館所蔵(多分)のルオーの展示と共にモローとの関りについて語られていました。
モローは”個性を尊重し、才能を自由に伸ばす教育方針”だったらしく、ルオーはモローから「色彩についての創造力」と「マティエールへの志向と直感」を受け継いだのだそうです。
ちなみにギュスターヴ・モロー美術館の初代館長はモローの遺言によってルオーが務めていますなんといい話
ところで今回これほどのモロー作品が日本で見られたのはギュスターヴ・モロー美術館が改装中だからつまりこれほどまとめてモローの作品を見られるのは今だけ(多分)
ぜひお見逃しなくですよ
おわりに
まるこからは以上です。
想いが強くてなかなか全てを放出できなかった不完全燃焼感はありますが…頑張って書きました
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます
同日に出かけた東京都美術館「クリムト展」と国立新美術館「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」について書いたページもあります
良かったら見てね見てね
最後に大切なおしらせ
最後までお読みいただきありがとうございました
「私もモロー展行ったよ」
「私も展覧会行こうかしら」
「ファム・ファタルいいね」
「まること美術館デートしてるみたいだったよ」
などなど、思ってくださった優しいあ・な・た
べ、別に、いいねしてって欲しいわけじゃないんだからねっ
そしてごめんなさい、最後に露骨に宣伝します
まるこは「ストーリーを身にまとう」をコンセプトに、ハンドメイドアクセサリーを制作(細々と)販売しています
美術館巡りに身に着けたいシリーズもあるよ
最近の一押しは
クリムト《接吻》モチーフ
《エミーリエ・フレーゲの肖像》モチーフ
モロー/オスカー・ワイルド《サロメ》モチーフ
の耳飾りです
販売ページはこちらからご覧いただけます