ものすごく仕事が忙しくなってしまった。

まともな休みは月に2日。

自家製ブラック企業だとため息をついた。

 

しかしすでに今年一年分は稼ぎ終わってしまった。

やれば出来るじゃんと自分を褒め称えた。

 

行きつけの海の真ん前、新築一戸建てなぜかワンルームという物件が680万で出ていた。

オレが若かったら、新しい若い彼女の為にも明日キャッシュをどんと机に置き、速攻で買っていただろう。

 

海近物件だと、津波が来たらアウトだし車は数年で廃車だし、家は10年持つかどうか、しかも5年前の台風が来たら無料で解体工事がされるだろう。

 

オレも若くはないし、彼女といつまで持つかもわからないし負動産になるのがわかっている物件だ諦めるべきだと年の功がそう思わせた。

 

それでも諦めきれない思いを胸に抱き、嫌がる亭主を無理やり車に乗せ、県内最南端の神社にご祈祷に向かい、神社で穢れ切った心を洗い、腹を満たすために食堂に入った。

 

亭主とは月に一度くらい休みが合うので、外食に行くようにしているがだいたい私の好きな寿司屋か刺身かアジフライの食べることの出来る店ということに決まっている。

魚の嫌いな亭主にとって月に一度のささやかな外食は、行ったって格別に嬉しくもなんともない行事ということになる。

 

だから車に乗るのを嫌がったのかとわかっていて、無理やり連れだし、小言をいうものなら10倍返しの小言が返ってくるということになる。

 

ほらあたしは次にこんな景色の見える物件が欲しいのだよ。

今日は好きなものを好きなだけ注文して腹いっぱいにさせてやるからな。

何でも頼みなさい。伊勢海老だってかまわないのだよ。

金ならうなるほど(大量の千円札ばかりだった)有るからな。

 

 

 

 

 

 

こんな景色の見える家欲しいんだよ。

 

 

セリフだけ聞いたら、バブル時代のオッサンにメシをご馳走になる若い女という設定になっているよなあ。まあ伊勢海老じゃなくてアジにしましょう。

と言いながら亭主は旨い旨いと魚を食べ続けた。

今日はアジのタタキが絶品だったし、ここのアジフライは史上最高の味だった。

 

コロナの最中に見た景色と同じだったし、食べたものも同じなのになぜか違うものに感じた。今は先行く不安が無いせいなのだろう。

 

 

カメは無精卵ばっか産むし、仕事場のマルグリットのお産も近い。

今はお腹がパンパン。

 

金魚が産んだら世話はして、あとは海に通うだけだ。

歩いて海まで行ける物件なんて本当の道楽物件だしなあ。

ジイサマ達を活用して自分で土地だけ買って小屋でも建てましょうか。

 

いつ砂浜と同一化するかわからない、謎の誰も買おうとしない分譲地を見てため息をついた。

 

「こんな海のそば誰が買うんですか、あんたまさか本気で買おうと思っているんじゃないでしょうね。頭の中割って見てみたい。気が狂っている。宝石やバックの方がはるかにましです。」

 

このセリフは確か金魚を買うときにも良くきいたセリフだな。

つまりは必ず私の欲しいものにはこういったセリフで反対さえすれば良いという亭主の意図が垣間見れた。

 

「この景色最高でしょう。」

「いえいえこんな場所嫌いです。第一外で食べるのは嫌いです。」

 

価値観の大いなる相違のまま結婚生活を続けるコツというものは、決して自分の意見は曲げてはならない、相手の意見は尊重してはいけないということだ。

 

つまりは決してお互い意見の歩み寄りは必要ないということなのだろう。

 

同級生とも話をしていたら、みな60歳になったら再就職せずピタッと仕事を辞めてリタイヤ生活を送るのだと言う。

移住を計画している者もいる。

 

考えてみたら女がフルで仕事して男並みに稼いで家事も全部やっていたら60歳で仕事なんて御馳走様になるだろうな。

 

私もいつまで頑張るのだろうな、しかし海の前の家欲しいよなあまだ働くのかなあとじっと手を見た。