「本気」って必要? | 五次元の光

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日々の心配事や人生の悩みなどを少しでも手放せるように、ちょっとしたヒントをお伝えしています。 時に、ライトワーカーとして少しスピリチャアル的なメッセージも交えながら。

「もっと本気を出しなさい。」、

「あなたは本気でやる気・決意があるか?」

「成功しないのは(結果を出せないのは)あなたが本気になっていないからだ。」

 

   という声を時々聞きます。

 


最近、この種の言葉に違和感を覚えるようになりました。


「本気」って何だろう??? 

 

「本気」ってそんなに大事なものなの???

 

 

 

「本気」とは、「冗談ではない本当の気持ち。まじめな気持ち。心からそう思っている様子」だと辞書に載っていました。


よく言われるのは、
 自分が「やる」と決めたことを終始徹底やり抜くこと
 全身全霊で取り組む
 真剣に物事に取り組む姿勢


こういった、一般的に言われている「本気」の定義は、

 社会の中で一定以上の成果・結果を出していくことが望ましいという価値観に基づくもの、

 

つまり社会で「成功」するために必要とされる基本姿勢・態度であると考えられていることが分かります。

 幸せな人生を送るためには必要不可欠なものということでしょう。
 

 

 

「本気になった時、人生は大きく変わる」 

 

 つまり、本気じゃないと何も変わらない!って、本当でしょうか?




それに、「本気」かどうかを決めるのは、

 どうやら自分自身ではなく、相手の方らしいですね。

 

私がいくら「本気です」と言っても、

 「そんなの信じられない」とか

 「それは本気とは言えない」とか

 「本気だったら、こんなことはしない。もっと違うはずだ」とか

 

あくまで、相手の判断基準に基づいて、

 それに合致していなければ「本気」とは認めてもらえない、

  そういうものとして普段使われているように思えます。




そもそも「本気」という言葉が意味すること、

その人がどういう意味で使っているか、

  その解釈は、実はひとそれぞれなのです。

 

「全身の力を振り絞ること」だという人もいれば、

「自然体で今を感じること」だという人もいて、

  どれもその人にとっての正解なのです。

 

自分の解釈を他の人にも押し付けることは適切なことではないのです。

 

たとえ、相手がまだ「本気」とは何かについて自分の定義を持っていないとしても、

「これが正しい、こう考えるべきだ」というのは避けなければならないことなのです。

 

逆の言い方をすると、自分にとっての本気の基準を思考し定めておくことは大切なのかもしれません。

 ここで、「かもしれない」と言ったのは、

 別にそれについてきちんと考え、自分なりの定義づけができていることが必ずしも必要なこととは私には思えないからです。

 なくても構わない、あいまいでも問題ない、そんなものだと思えます。


採用試験で、「あなたは本気でこの会社に就職したいと思っていますか?」

  なんて質問はもはやナンセンスなのです。


部活動や受験勉強で「あなたは本気で取り組んでいるのか?」

「本気を出しているのか?」と発破をかけても意味がないのです。


交際相手や結婚相手に「私のことを本気で愛しているの?」とか

「それって、本気で言っているの?」と聞いても、答えようがないのです。

 


とりあえずそれ以上言われないように

 お茶にごしの適当な答えをされてしまうだけになりがちなのです。

 


“恋愛に本気な男性は言葉よりも行動で示す”

相手が恋愛に本気なのか、遊びなのかをジャッジする目を養うことが大切だ

 という話もときどき聞きます。

 

   本当でしょうか?

 

「言葉」というものはそもそも誰にとっても絶対的・一義的なものではないし、

言葉以前の考えや思い・感情に至っては、当の本人でさえ、

それが本当の自分から出ているものなのかどうかは分からないものなのです。

 自分でたぶんそうだろうと信じるしかないものなのです。

 

「さっきの言葉は嘘だったんだね」と指摘されたとしても、

 その人にとっては、さっきは自分でもそう思っていたし、

 その瞬間においては真実であったのかもしれないのです。

 

その後で違う行動を取ったからと言って、

その人にとっては、そのどれもが、その瞬間瞬間は全て「本気」だったのかもしれないのです。

 

 

「本気は永続的に変わっていかないもの」であるという定義は、

  いつ誰が決めたのですか?

 

あなたは、それを親から教わりましたか?

学校で先生から教わりましたか?

 

 残念ながら私は誰からも教えてもらえないまま今に至っています。


本気かどうかを見抜くには、その人の言動をしっかりとチェックすればよい

 という考え方もよく聞きます。

 

最初に言っていたこととその後の行動が一致しているかどうか、

 これさえもその判断基準は絶対的なものがあるわけではないのです。

 

何が自分にとっての本気かは、

 その人の性格やそれまでの経験・知識、価値観などによっているので、

 それらの部分に対して「(私が思う)本気とは違う」と感じたとしても、

 それがその人が「本気ではない」ということを意味するわけではないのです。

 


なぜ、こんな簡単なことが分からない人が多いのでしょうか?


他者を指導・支援していく人は、相手が本気であるかに関係なく、

 相手にとって最善と思えることを自らの責任において伝えていくことが大切なのであって、

 間違っても「あなたが本気なら私も本気で教える。あなたが本気じゃないなら教えるつもりはない。」となってはいけないと思います。


それは、相手を自分の価値観・自分のやり方に合わせようとすることであって、

つまりは自分自身の支配欲によるものだと思えるからです。

自己満足的に、「私は本気で指導・支援した。」と自分を納得させているだけだと思えるからです。

 


「本気で取り組まなければ成長できない。」ということはありません。

 

赤ちゃんが歩けるようになったり言葉を話せるようになるのは、

  「本気で取り組んでいるから」ですか?

子供たちが学校で勉強するときに、

  「本気度」がその子の将来を左右する重要ポイントになっているのですか?

「本気」で人を好きになったり幸せになりたいと思った人しか、

  幸福な人生を送れていないのですか?

 


「本気」という言葉や叱咤激励は、

時として「今のままのあなたではダメだ」という形で相手に「不安」を与えて、

不安を原動力として一定の方向に動かそうとしていることがあります。

 

 これまでの社会の在り方、いわゆる成功モデルがそれを良しとしてきたからです。



「本気で」「真剣に」「一生懸命」、

 

これらは、「地の時代」には必要だった価値観であったし、

成功法則には必ず含まれていた考え方・姿勢だったとは思います。

 

けれども、
「風の時代」は、もっと軽やかに生きる時代です。

 

「根性」「気合」「努力あるのみ」という精神論はもう通用しない、必要ないものになっていく時代です。

 


「本気」という言葉に込められたそれぞれの思いや定義を、

 

そろそろ見直していく必要があるのではないでしょうか。

 

 


たとえ「うそ気」であろうと、私たちはちゃんと成長していけます。

 自分が望む変化を起こすことができます。

 

  なぜなら、そうなる力を本来的に誰もが持っているのですから。

 

それを強制的に、鞭打って引き出そうとしなくても、

 

 自然な形で、その人その人にふさわしい形とタイミングで発揮されていくのです。



一番大事なことは、自分が最も居心地の良い空間で生き、行動することです。

 

もし、自分は「頑張ること」「本気で何かに取り組んでいるとき」がとても心がワクワクして居心地が良いと感じるなら、

 「本気」にこだわっていくことに何ら問題はないでしょう。

 

そして、頑張ることも本気になることも「ほどほど」であるほうが

 最も自分らしくて居心地よく感じられるのなら、

無理に本気にこだわらなくてもよいということです。

 

 

あなたはあなたが最も自分らしくいられるやり方で、

 自分らしさを光り輝かせていけばよいのです。