まるおの雑記帳  - 加藤薫(日本語・日本文化論)のブログ - -3ページ目

PTAの入退会自由をめぐる千葉市陳情審査(考察編)

1.自動加入を容認するというのか?
<教委の発言>
審査の冒頭で、千葉市教委事務局が「参考意見」として以下のように述べている。
*******
PTAは、保護者及び教職員を構成員として、生涯学習を通じ児童生徒の健全育成を図るため、各家庭の実情や地域の実態等に応じ、学校から独立してさまざまな活動を行っている任意団体である。

このことから、PTAの自主性・自立性は尊重されるべきものであり、結果的にPTAの停滞や縮小につながるような、教育委員会による指導は行うことができないと考えている。

*******
(陳情第5号に関する「教育未来委員会説明資料」より)

前段部分には「PTAは各家庭の実情や地域の実態等に応じ活動するもの」と、「各家庭の自主性・自立性」に関わる言及があるのに、なぜか結論部分(後段)になると、「PTAの自主性・自立性」への配慮ばかりが示され、「各家庭の自主性・自立性」への考慮は消滅してしまう。
千葉市教委は、保護者個々人の自主性・自立性(つまり、人権)は侵害されても構わないというのだろうか?

<市議の発言>
PTAの自主性・自立性は尊重される一方で保護者個々人の自主性・自立性はないがしろにされるという興味深いアンバランスは、議員の発言により明瞭に認められる。

例えば、

この陳情書には「学校に対して指導すること」とあるが、これは、権力主義以外のなにものでもないと思う。(男性議員B)

まさしく、この共助の組織に対して、公権力が介入することはないと思う。陳情権は誰にも保障されているので、どんなものでも出されることは止められないが、こういうすべてを公で何とかしてくれというのは、これからの私たちの社会に対して非常に心配だ。(女性議員B)

そもそも、PTAというのは、自主的、自立的な任意団体なので、教育委員会に頼んでこのようにすべてをがっちりと、一つのルールに基づいて一律的に指導するというのが、まず違っていると思う。(男性議員E・副議長)


と、PTAの自主性・自立性を守ることに関しては厚い配慮が示される。しかしながらその一方で、

自動入会のことを問題にしているが、役員の手間や、入会のしやすさを考えると、「原則自動入会」にしておくのは、ある意味、配慮されている仕組みかなと思っている。
ただ、それがもし強制ということにとられるのなら、そうではないのだよ、ということをPTAの中で皆さんで勉強するのが私はいいと思う。(女性議員B)


と、「自動加入」を容認・肯定し、もしも問題を感じるのなら「PTAの中で皆さんで」話し合えと言う。つまり、「PTAに入らない」という選択は認めないのだ。
自動加入に関しては、男性議員D氏も「事実上、自動加入でもやむを得ないのではないかと思っている。」とはっきりと容認している。

そして、その他の議員も、事実上、「自動加入体制」を容認・肯定していると言える。
今回の陳情にもっとも同情、共感した女性議員A氏でさえ、

そのためにも、この陳情者にも、まずPTAの活動に関わって中側から変えていってほしい。

と、PTAに入らないという選択は認めていない。

また、男性議員A氏も、陳情者の問題提起にかなりの理解を示しているものの、

学校において保護者同士の中でやはり民主的にちゃんと会議を持って、そこでしっかりとした話し合いがもたれて決めていくことが本来の原則だ
(…)
確かに、PTAは入退会自由であるとは思うが、そのことを広報・周知すると、逆にまたどんどんなり手が減ってしまうのではないか。したがって、先ほども述べたように、当事者同士が決めるのが原則だと思うので、この陳情には賛同しづらい。


と、やはり、PTAに入らないという選択を認めない。

その他の議員の発言でも、
私も、ぜひPTAの中にいっしょに入ってもらって協力いただきたいと思う。(男性議員C)、

PTAの中で、いわゆる民主的に、それぞれの会員はお互いの立場を考慮・尊重しながら運営して行ってもらうしかないのでは(男性議員D)、

皆さんが言ったように、PTAの中で話し合って解決する問題(男性議員E)


と、皆一様に、「PTAの中での話し合い」を求め、「PTAに入らない」という選択を認めようとしない。

しかしながら、言うまでもなく、PTAは、社会教育法に言う社会教育関係団体であり、青年団や婦人会、老人クラブと同様の「任意加入の団体」である。
議員各位は、このPTAの基本的な性質をどう考えているのだろうか?
参加を義務付けられていない団体への参加を大前提とすることは、個人の選択の自由を認めないということになる。

今回の陳情審査において、教委事務局と市議の発言の中には、何度も「民主的」とか「民主主義」という言葉が使われていた。
だが、団体の自主性・自立性ばかりを大切にし、個人の自主性・自立性(つまり、人権)をないがしろにして、民主主義が成り立つとは思えない。


2.「くじ引き」等による役員の強制を認めるのか?
教委事務局は、男性議員A氏からの

・陳情書に指摘されているような役員の強制という事実があるのか?
・役員のなり手がいないという声は聞いているか?


