「なぜ、私のことを分かってくれないのだろう?」
ずーっと、その思いにとらわれて、自分自身を苦しめていました。
分かってもらえない自分は、愛されるに値しない人間なんだと、
ずーっと勘違いしていたのです。
けれども、
たとえ、目の前の誰かが分かってくれなかったとしても、
いつでも私は神様から愛されているんだ、
そのことを思い出した瞬間、
相手に分かってもらえるかどうかは大事なことではないのだ、と気づきました。
「分かってもらえる」かどうかに関係なく、
私はいつでも私であり、
足りないものは何もないのだ、と。
「分かってもらえない」自分に悩み、
「分かってもらう」ために自分にずっと無理をしていました。
「分かってもらいたい!」という気持ちが、ずっと私を苦しめてきたのです。
相手に自分のことを分かってもらいたい、という気持ちから、
相手からどう思われているかを気にして、自分に自信が持てず、
相手に合わせて振る舞うことが癖になっていました。
こうしないといけない、
こうしたら変に思われるだろう、
笑われるだろうと、
そんなことばかりが気になって、
本当の自分はどこかに置き忘れていました。
けれど、「分かってもらえなくても大丈夫なんだ」ということが分かったとき、
私の心は平安になりました。
いつも自分を感じて、
いつも私でいられるのが
とても気持ちいいと思えるようになりました。