カラオケのこと | maruseのひとりごと

maruseのひとりごと

2014.7.24 薬師池公園のカワセミ

ゆうべは、今年最後の(多分)忘年会でした。

最寄りの駅まで自転車で行き、ちょうどホームに入ってきた電車に飛び乗ったのですが、


見事に反対方向の電車に乗ってしまいました (ノ◇≦。)


目的駅に行くには、方角的には少し戻って乗り換えるんですが、

戻る前に、ひと駅進んで乗り換えなきゃいけない→実際は2回乗り換えが必要!

これを勘違いしまして、イキナリ戻る方向の電車に乗ってしまったんです。

だもんで、しっかり遅刻!だったんですが、着いたら、半分も集まってなかった ( ̄ー ̄;



忘年会の二次会は、例によって例の如く、カラオケでした。

今でこそmaruse、歌うの好きですが、(歌唱力は問わないで!!(´Д`;))、

10年くらい前までは、絶対にマイクを持ちませんでしたよ。

理由は……こういうの、トラウマっていうのでしょうか…。


5、6歳の頃かなぁ、姉と、機嫌良く、当時の流行歌を歌ってたんです。

そしたら、後ろから、母親がひとこと申されました。


あんたら、音痴やなぁ… (-。-;)


その時は「音痴」って何の事か解かってなかったと思います。

姉は、「音痴違うねん。声がキレイやないだけやねん」と反論してましたが、

maruseは、「自分の歌を人様に聞かせてはいけないんや」と、


決して人前では歌うまい! o(TωT )


と、こども心に誓ったのでありました!


音楽は好きだったんですよ。授業も大好きだった。

譜面を読むのも、楽器を演奏するのも、“みんなで歌うのも”好きでした。

ただ、ひとりで歌うのは嫌でした。歌のテスト…地獄でした。


みんなが笑っている… (=◇=;)


恥ずかしくてしかたなかったです。


歌うのは嫌でも、聴く方は大好きでした。

「ザ・ベストテン」全盛期で、流行歌もみんな知ってました。



はじめて「カラオケBOX」ってのに行ったのは、保育士時代の忘年会でした。

今は、タッチパネルみたいなのもあるし、歌う曲は各自で入れるのが当たり前ですが、

その時は、歌いたい曲を探し、番号を入れて転送する…ってのに、

まだ、慣れてない人が多かったんですね。

んで、maruseは、分厚い本とリモコンとを預かりまして、

誰かが「○○歌いたい」と言うと、それを探して転送して、

エコーやたら、テンポやたら、音量やたらの操作をして、

大音量の歌声の下でフニャフニャ歌っておりました。


そしたら、翌日、ひとりの保育士さんに言われました。

「maruseセンセイは、昨日、あれで良かったんですか?」と。


え?! maruse、充分、楽しかったんですけど… ( ̄_ ̄ i)


マジで、楽しかったんですけど…面白かったんですけど…いけませんでしたか? (´д`lll)


その後、何回かカラオケに行く機会がありましたが、

誰かが歌う「知ってる歌」をフニャフニャ歌う…のを続けてました。


そのうち、やはり親から「音痴」のお墨付きをいただいていた妹が、

聖子ちゃんや明菜ちゃんの歌まねをするようになり、

カセットに合わせて何回も歌っているうちに、聴ける歌になっていったんです。

姉の結婚式には、頼まれて「いい日旅立ち」を歌ったし、

(谷村新司版で練習してて、本番では山口百恵版が流れ出だしが解からず、ずっこけてしまいましたが…)

二次会でも、ものすごく褒められて、リクエスト受けてたん見て、思いました。


歌は歌わな、上達しーひんねんなぁ… (´□`。)


妹のように、家でカセット回して稽古するってとこまではしなかったけど、

それからは少しずつ歌うようになりましたね。

「仮面ライダー」のようにギャグに走って誤魔化したり、

「光ゲンジ」のように、メチャ音域の狭い曲を選んだり、


やっぱり最終的には開き直りですな! A=´、`=)ゞ


音痴でもええのんじゃ!って、「銭湯」の時といい、開き直り人生ですわ (;´▽`A``


最近は、歌を“仕入れる”機会がないので、流行歌を知りません。

カラオケに行く時、メンツによって、歌う曲に気を使ってしまいますね。

しらけさせたら申し訳ないし…。

この頃は、デュエット曲で、ハモれたら嬉しいです。誰か、ハモって! o(〃^▽^〃)o