という質問に対して、次のように回答している。

・「役員の強制はあるのか」について答える。先ほどから述べているように、PTAは民主的な組織なので、役員選びに当たっては、当然、会員同士の話し合いの中で決まっているものと認識している
・役員不足は全国的な話。ただ、今も述べたように、会員の中で民主的に話し合って役員を決めるのが本来の姿だと考えている。
(太字、引用者)


また、議員からも、以下に示すように、役職の強要・強制は許されない旨の発言もあった。

その中で強要することがないように気をつけてほしいと思う。(男性議員C)

やれない人はやれない事情を地域でも理解しながら、協力し合うことが大切。だから、強制とかはあってはならないと考える。(男性議員D)



本部役員や委員会の委員長などの負担の大きな仕事をくじ引き等によって押し付ける「役員の強制」が、PTA問題の核心だと考える。

何者かが独裁的に強権を発揮してくじ引きを強行するという場合、これは言うまでもなく民主的な決定と言えず、「認められない」ということになるだろう。
では、役員会なり選考委員会なりの場所で話し合いが行われ、その結果、「くじ引きによる決定もやむを得ない」となった場合、それは、千葉市教委の言う「民主的な話し合いによる役員決め」として認められるのだろうか?

陳情の審査に当たった教育未来委員会所属の議員たちは、先に見たように、「自動加入」を容認・肯定している。
千葉市教委、そして各議員は、くじ引きによる役員の決定も容認・肯定するのだろうか?
もしも、「自動加入」だけではなく「くじ引き」まで容認されるとしたら、保護者は、何の法的権限もない団体に一方的に会員にさせられ、その上、負担の重い仕事を強要されることになる。
このような非人道的かつ非民主主義的な行為が認められていいとは到底思われないのだが…。

千葉市教委の言う「民主的な話し合いによる役員決め」の中に、「くじ引きによる役員決め」が入るのか・入らないのか、近いうちに、ぜひ確認してみたい。


PTAの入退会自由をめぐる千葉市陳情審査(報告篇)

前エントリへのコメント、ありがとうございました。<(_ _)>

<陳情の内容>
前エントリでは、陳情の「要約版」の方を紹介しましたが、今回は「正規版」の内容を紹介します。

以下に、傍聴者に配布された「陳情文書表(その2)」から、陳情の「要旨」を引用します。
(6.24)追記:「その2」とは、「二回目の締切分のもの」という意味だそうです。

************
PTAは任意加入の団体、入退会が自由であるにもかかわらず、入学時に自動的に加入、退会が自由にできないことを背景に役員の強制やその他の不適切な運営が行われております。また、優良PTA文部科学大臣表彰新基準においても「PTAが任意加入の団体であることを前提に」ということがうたわれております。

優良PTA文部科学大臣表彰新基準に従ったPTAの運営がなされることを求め、下記事項を陳情いたします。


                   <記>
1 PTAは任意加入の団体であり、入退会が自由であること、入会が義務ではないこと、入会していない保護者の児童に対して不利な扱いをされないことを保護者に周知するように学校に対して指導すること

2 入学時に保護者がPTAに自動加入することがないように学校に対して指導すること

3 PTA規約に入会手続き、退会手続きを定めるように学校に対して指導すること

4 PTAからの退会手続き、退会方法を保護者に周知するように学校に対して指導すること

5 会員に対して役員の強要等の強制的な行為を行うことは非常に不適切で社会的なモラルに欠けるため、役員の強要等の強制的な行為をしないように学校に対して指導すること
************

前エントリでご紹介したように、審査の冒頭、まず教委事務局から教育委員会の「考え方」が示され、その後、委員(議員)による審査が始まりました。
審査は、委員(議員)からの教委事務局への質問と意見表明のプロセスを経て、最後に採決という流れで行われた。
なお、審査当日は、教育未来委員11人全員が出席されていた(ように思う)。
(教育未来委員会議員名簿:http://www.city.chiba.jp/shigikai/list_iinkai_kyoiku.html)



<質疑と意見表明>

男性議員A
① 同様の陳情は教委に来ているか?
② 陳情書に指摘されているような役員の強制という事実があるのか?
③ 役員のなり手がいないという声は聞いているか?

