いよいよ最後の曲になりました。22曲目「フィナーレ」のラテン語部分を見ていきます。長いので、まとまりごとに補足をちょい足ししながら進めていきます。
JUDEX CREDERIS ESSE VENTURUS
(主が)裁き手として来られることを信じます
IN TE DOMINE SPERAVI NON CONFUNDAR
主よ、あなたに依り頼みます
IN AETERNUM
揺るぎなく 永遠に
SALVUM FAC POPULUM TUUM
あなたの民を救う
JUDEX CREDERIS
裁きを信じています
補足:この部分は「テ・デウム(御身天主を)」という感謝の讃美歌から引用になっているようです。
LIBERA ME DOMINE DE MORTE AETERNA
主よ 永遠の死から私をお救いください
IN DIE ILLA TREMENDA
恐るべきその日に
QUANDO COELI MOVENDI SUNT COELI ET TERRA
天と地が揺れ動き
DUM VENERIS JUDICARE SAECULUM PER IGNEM
主が炎を持ってこの世を裁く日
補足:この部分はフォーレ作『レクイエム』より第6番目の曲「リベラ・メ(我を救いたまえ)」からの引用となっているようです。15曲目「間奏曲(アントラクト)」で既出です。怒りの日(最後の審判の日)のことを歌っているようです。
O SALUTARIS, SALUTARIS HOSTIA
おお 救いの、救いの生贄
QUAE CAELI PANDIS OSTIUM
天国の門を開く者よ
BELLA PREMUNT HOSTILIA
迫ってくる敵との戦いで
DA ROBUR PER AUXILIUM
力を与え援助をもたらして下さい
SIT SEMPITERNA GLORIA
永遠の栄光があるように
SIT SEMPITERNA GLORIA
永遠の栄光があるように
SIT SEMPITERNA GLORIA
永遠の栄光があるように
GLORIA GLORIA!
栄光 栄光が!
SEMPER SANCTUS!
永遠に聖なるかな!
補足:この部分は「オサルタリス(救いの犠牲)」という聖体賛歌からの引用のようです。15曲目「間奏曲(アントラクト)」で一部既出です。
IN EXCELSIS!
(天の)高きところの
補足:カジモドが「サンクチュアリ!」と叫ぶ場面で、カジモドのセリフを受けて聖歌隊が「高きところの」と歌います。とても印象的でぐっとくるシーンです。
DIES IRAE DIES IRAE
怒りの日 怒りの日
DIES IRAE DIES ILLA
怒りの日 その日は
補足:この部分は「ディエス・イレ(怒りの日)」というミサ曲からの引用です。2曲目の「ノートルダムの鐘」で既出です。
OLIM DEUS ACCELERE
いつか 成功の祝福が
HOC SAECULUM SPLENDIDUM
この輝く明るい黄金時代が
ACCELERE FIAT VENIRE OLIM
いつか来ることを期待して
補足:この部分は第一幕1曲目「OLIM いつか」と同じです。
MORS STUPEBIT ET NATURA
死は驚くだろう、そして自然もだ
CUM RESURGET CREATURA
創造物が蘇る時、
JUDICANTI RESPONSURA
裁き手に答えようとするために
SOLVET SAECULUM IN FAVILLA
世界が灰燼に帰すだろう
TESTE DAVID CUM SYBILLA
ダヴィデとシビラが予言したように
QUANTUS TREMOR EST FUTURUS
どれほどの恐ろしさでしょうか
QUANDO JUDEX EST VENTURUS ...
その時裁き手が来るだろう
補足:この部分は「ディエス・イレ(怒りの日)」からの引用です。
前半では「神の審判を受けるため、神の創造物がすべて蘇る”怒りの日(最後の審判の日)”には”死”も”自然”も驚くだろう」と歌います。
後半では、その”怒りの日(最後の審判の日)”について、「ダヴィデとシビラという二人の預言者が予言したように、世界の終末の日に神が現れ、世界が滅び尽きる様子はどれほど恐ろしいでしょうか」とその日への恐怖を歌います。
(※「預言者」とは神から「神の御言葉・教え・考え等(神託)」を預かる人のことを指します。
ダヴィデはミケランジェロのダヴィデ像でおなじみのあの人です。古代イスラエルの偉大な王の一人で、旧約聖書において重要な人物です。
シビラは神託を伝えた女預言者です。もとは古代ギリシャとか古代ローマのお話ですが、ユダヤ・キリスト教に取り込まれる際に設定が変わったりしているようなので興味ある方はウィキペディアで「シビュラの書」「シビュラの宣託」をご覧ください。)
OLIM DEUS ACCELERE
いつか 成功の祝福が
HOC SAECULUM SPLENDIDUM
この輝く明るい黄金時代が
OLIM DEUS ACCELERE
いつか 成功の祝福が
HOC SAECULUM SPLENDIDUM
この輝く明るい黄金時代が
ACCELERE FIAT VENIRE OLIM
いつか来ることを期待して
補足:この部分は第一幕1曲目「OLIM いつか」と同様ですが、このパートは聖歌隊ではなくステージ上でフロリカ(ジェアンの妻)の亡霊が歌います。
以上です。
舞台を観た方はCDを聴きながら確認されると分かると思いますが、シーンごとに曲が変わり、曲調が変わり、登場人物の行動や言葉と対応するようになっているようですね。
終わりに…
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます
私が観劇した時はクワイヤさんたちが何を歌っているのか分からずに見ていました。それでも作品のすばらしさに変わりはないのですが、CDを手にしてラテン語部分を訳して、訳を見ながら舞台を思い出しながらCDを聴くと、ずっと作品の重厚感が増して、さらに大好きな作品となりました。どのシーンにどんな詩を充てているのかを意識すると、その演出の秀逸さに震えます。
今回、ラテン語部分を訳すことで私が受けた衝撃を、「どうか分かる人に分かって欲しい」「分かる人と共有したい」という思いで記事にしました。
(軽度ネタバレ注意)特に私のお気に入り部分は「地獄の炎」です。フロローが「エスメラルダの魅力に取りつかれた苦しみ」を歌う上で聖歌隊は「私は罪を犯しました」と歌います。続いてフロローが「彼女が悪の道へ引きずり込むのだ」と自分の罪を彼女のせいだと強く責め立てる上で聖歌隊は「これが私の過ち」と歌います。
ここで、私は考えました。「私の過ち」と歌っているのは誰なのか…。彼は言葉では「私の罪は悪魔の使いの魔女のせい」と言っています。が、本当は自分の罪を分かっているが認められないのではないかと。。だとしたら痛いですね。キリエエレイソンですね。(※完全に私の主観です。)
ここまで読んでくださった物好きなあなた
ぜひ、あなたの解釈や感想等をお聞かせください
間違いのご指摘も、ラテン語のご教授も歓迎です
どうかコメントやいいね!をよろしくお願いします。励みになります。
(転載はご遠慮ください)
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