アカデミー賞(外国語映画賞)を、日本の映画が受賞した。
短編アニメーション賞も、日本の「つみきのいえ」が受賞。
これは、すばらしい出来事ではあるが、どうもこれを報道するマスコミに「カチン!」とくる。
「日本映画のすばらしさが、世界に通じた!」
「日本人の底力を証明できた!」
そんな表現をするコメンテーターが多い。
それは違うでしょう。
受賞した作品がすばらしいのであって、何も日本映画すべてがすばらしいってことではない。
まして、日本人がすばらしい…なんて、言えるわけがない。
同じ日本人として、うれしく思う…ぐらいの表現はいいのですが、あまりに喜びの範囲を広げるのは、好ましいことではない。
あくまで、それに関わった人達の努力であり、ただ同じ民族だというだけで、評価されるんじゃないかなんて、虫が良すぎ。
なんでもかんでも、「同じ日本人」なんて簡単に言わないで欲しい。
極端なことを言えば、この理論が、戦争に通じる。
例え話をしましょう。
イスラム教徒の過激派のテロで、身内を殺された人。
その人は、どう感じるのか?
怒りの矛先をどこに向けるのか?
たぶん「イスラム教徒」でしょう。
あくまで一部の過激派が起こした犯罪でも、それの属する集団ごと憎んでしまう。
もしかしたら、イスラム教徒でなくても、アラブ人というだけで、憎しみを抱くかもしれない。
そう、犯人自体の問題が、いつの間にか拡大解釈されて、属する集団全体の犯罪になってしまう。
日本映画がアカデミー賞を受賞したことで、「日本人は、すばらしい」なんてことを言ってしまうのは、この戦争が終わらない理由のひとつ、「憎しみの連鎖」と同じ構造である。
ひとこと言わせていただきます。
受賞したのは「おくりびと」であり、「つみきのいえ」。
それ以上でも、以下でもない。
その栄誉は、実際に関わった人達以外感じるべきではない。
勘違いな喜びほど、醜いものはないのですから。