教委(生涯学習部長)
① 陳情はないが、保護者から意見は来る。自動加入や退会できない等の問題について指導できないのかという意見が寄せられることがある。教委としては単位PTAに直接指導はできないので、上部組織の千葉市P連に情報を提供し、単位PTAに対して話をしてもらっている。
② 「役員の強制はあるのか」について答える。先ほどから述べているように、PTAは民主的な組織なので、役員選びに当たっては、当然、会員同士の話し合いの中で決まっているものと認識している。
③ 役員不足は全国的な話。ただ、今も述べたように、会員の中で民主的に話し合って役員を決めるのが本来の姿だと考えている。

男性議員A
今のご答弁の通り、学校において保護者同士の中でやはり民主的にちゃんと会議を持って、そこでしっかりとした話し合いがもたれて決めていくことが本来の原則だと私も理解している。
ただ、なり手がいないという問題があって、それを何とかするために、強制とまでは言わないまでも、「強制されている」ととらえる保護者もいて、それが先ほど話のあった教委への申し入れになっているのだと理解した。

陳情の1にあるように、確かに、PTAは入退会自由であるとは思うが、そのことを広報・周知すると、逆にまたどんどんなり手が減ってしまうのではないか。
したがって、先ほども述べたように、当事者同士が決めるのが原則だと思うので、この陳情には賛同しづらい。


男性議員B
この陳情書には「学校に対して指導すること」とあるが、これは、権力主義以外のなにものでもないと思う。こういう考え方を学校に押し付けると、このことだけではなく、他の面でも波乱を起こすだろう。だから、この陳情には、もう、頭から賛成できない。
陳情者は、陳情をする時、もう少し良く考えてもらいたい。


女性議員A
・入退会の手続きがあるところがあるのか?
・各学校ではPTAについての説明をどんな形で行っているのか?

生涯学習部長
・入学式の終了後、保護者に対して、-「学校が」ではなくあくまでも「PTAが」だが-、PTAの役員から、PTAの活動についてのご説明をして、入退会の手続き等についてもお話しされていると聞いている。

女性議員A 
・PTAの加入用紙とかがきちんとあって、その提出をもって「入会とする」というような、手続きを踏んでいる学校はどこかにあるのか?

生涯学習課長(※ここで説明者交代)
加入手続きについても、先ほど話があったように、学校の実情に応じてやっている。

(委員長
「PTAがやってる」ですよね…。

生涯学習課長
まあ、PTAが、です。)

女性議員A
私の保護者としての以前の経験では、確か当時は加入用紙はなかったように思う。
本当に加入の手続きがあるところがあるのか、知りたい。
加入の手続きがないからこそ、今回の陳情が出たのではないか。

そこで、意見を言いたい。
自分がPTAに関わったのはもう10年前のことだが、この問題はずっと前からある問題。ただ、かつてと違うのは、母親でも働く人が増えていることや、シングルの親御さんが増えていること。本当にきゅうきゅうと暮らしている方が増えていて、役員にはなれないという実情があると思う。
だから、PTAも、従来の主婦がたくさんいた時代のスタイルを乗り越えて、新しい形のPTAを作っていく必要があると感じている。
しかし一方で、PTA活動に参加することで学校に親近感を覚えたり、先生とお話ができたり、有意義な部分がたくさんあるのも確か。だから、そのようないい点も打ち出して、充実した楽しいPTAを片方で志向しつつ、やはり、やり方については本当に真剣に、先生方も一会員として参加してもらい、どうやったらたくさんの人に関わってもらえるのか考えるべきだ。

そのためにも、この陳情者にも、まずPTAの活動に関わって中側から変えていってほしい。
学校組織として指導というのは、これは別のことで、できないことだと私も思うので、お気持ちは重々分かるものの、賛成しかねる。


男性議員C
町内会・自治会においても、現場では、高齢のため活動ができないので辞めさせてほしいといった声が出たり、同じような問題が起きている。
私もPTA会長を二年勤めたが、大変な人も巻き込んで盛り上げてきた。趣旨は大変によく分かるが、先に山田議員も述べたように、私も、ぜひPTAの中にいっしょに入ってもらって協力いただきたいと思う。ただ、その中で強要することがないように気をつけてほしいと思う。


女性議員B
「PTAと生協活動は民主主義を学ぶ第一歩だ」と言う学者の話を印象深く覚えている。この陳情者が一番大きく勘違いしている点は、「要旨」記の1に「入会していない保護者の児童に対して不利な扱いをされないこと」とあるが、PTAというのはそもそもその学校に在籍する児童のために活動しているので、入会していようとしていまいと差別をしないのが大原則だ。

自動入会のことを問題にしているが、役員の手間や、入会のしやすさを考えると、「原則自動入会」にしておくのは、ある意味、配慮されている仕組みかなと思っている。
ただ、それがもし強制ということにとられるのなら、そうではないのだよ、ということをPTAの中で皆さんで勉強するのが私はいいと思う。
まさしく、この共助の組織に対して、公権力が介入することはないと思う。

陳情権は誰にも保障されているので、どんなものでも出されることは止められないが、こういうすべてを公で何とかしてくれというのは、これからの私たちの社会に対して非常に心配だ。
そのような次第で、この陳情に関しては、賛成することはできない。


