誰にだって「欲」はあります。
ただ、その「欲」が心を苦しめていることも事実。
「欲」がなければ、生きていないかもしれない。
生きることは、つまり「欲」をいかに表現するか、ということだから。
コントロールできない「欲」が、心を苦しめる。
手に入らないものを求めるから、生きているのが苦痛になる。
では「欲」をコントロールすればいいのか?
まず、無理でしょう。
コントロールできないからこそ「欲」であり、できてしまうレベルの「欲」なら、そんなに悩んだりしないもの。
資本主義社会は、必要以上の「欲」を刺激する。
お金や物が循環することを基本にしている社会ですから、購買欲を「これでもか、これでもか」と刺激してくる。
手に入れば一瞬うれしいが、その瞬間から次を求めてしまう。
お昼ごはんを食べながら、「晩飯はあれが食べたい!」という子供みたいなもの。
お母さんにしてみたら、「やれやれ・・・」ってとこでしょうね。
「欲」をコントロールできないのであれば、どうすればいいのか?
それは「求めない」という発想でしょう。
「求めない」ということを求めているので、根本的矛盾を内在している発想法なんですが、実生活では意味があると思います。
冷静に考えてみると、必要なものってあまりない。
自分の身の回りにあるものって、ほとんど「オプション」です。
なくても、平気なものに囲まれているはずです。
それを人間は、「文化」だの何だのと言うかもしれませんが、所詮「オプション」です。
どれだけ素晴しいデザインの自動車でも、エンジンがなければただの箱。
「オプション」はあればあったでいいけれど、なくたって問題はない。
この「問題ない」という感覚が大切でしょう。
「求めない」と思っても、求めなくなるものではない。
けれど、「求めない」と思うことで、いま自分が何を「求めている」かがハッキリする。
「求めない」という発想がないと、盲目的にすべてを求めてしまう。
社会全体が、「もっと欲しがれ、もっと欲しがれ」と洗脳しているのですから。
何もなくてもいい。
そう本気で思えたのならば、心の問題は激減するでしょう。
生きることの本質は、「生きていく」ことだと思う。
生きることを継続していく営みにこそ、その本質があるのではないか?
人生は、うまくいこうがいくまいが、たいした違いはない。
セレブなんて言われている人の顔を、ちゃんと見てみるといい。
それほど幸せそうな顔をしていないもの。
どう生きるかなんて、些細なこと。
生きること自体、生きていくという情熱が、人を感動させる。
「求めない」と何度も繰り返すこと。
それでも求めてしまうものを、遠慮なく求める生き方がいい。
しっかりと「求める」ためには、まず「求めない」ことから始めるしかないですね。