明日はいよいよ今年最後の田野城さんとの共演です。
メンバー各々が己の限界に挑み
心の葛藤を乗り越え
最終的に魂の叫びにまで
到達していく様は最高にエキサイティング(お客様談)
photoed by You Kusaka
12月11日(金)
田野城寿男 with 杉丸太一 trio 長谷川英喜、砂掛裕史朗
覚王山スターアイズ
名古屋市千種区菊坂町3-4-1
Gハウスビル1F
TEL 052-763-2636
前売 2500円
当日 3000円
◎まだ前売でいけますので
今すぐメッセージお待ちしております♪
田野城寿男 プロフィール
サックスプレーヤー。1958年広島生まれ。
78年/ボストンのバークリ-音楽大学入学。在学中、ニューヨークでデイブ・リーブマンにサックス、フルート、音楽理論を師事。同時にニューイングランド音楽院で、ジュリアード、マンハッタン各音校教授でもあるジョ-・アラッドにも師事する。
82年/作曲と編曲が認められ、ジョ-ジ・ラッセルの門下生となり、彼の革新的な理論「リディアン・クロマティック・コンセプト」を学ぶ。
在学中から自己のカルテットを結成し、東海岸を中心に精力的に活動。
87年にはサリナ・ジョーンズの日本ツアーにソロ奏者として参加。
91年/「25周年記念 スイス・モントルー・ジャズフェスティバル」にソロ出演。この年、特別プロデューサ-として迎えられたクインシー・ジョーンズは、田野城の音楽とオリジナリティを「おまえは誰にも似ていない」という言葉で認め抜擢した。
マイルス・デイビス、スティング、レイ・チャールズ等のそうそうたるミュージシャンが演奏する中で、田野城の演奏に対する評価は、多くのマスコミ取材をはじめ、ヨーロッパのいくつかのフェスティバル出演依頼として現れた。
94年/ニューヨークにて、サイラス・チェスナットとレコーディング。
95年/ローレンシャン・ストリングス・カルテット及びニューヨーク フィルハーモニー オーケストラのブルース・スタークとレコーディング。
96年/ジム・ベアードプロデュースによるアルバム制作を開始。
肺炎を患いドクターストップにより現役を退く。静養先の北海道で教育分野にも力を注ぎはじめる。教育問題や心の問題などのテーマで各地の講演会にも招かれる。
97年/写真家荒木 経惟氏、2000年にニューヨーク在住のイラストレーター黒田 征太郎氏とのコラボレーション。
99年/アニメ映画(アメリカTV用)「イメル」の音楽制作。(株式会社サテライト)
01年/山本寛斎プロデュース「ファッション元気主義 in Sapporo」の音楽監督就任。
04年/アースデイ東京で書道家武田双雲氏とコラボレーション、フジロックフェスティバル出演。
00年/札幌ジュニアジャズスクール音楽監督就任。(㈶札幌市芸術文化財団・北海道新聞社主催-03年)
02年/帯広南商業高校吹奏楽部音楽監督就任。(帯広市主催-04年)
03年/十勝わくにこジャズオーケストラ音楽監督就任。(十勝毎日新聞社主催 -06年)
05年/記事「運命を変えたブルーノートの1枚」(PLAYBOY 2005.1号 集英社)
06年/学校法人サウンドアート専門学校学園長就任。
06年/札幌FMノースウェーブDJ&番組制作。( -07年)
06年/TanoLaboMixオーケストラ音楽監督就任。(ヤマハミューズクラブ札幌主催 -07年)
07年/コラム「楽譜のいらない音楽授業」(情報サイト“北海道人” -08年)
07年/市民カレッジ講座「黒人音楽の光と陰」「Jazzの楽しみ方」(札幌市主催 -08年)
08年/コラム「田野城寿男の眼」(音楽情報誌“札幌ビレッジボイス"-09年)
08年/第3回札幌国際短編映画祭 審査員就任。(SAPPOROショートフェスト実行委員会/札幌市主催)
09年/週刊ヤングジャンプ30周年記念イメージコンテスト審査員就任。(集英社主催)
09年/東京 丸の内クロスオーバーオーケストラ音楽監督就任。(NPO法人大丸有エリアマネジメント協会 協力-12年)
『もう一度モントルージャズフェスティバルに出演しよう!』と50歳で現役復帰を決意。現在、演奏活動と合わせて、田野城塾やTano'sCafeを各地でひらきタノイズムや恩師から受け継いだ魂、心そして技術も伝えている。