西殿塚古墳(衾田陵)に寄り道していたら・・・・あれ
少々迷って山辺の道に復帰しました
山辺の道は、のどかな田園の中の道もあれば、
小さな峠を越えるようなアップダウンの道
古い集落を抜けるような道もあります
何代にも渡り、ここに住んでいる一族の方々なのかな〜〜と思いを巡らし・・・
集落の途中に鎮座されていた<五社神社>
山辺の道は、古墳の側も通りますが、墓地の中も通ります
墓地を抜けたら、念仏寺です!
大塚山 寶性院 念佛寺 (浄土宗)
奈良時代、天平17年(745)に 行基僧正によって開山されました。
行基僧正が、中楽寺の十一面観音を参籠された時に、
現在のお寺があるこの場所を「長山(おさやま)」と名付けました。
そこで土の中に光る物を見つけ、拾ってみると1本の朽ち木でした。
行基僧正はこれを彫って本尊とし、この時にお寺の名前を「念佛寺」
としたそうです。
御本尊 阿弥陀如来
立派な三門の屋根です
塀の上には 大黒様と恵比寿様 が ご鎮座
見上げた空 ✨ ✨
不思議な雲だね〜、なんて話ながら歩いて行くと
ブランコや滑り台のある広場の前に『大和神社御旅所』の標示を見つけました
↓↓↓ 最古の御社” と
御旅所とは、神社の祭礼において神が巡行の途中で休憩、宿泊する場所
または、神幸の目的地のとのことです。
広場の一段高くなっている所に、
御旅所坐神社(大和稚宮神社)
大和神社の境外摂社で、本社と同じ御祭神を御祀ります。
御祭神は 日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)
<大地主大神>(おおとこぬしのおおかみ)
八千矛大神(やちほこのおおかみ)
一説には、大国魂神の御母、伊怒媛命が祭神で、
例祭日には、本社から母神の当社へ渡御する! という説もあるようです。
4月1日の大和神社のちゃんちゃん祭の時は、数百メートルもの列をつくって
神輿が渡御するそうです。
御祭神に付いて↑↑↑ 大国魂神は大和の地主神
大国魂神は大和の地主神ので、日本書紀の崇神天皇の条には、
天照大神と、倭大国魂の二神を皇居に祀っていましたが、
その神の勢いを畏れ、共に住むには不安があったという
そこで、天照大神は豊鍬入姫命に託して、大和の笠縫邑に祀り
また、日本大国魂神は淳名城入姫命に託して祀らせた・・・とあり、
天照大神が大和を離れることとなった、理由が記されています
現在、天照大神は伊勢神宮内宮に、
日本大国魂神は大和神社の鎮座されています。
大和神社へは、翌日参拝しました。
そしてもう一社、こちらも大和神社の境外摂社で
歯定神社
御祭神は 大巳貴命(おおむなちのみこと)
少名彦名命(すくなびこなのみこと)
社名の通り、「歯」の神様で、歯定権現とも呼ばれます。
鳥居の手前に、多分「歯」を表したと思われる注連縄が巻かれた石がありましたが、
写真は撮らなかったようです・・・・
境内でまったりしていた猫さん、なかなか此方をみてくれません・・