散歩。
散歩といえば、ついつい余分なことがしたくなる。
景色を眺めながら、歩く。
エクササイズとして、歩く。
そういった意味の散歩もいいのだが、もっつピュアな散歩もいい。
何かをするために歩くのではなく、ただ歩くこと。
何かを得るために歩くのではなく、ただただ歩くこと。
歩くためだけに、歩く。
純粋に歩くことだけに集中すると、それは地球と対話している感覚になる。
地球と対話?
なんのこっちゃと思われるでしょうが、「対話」という表現が一番しっくりくる。
歩くということは、大地を蹴ること。
大地からの反発力で、体を前に進めること。
それは、歩くたびに、大地からメッセージを受け取っている行為とも言える。
人体と地球が、重力という言葉で会話しているとも言える。
人間は、この足にかかる負荷(重力)を感じることで、生きていることを実感する。
地に足がつく、とはまさにこういった状態。
しっかりと自分の足で地球と対話できれば、生きていることをリアルに感じることができる。
現代人は生きている実感が希薄。
だから、実感しようと何かに執着する。
それはブランド品かもしれない。
それは地位や名声かもしれない。
それは宗教かもしれない。
けれど、執着は新たな執着を生むだけ。
ただ、歩くこと。
それだけでも、ちゃんと生きていることが実感できる。
言葉だけが会話ではない。
歩くことだって、立派な会話なんだ。