父が危篤だと知らせがあって、施設に行ってきました。
意識はあって、私のこともわかっていたけれど、呼吸が苦しそうだった。
何か言いたげだったけど、言葉にはならなかった。
このところ毎朝、神棚にお参りするときに、父が苦しくないほうに祈ってました。
想いよ届けーって父の顔を思い浮かべながら願ってました。
今日、手を握って、
「お父さんが苦しくないように、毎日祈ってるよ」
って言ったら、うんうんってうなずいてた。
わかってるよっていう感じにうなずいてるのを見て、ちゃんと届いてるんだなって思いました。
このとき↑から何回も、「もうだめかもしれない」と言われては。
コロナで入館が許されていないはずの施設に入れてもらって、直に会って、そばにいさせてもらうことができました。
色んな話ができました。
毎回毎回、もう次は会えないかもなって思ってたし。
会えてよかったって満足していたし。
ゆっくり覚悟していく時間をもらってるんだって思っていたのに。
いま思いのほか悲しくて、悲しくて、そんな自分に驚いています。
私が小学校2年生のとき、学校に行けなくなった時期に、カウンセラーから、毎朝、父を駅まで送るようにとアドバイスされたことがあったそうです。
「学校に行け!」と、外に出すのではなく、朝、父と駅まで歩く。
そしたら、学校に行く行かないは問わないで、家にいたいならいてもいい、と。
あるとき父が言いました。
「聖子、しんどいときや落ち込むときはな、心が欠けたり、ひびがいったりして、丸くなくなってるときなんや」
つないでいた手をはなすと、父は腕を空に向かって突き上げて、伸びあがるようにして続けました。
「だから、そういう時はこうやって手を思いっきり上げて、心が丸ーくなりますようにって、息を吐いて吸ってな」
空に向かってあげた腕を、身体の横に半円を描くように広げて戻しながら、深呼吸して言いました。
「やってみ、心が丸くなって、楽になるから」
8歳の私、そんな父を、恥ずかしいなーと思って見てたのです。
背広姿の大きな父が、道の真ん中で深呼吸してる。
心が丸くなるとか言ってる。
気持ちがささくれだってた小学2年生は、恥ずかしい、そんなのやれへんし、と思って聞いていたのです。
父は私のことを見ていたけれど、すぐにやろうとしない私の手を取って、また駅に向かって歩き始めました。
電車に乗り遅れるから、きっとやるまで待つことはできなかったんだと思う。
小学校2年生のときの私はやらなかったけれど。
その後、何回も、何回も、おまじないみたいにやりました。
つらくてたまらないとき、やってらんないわ!ってなったとき、心が丸くなるように。
今日もやったよ、お父さん。
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