男性議員D
登下校の見守り、ラジオ体操、祭り等、PTAと自治会などが協力してできること。だから、PTAが組織されるのは当然だ。ただ難しいのは役員をどう選ぶか。うちは共働きで女房も含めて役員は一切やっていない。もう逃げ回っていたので大きなことは言えない。
しかし、役員は当然必要になるわけで、難しいところだ。

やれない人はやれない事情を地域でも理解しながら、協力し合うことが大切。だから、強制とかはあってはならないと考える。

事実上、自動加入でもやむを得ないのではないかと思っている。
自動加入であることや、PTA活動が学校中心にやられていて事務局も学校内に置かれていることも事実としてあり、誤解される面があるのは確かだ。
しかし、それなしにはなかなかやっていけないという、やむを得ない面もある。

PTAの中で、いわゆる民主的に、それぞれの会員はお互いの立場を考慮・尊重しながら運営していってもらうしかないのでは。

学校のほうを通じてということにはならないので、教育委員会全体として、保護者との連携をどうするのか考えあう場を設けていけばよい。
いずれにしても、PTAが健全に、活発に活動できるための条件整備を教委にはやってほしい。
この陳情には、賛成できない。


男性議員E・副委員長
会派(自民党)を代表して言わせてもらう。
私もPTAを高校まで入れて8年やった。
そもそも、PTAというのは、自主的、自立的な任意団体なので、教育委員会に頼んでこのようにすべてをがっちりと、一つのルールに基づいて一律的に指導するというのが、まず違っていると思う。
この陳情も、皆さんが言ったように、PTAの中で話し合って解決する問題であり、個人的な感情を含んだ文章が多く見られるので、こういうような陳情は制度にはそぐわないと思う。よって、会派としては賛成できない。


委員長
この陳情に賛成の方は挙手を。
(賛成なし。)

審査終了



<発言議員氏名・所属一覧>(現時点で分かる限りにおいて)
(発言順)
男性議員A:佐々木友樹氏(2回・共産党)
男性議員B:? (大変、失礼いたしました。) 
女性議員A:山田京子氏(2回・市民ネットワーク)
男性議員C:黒宮昇氏(3回・公明党)
女性議員B:福谷章子氏(3回・未来創造ちば)
男性議員D:布施 貴良(9回・民主党)
男性議員E・副委員長:秋葉忠雄氏 (1回・自民党)
委員長:小松﨑文嘉氏(2回・自民党)

※3か月後には公式の議事録が出るそうです。今回のエントリは議事録が出るまでの参考情報とお考えいただければと思います。
筆記に気を取られていたため、発言議員の氏名の確認がおろそかになってしまいました。この点は来週確認できればと思っています。
氏名と発言のマッチングミス、発言内容の聞き違い等がありましたら、ご連絡ください。
至急対応させていただきます。

(6.24追記)
議会事務局に議員の当日の座席位置を確認しました。男性議員B氏は依然はっきりしないのですが(橋本議員と宍倉議員のどちらかではあると思います)、あとの議員に関しては当初のマッチングで間違いなかったようです。

PTAの入退会自由をめぐる千葉市陳情審査(速報篇)

過去のエントリ<横浜でも「校長による強制的な会費徴収方法」(@読売新聞2012.8.31)を改める方向に>におけるコメント欄の55以降で話題になっている、PTAの入退会自由をめぐる陳情審査(千葉市議会教育未来委員会)を本日傍聴してまいりました。


その陳情の趣旨は、次の通りです。
*****
PTAは任意加入の団体であり、入退会が自由であるにもかかわらず、入学時に自動的に加入や、退会が自由にできないことを背景に、役員の強制やその他の不適切な運営が行われているとの主張であり、学校に対して指導をすることを求めている。
*****
(陳情第5号(PTAへの入退会に関する陳情について)に関する「教育未来委員会説明資料」(傍聴者閲覧用)より)


審査にあたり、まず、教委事務局より「参考説明」として、次のようなことが述べられました。
*****
PTAは、保護者及び教職員を構成員として、生涯学習を通じ児童生徒の健全育成を図るため、各家庭の実情や地域の実態等に応じ、学校から独立してさまざまな活動を行っている任意団体である。

このことから、PTAの自主性・自律性は尊重されるべきものであり、結果的にPTAの停滞や縮小につながるような、教育委員会による指導は行うことができないと考えている。
*****
(同上資料より)


それに続く、委員(市議)達による30分くらいの審査の結果、何と、委員全員による「否決」という結果になりました。
審査の詳しいご報告は後日したいと思いますが、本陳情内容について、複数の委員より、「民主主義」の名のもとに厳しい批判がなされた(「そもそもこのような内容を陳情する神経を疑う」と言ったような!)ことを特に付記しておきたいと思います。


非常に残念な審査結果でした。
そして、この国における「民主主義」の特異なあり方を目の当たりにし、深く考えさせられた体験でもありました。

憲法の視点からのPTA改革 木村草太氏の朝日新聞投稿記事を読んで(その2)

