旅行に行きたくとも、金魚がオス臭くなっていたり、なかなか腰が重いので、亭主の実家の南に下ってメシを食おうを先週行った時の物。
僕は海には興味は無いし、魚にも興味がありません。
第一お頭が付いていて魚と目が合ったらオエッてなりますから。
実家から目と鼻の先なのに何一つ店や観光場所を知らないし、どこで食べたら良いか全く判らないと言う。
私はどこにおいても、野生の感を働かせ、旨い店を探し出すのに長けている。
その際携帯でググったり、ガイドブックは見てはいけない。
あくまでも店構えの雰囲気とニオイで店を決定するのだ。
まるに食堂、当たりだった。
これで1200円茶わん蒸しもついているのでボリュームは合格。
やはり家のデブはアジフライを頼んだ。
アジフライは肉食デブでも食べられる唯一の魚料理である。
魚の県だが、みんなアジフライアジフライと騒ぐのは何故か。
アジフライ嫌いな人は知らない。
そしてデブはタルタルつけろと騒いでいた。
そして100キロに迫るデブだと、わざわざ車を二時間飛ばし、黄金アジを食べに遠出することも厭わない、食べ物に関してだけはやたらとマメだということも最近知った。
私は魚の煮物にした、赤魚、ヒラメ、サバと三種類あった。
昔今の仕事を始めたころ、まだアマチュアだったとき、漁師からお代をお金では無く魚で貰った。
近くの食堂では、朝定食はこんな感じだったが漁師の人は金を払わないで食べ終わると店を出て行った。
なんでも魚を店に提供している為、漁師はお代がタダになっていたようだ。
とにかく金を払わず、魚で払うというキャッシュレスの先端を行っているのが漁師だった。
もう今では魚を見るのも嫌になっていたが、人が作った料理だと何となく食べても良いという気分になる。
そして観光客が多いとみんなハマグリ焼きをするので身体じゅう臭くなってしまう。
旨い、早い、安い、ハマグリ焼きやってキャーキャー無駄に騒ぐ観光客が極力居ない店をいうのが絶対条件だ。
ハマグリ焼きは少しだけだったので、クリアな写真も撮れた。
夏だったら向こうからニノが笑いながら走ってくるだろう。
スカートをたくし上げて、きゃー濡れちゃうと騒ぐ女の子が海に居るというのは漫画の世界だけで、ここは本気でガンガン泳ぐ女しか居ない。
冬は波が無いし、寒いので入らなかった。
みぞれでも入らなければ素人である。
サーファーが数人いた。
ここは坂口さんが朝サーフィンをやる所で、私のシマでは無いので、知り合いも居なかった。
海デビュウは、それこそママの公園デビュウよりも緊張するものである。
知り合いを作れなければ、沖に流されたとき誰も通報してくれないので人間関係は一番気を使う場所だ。
ここはなんか合わねえな、やっぱいつもの場所にしようと思った。
そばの海を見ながら不意に漁師のお客さんを思った。
彼は例の注射の後、脳の血管が詰まり、自力で外出出来なくなってしまったので、魚を寄越すこともなくなってしまった。
あんなに浮気の相談にのっていたのに、あっけなく解決してしまった。
私は途方にくれ、当たる霊能者のSちゃんに、寿司を奢るからと漁師の奥さんの相談に載ってもらった事がある。
そのうち自分で動けなくなるから大丈夫、自分で女のところに行けなくなるから。
と聞き、奥さんはヤッターと腕を上げて喜んでいた。
実際自力で外出出来なくなって、傍から見たら気の毒にと言うところだが、奥さんからしたらこれこそ大満足の状態だと見えた。
何が不幸で、何が幸福化かは人によって違うのだなと思った。
冬の九十九里は、なんとなくノルマンディに似ている。
ああ、ノルマンディ行きたいなとノルマンディー上陸作戦の話を亭主に持ち掛けた。
海は海じゃないですか同じですよ、そんな遠くにわざわざ金掛けて行こうという人の気が知れません。
魚もわざわざお金払ってここまで来て食べたいという人の気が知れません。
お金の無駄です。
亭主は実家からわずかでサーフ天国、魚ハマグリ天国なのにこの地に来たのは40年ぶりだと威張った。
海は私にとっては天国、亭主にとっては無くても良い場所、これから一生行かなくとも何の不自由もない場所という事だった。
何が言いたいのかというと、魚食べに行こうというだけで、ぶんむくれ、もう少し金出すから焼肉の方が良かったと一週間文句を垂れる人間と暮らすことは、治りつつある更年期障害を悪化させる要因になりえるということである。
暖かくなったら、来週から始める水替えに備えてこれは忘れようと気持ちを入れ替え、深呼吸した。