日本、韓国、中国。
領土問題を発端に、ナショナリズムが高まっていますね。
韓国や中国の若い世代が、「日本人はひどい奴らだ!」みたいな発言を聞くたびに、現実の日本人の話をしているのではなく、彼らの中にある幻想としてのニホンジンの話をしているのだと感じてしまいます。
「日本人は、悪い奴」
こういった短絡的な発想は、古来からずっと続く人間の悪癖なんでしょうね。
「ユダヤ人は悪い奴。だから殺してもいい」
賢明とされるドイツ人ですら、(第二次世界大戦の頃は)本気でそう考えていたからこそ、アウシュヴィッツが存在したのと同じですね。
日本人(日本軍)から直接ひどいことをされた世代なら、例え偏った意見であっても、本人の体験があるのですから、耳を傾ける価値もあります。
けれど、直接的な被害を受けず、ただ親やさらに上の世代から伝え聞いた話のみで、「日本人は悪い奴」と思い込んでいる人の話は、聞く価値はありません。
それは現実ではなく、幻想なのですから。
けれど、よほど客観的に自分の思考・感覚を見つめないと、この幻想を現実を思いこんでしまう習慣から抜け出せません。
人間の脳は、面倒臭がりです。
一回一回感じ考えるより、カテゴライズして感じ考える手間を省こうとします。
目の前にいる人物を、自分の目で確かめるより、「○○さんは、こういう人」という誰かが作り上げた幻想で済ませようとします。
他人の出した答えに、無責任にのっかるのが、面倒臭がりである人間の脳の習性ですからね。
幻想を打ち破ることができるもの。
それは、現実です。
「日本人は、悪い奴」と思い込んでいる人に、どれほど理屈で説明したところで、何も考え方は変わりません。
思い込みや盲信を変えるには、現実を体験してもらうしかないのです。
現実に知り合った日本人が、いい奴であったならば、これまで抱いていた偏見に、何か変化が起こるかもしれません。
「日本人の中にも、悪い奴もいれば、いい奴もいる」
こんな当たり前の現実に気がついてくれるかもしれないのです。
日本人であろうが、韓国人であろうが、中国人であろうが、どこの国の人であろうが、いい奴もいれば悪い奴もいる。
ある人にとっては悪い奴でも、違う立場の人にとっては、いい奴かもしれない。
絶対的な善もなければ、絶対的な悪もない。
これこそが、「現実」というものです。
他人の出した答えにすがって生きるのではなく、自分で答えを見つけること。
面倒臭さのその先に、“光”があると思います。