1.はじめに ―「強制加入は合憲」と言っているわけではない
今回の記事を読んでみての第一印象を率直に述べれば、「とうとうこんな記事が出てきたか。PTA問題解決の日がぐっと近づくに違いない!」と感動させられつつ、一方で、複雑な心境にもなった。
それは、私自身、何年も前から、文科省や教委相手に同様の主張をぶつけてきたからである。ぶつけたけれど、その批判ははね返されてと言うか、ブラックホールに吸い込まれてと言うか…、「強制の構造」はほとんど変わっていないからである。

もちろん、それには私の非力さが大きく与かっているとは思うのだが、それにしても、我々の「相手」はなかなかに“したたか”だと思うのだ。

木村氏の記事は、強制加入は憲法に言う「結社の自由」を侵すと明言し、「強制加入でかまわない」という判断を否定する。
しかし、問題は、教委・PTAが「強制加入でかまわない」という立場に立っているのかである。先方が「強制加入でかまわない」と言っているのであれば、「強制加入は違憲」との批判は有効だろう。しかし、教委・PTAは、その点、巧妙な立場をとっている。
彼らは、「強制加入は合憲」と言っているわけではないのだ。


2.教委の言い分(その1) 「『自動加入』は『強制加入』とは違って、違法性はない」
「県下の多くの公立学校において行われている、意思確認抜きに保護者を加入させるやり方は、強制性があり人権上の違法性があるのではないか?」との当方の問い合わせに対して、神奈川県教委は顧問弁護士に相談のうえ、文書にて回答した。
その回答は、次のようなものであった。

「県下PTAにおいて行われている『自動加入』は違法ではない。規約に自動加入と明記されており入学と同時に自動的に会員にされたとしても、脱退については、任意の退会を認めない旨を定めることはできず、会員はいつでもPTAに対する一方的な意思表示で脱退できるので、意に反して会員でなければならないという事態は容易に解消できる。また、規約に明記されず慣習として自動加入になっている場合においても、保護者が明らかに加入しないとの意思表示をしていない場合は、慣習に従う意思を有するものと推定される。よって、自動加入には強制性はなく、人権上の違法性はない。」(要約)

つまり、確かに「強制加入」なら違法だろうが、当県において行われている「自動加入」方式には強制性はなく、よって違法性はないという主張なのだ。
※拙ブログ記事(2011.01.04)「神奈川県教委生涯学習課からの「自動加入」のPTAにおける違法性をめぐる回答書」参照。

この立場は、意識的かどうかはともかくも、現在、多くの教委・PTAが立っている立場ではないだろうか。
入会の意思を確認することなく一律に保護者を入会させているPTAは数多く存在する。そして、そのことはどの教委も把握しているはずである。それにもかかわらず、是正の動きを見せないということは、彼らも、神奈川県教委と同様、「自動加入には強制性は認められないから問題はない」との立場に立っていると言わざるを得ない。

直近の例では、「PTAの現状はおかしいのでは?」との保護者からの疑問に対して、神戸市教委が次のように回答している(との情報をついこの間ネットで得た)。

*****
(1)入退会は、お子さまの入学と同時に加入し、卒業と同時に退会する仕組みが多いです。お子さま入学のときに入会の説明をし、総会で承認されるという流れが一般的です。任意団体であることの説明や入会申込については個々に状況は違いますが、しているところは少ないと思われます。
*****
http://www.inter-edu.com/forum/read.php?1647,2904283,page=7

「任意団体であることの説明や入会申込については個々に状況は違いますが、しているところは少ないと思われます。」と、教委が悪びれることなく述べている。

現在、神奈川県教委だけではなく多くの教委が、入会の意思の確認を行わないで一律に保護者を入会させるやり方であっても、入会拒否の姿勢を鮮明にした保護者を無理やり会員にとどめたりさえしなければ強制とはならないという立場に立っているのではないだろうか。
つまり、「争点」は、強制加入が合法か否かではなく、現状の多くのPTAには強制性があるか否かだと言える。


3.教委の言い分(その2) 「親なら参加してしかるべし」
もうひとつ、真の任意加入を実現するためには考えておく必要があると思われる教委の言い分がある。

昨年末から昨年度末にかけて、横浜市のP連の理事会で、PTAへの参加が任意(つまり、入退会は自由)である事実を保護者に周知すべきか否かが問題になった。そして結局、P連全体の方針としては、参加が任意との事実を各保護者に知らせることは見送られることになった(前エントリ参照)。その議論の最終局面で、教委事務局の生涯学習担当部長が次のように述べている。

*****
川﨑生涯学習担当部長:PTAは法的に設立した団体ではない。よって入会は強制ではない。趣旨に賛同する人が加入するものだが、本来PTAは、すべての子どもをすべての保護者と教員で支えるのが望ましい在り方と市教委は認識している。その仕組みについて説明し協力をいただくことが重要。
*****
(平成24年度 横浜市PTA連絡協議会 第8回理事会報告)

「本来PTAは、すべての子どもをすべての保護者と教員で支えるのが望ましい在り方と市教委は認識している。」の部分に注目したい。教委が、PTAには全保護者が加入することが「望ましい」と公の場で明言しているのである。そしてまた、「(各保護者に)その仕組みについて説明し協力をいただくことが重要」とも述べているのである。
このような発言は決して突発的なものではなく、2年前にも同趣旨の発言がなされている。

「規約の配布や説明がないままPTA 加入が前提で、ただ会費を集める手続きはしてもらうという学校の姿勢に不信感を持ちました」とする市民からの「声」に対して、横浜市教委は、次のように回答しているのだ。

*****
PTA 費は学校運営の中で児童全体にかかる事柄に使われ、児童個別ごとに分けることが難しいものであり、原則PTA の加入は任意ではありますが、全員加入をお願いしているところです。
〈問い合わせ先〉
教育委員会事務局北部学校教育事務所指導主事室
<公表日>
2011年4月4日
*****
(「横浜市『市民の声』の公表」)
ここで「学校運営の中で児童全体にかかる事柄に使われ、児童個別ごとに分けることが難しい」とされる「PTA 費」の具体的な使い道としては、「例えば、学校と地域が連携した活動を行う場合や運動会において全児童に配布する参加賞などで、一部PTA 会費から負担されるものがあります。」と回答されている(『市民の声』同年5/6付回答)。

この「回答」に対して、筆者が「加入の要請には法的な根拠があるのか。もしも法的な根拠がないのなら、教育行政が保護者全員の加入を要請するのは問題ではないか」と問いかけたところ、横浜市教委からは「強制ではなく『お願い』だから問題はない」との趣旨の回答があった(「回答のとおり「お願い」であって、法令に基づくものではありません。」(市民からの提案 第23-300498号))。
※拙ブログ記事(2011.09.16) 「“全員加入”をめぐり「市民の声」への投稿と横浜市教委事務局よりのメールでの回答」参照。

(注)教委自身が述べるごとく、「全員加入」の「お願い」は法令に基づくものではない。先に引いた教委部長の「全ての保護者の参加がPTA本来の望ましいあり方」との立場も、これまた法令(及び文科省の通知・通達)に基づくものではない。
法令や文科省の通知等に基づくことなく、教育行政が、保護者や社会教育団体のあり方について、たとえ命令でないとは言え、干渉することは行政のあり方として適法なのだろうか?


横浜市教委は「保護者全員が参加するのがPTA本来の望ましい姿である」と述べ、「全員加入」を「お願い」するわけだが、そのような立場の背景にある心根を理解するのに参考になるのは、次の栃木県教委の発言である。

*****
PTA は、会の趣旨に賛同した人が入会する民主的任意団体です(任意加入方式)。しかし、子供の幸福を願わない親や教師はいないので、大部分のPTA は加入率が100%になっています。それだけに、PTA を正しく理解し、会員意識を高める工夫が大切となります。
栃木県教委『あすのPTA のためのハンドブック』第3章PTA の特質より
*****

「しかし、子供の幸福を願わない親や教師はいないので、大部分のPTA は加入率が100%になっています。」の部分に注目したい。
ここには、「子どもの幸福を願う親なら当然のことPTAに入るものだ」との価値判断が認められる。


4.PTA問題の核心にあるもの ― 法に基づかない規範意識、及び学校の「しくみ」が保護者の選択の自由を奪う
「親ならPTAに入るべき」という法令に基づかない「規範意識」は、単なる規範意識にとどまらず、現実の「しくみ」として保護者の前に立ちはだかる。

それが、意思確認抜きの、つまりは「有無を言わせぬ会員化」(自動加入)であり、会費の給食費・教材費等との抱き合わせ徴収であり、入学式当日、記念写真を撮る前に行われるいきなりの役員決めであり、学年や学期の節目等に開催される「保護者懇談会」と「PTA会員の集会」との一体的開催等々である。

保護者の前に立ちはだかる学校の「しくみ」の最たるものは、「保護者懇談会」と「PTAの集い」との一体化であると考える。
それ以外のものについては、保護者が知識を持ち、ある程度毅然とした態度を取るならばクリアできるように思われる。「自動加入」の学校・PTAであろうと、非加入届を出せばいいのだし、抱きあわせ徴収に関しても、給食費と教材費のみの金額を納めるとの意思表示をすれば学校から拒否されることはないはずだ。
どれも、現実問題としては角が立ち、骨の折れることではあるが、やってやれないことはないように思われる。

ところが、「保護者懇談会」と「PTA会員の集い」とが一体的に開催されると、非常に悩ましくなる。「保護者懇談会」と「PTAの集い」とが一体的に開催されると、PTAに入らない保護者は、担任の先生や子どもの同級生の保護者と連携・協力すること( ― これを望まない保護者はいないと思う)が、とても困難になってしまう。親が、担任とそのクラスの保護者仲間のサークルから疎外されてしまうのである。
そして、親の疎外は、子どもの疎外につながることは容易に想像される(特に小学校低学年においては)。

この困難な状況を前にして、非加入の道を歩む決心ができる親はまずいないだろう。
現状、PTAの加入率が100パーセントに近いのは、任意であることが周知されていないこともあるだろうが、この「しくみ」が親を否も応もなくそう仕向けているという側面も大きいと思う。


5.まとめ ― 親がそれぞれの道を歩むには
木村氏の記事は一言一句が納得と感動の記事であったが、特に感銘を受けたのは次の一節だ。

*****
子どもや学校、地域社会のために何ができると考えるかは、人によって異なる。PTAの趣旨に賛同する人々は、PTAで活躍してほしい。他方、企業活動を通じた社会貢献や、家庭でじっくりと子どもと過ごす時間を重視したい人などには、その自由を認めるべきだ。
*****

それぞれの個性と環境に合わせて、子どもや学校、地域社会への貢献のあり方を各保護者が選択する。その選択を社会が認める。憲法の精神に合致した望ましい姿だと私も強く思う。
その選択を可能にするには、PTAには保護者なら加入して当然という「規範意識」、そしてその規範意識に基づいて作られている学校の「しくみ」、その両者を対象化し、克服していくことが必要だと考える。


学期の節目等に「保護者懇談会」に参加して、保護者が教師と、そして子供の同級生の保護者等と連携し協力を行うことは、子どもたちが健やかに学校生活を送るために必要なことだ。
だから、「保護者懇談会」への参加は、全ての保護者の義務であり権利であると言っていい。そしてそれは切なる願いでもある。

学校・教委には、PTA会費を給食費と抱き合わせに徴収すること等を考え直すだけではなく、ぜひ、保護者懇談会の適切な運営をお願いしたい。
保護者懇談会の適切な運営は、「保護者」(PTA会員ではなく!) と学校とが協力して子どもたちの教育を行っていくうえでどうしても必要なことだと思うのだ。

ミニマムをしっかりと押さえること。それが、それぞれの保護者がそれぞれの道を歩むための前提条件だと思う。

憲法の視点からのPTA改革 木村草太氏の朝日新聞投稿記事を読んで(その1)

4月23日の朝日新聞文化面に、木村草太氏(首都大学東京准教授・憲法学)による、「PTAと結社の自由」をテーマとする投稿記事が載った。

すでにいろいろなブログで話題になっているが、拙ブログでも記事の内容を紹介しておきたい。

まず、朝日新聞デジタルで現在無料公開されている冒頭部分を以下にコピペする。

*****
憲法からみるPTA  強制加入は「結社しない自由」侵す

「どうする? PTA改革 札苗小の取り組み」(2月16日付朝日新聞朝刊)などの記事に、2児の父である筆者も強い関心を持った。任意加入の団体であることを明示した上で、より良いPTAを実現しようとする活動に共感した。一方で、その活動が困難なのは、PTAや保護者懇談会といった団体の在り方について法律家がきちんと説明する努力を怠ってきたからではないかと感じた。そこで、法律家の視点から検討してみたい。

憲法21条は「結社の自由」を保障する。この自由には、自由に団体を作って良いという「結社する自由」と同時に、自分の望まない団体には入らなくて良いという「結社しない自由」があることを忘れてはならない。つまり、PTAなどの団体は、その趣旨に賛同する人が自由に結成するものであり(結社する自由)、望まない人に加入を強制してはならない(結社しない自由)、というのが憲法上の大原則になる。
*****
http://www.asahi.com/edu/articles/TKY201304230010.html

「PTAなどの団体は、(…) 望まない人に加入を強制してはならない(結社しない自由)、というのが憲法上の大原則になる」と、まず「大原則」が示され、次いで、PTAが守るべき「3原則」が提示される。それは次のようなものだ。

(1)完全な任意加入
(2)学校からの独立
(3)圧力・いじめの厳禁


それぞれの「原則」についての木村氏の解説を見ておこう。

「(1)完全な任意加入」に関しては、次のように述べられている。
***
「強制加入でよいはずだ」と考える人もいるかもしれないが、強制加入制度が許されるのは、公益上の必要があり、かつ、法律の根拠がある場合(例えば、健康保険組合や弁護士会など)に限られる。教育基本法にも学校教育法にも、加入を義務付ける規定がない以上、PTAは法的には任意加入の団体である。したがって、強制・自動加入を定める規約や慣習があっても、法的には無効になる。
***

「(2)学校からの独立」については、以下のよう。
***
また、PTAはあくまで学校から独立した団体だから、学校がPTAに在校生や保護者の名簿を提供するのは、個人情報保護法が禁ずる個人情報の第三者提供になる。会員名簿を作りたいなら、積極的に加入意思を示した人に加入申請書を書いてもらい、PTA自身がそれを集めるべきだ。
***

「(3)圧力・いじめの厳禁」については、以下のよう。
***
強制・自動加入体制を敷いたり、参加しない保護者に圧力をかけたりするのはやめた方がいい。強制徴収した会費でプレゼントを配るのは一種の押し売りになる。会員への労役強要や非会員への心理的圧力が過大になってイジメのような事態に発展すれば、不法行為として役員やPTAが損害賠償を請求される危険すらある。
***

まとめの部分では、

***
子どもや学校、地域社会のために何ができると考えるかは、人によって異なる。
***

とし、「PTAの趣旨に賛同する人々は、PTAで活躍してほしい。他方、企業活動を通じた社会貢献や、家庭でじっくりと子どもと過ごす時間を重視したい人などには、その自由を認めるべきだ」とされる。
そして、最後の一文は、「自発的に参加するからこそ、参加者は知恵を絞り、楽しく有意義な団体活動が実現する。憲法が結社の自由を保障する理由は、こういうところにある。」と、憲法の精神に言及し、記事が結ばれる。

(その2)に続きます。


横浜市のPTA 任意加入周知の動き、失速

<任意加入周知への動き>
横浜市のPTA連絡協議会(以下、「市P連」)では、月に一回のペースで理事会が開催される。

http://www.pta-yokohama.gr.jp/Meeting

昨年の12月に開催された第5回理事会において、会議冒頭、会長挨拶に続き、定例の「生涯学習文化財課」からのあいさつがあり、その中で、田中主任指導主事が次のように述べている。

***
音楽交歓、三行詩コンクールへの感謝。4月の新入学説明会にPTA任意加入の説明を願う。PTAでの個人情報保護の徹底を願う。
***

翌、新年1月の第6回理事会冒頭のあいさつにおいてはさらに踏み込んで、次のような要請がなされた。

***
任意の話、これから新入生の保護者の皆さんにお伝えする部分大変かと思うが、校長、副校長、役員の皆さんで話していただき、より良いPTA活動目指して協力いただければと願う。(田中主任指導主事)

(任意について)
任意については新聞、ネットを含め沢山情報があるが、情報は正しく伝えることが大事。役員を決める際などには人権的配慮を。できて当たり前は全員には通用しない。個人の生活に負担がかかりすぎると最終的には子どもたちに影響を与える可能性は多分にある。継続するためには変わることも大事。理事会で情報を発信し、より良いPTA活動を。先生、教育委員会、保護者の連携がとれてこそより良い学校が作れる。そのためにもPTAは必要な活動。ご理解、ご協力を。(PTA担当鈴木氏)
***

PTAが任意加入の団体である旨を新入生の保護者に伝えるよう、はっきりと要請されている。教委として、PTAに対してこのように明確な要請を行ったことは画期的なことだった。

この教委の動きは、市民からの要請に基づいたものだ。
「市民の声」という広聴システムが横浜市にはあり、その中で、昨年の8月に、
「PTAには必ず入会しないといけないのですか。
小学生の子どもがいますが、役員を押し付けられました。また、PTAに入会しないと子どもが不利益となることはありますか。」
との声が寄せられ、その声に対して、教委生涯学習文化財課は、

*****
PTAは任意団体であり、入退会も自由です。この点については、校長会等を通じて、学校説明会等で保護者に周知するよう学校長へ説明しています。
*****

と回答していたのである。
http://cgi.city.yokohama.jp/shimin/kouchou/search/data/24001826.html


<市P連理事の反発>
翌2月の理事会冒頭においても、次のように、教委側からはさらに踏み込んだ話がなされた。

**
生涯学習文化財課あいさつ 田中主任指導主事
2月の小学校長会・理事会において市P連理事のみなさんが任意についての話合いを進めている事を伝えた。また、単P会長・校長・副校長も連携し、任意加入についての周知をお願いした。中学校長会においても同様にと考えている。 皆さんには、多忙の中での次年度の役員決め等、感謝する。
**

ところが、前月行われた部会に関しての「部会報告」のところで、任意加入周知の要請に対して、事実上の拒絶の意思表示がP連側からなされたのだった。

***
小学校部会
高橋副部会長:あらためて中小連携の大切さを実感。PTA任意加入についても活発な意見交換となった。それらを代表して鶴見区理事より意見発表する。

鶴見区理事:任意団体は法定団体ではない。PTAを組織することはその団体の自主制に任されている。市教委が「任意加入」を伝えよといっても、それも単Pに任されているのではないか。規約の決定に始まって、活動は単Pが決められるはずである。また市P連・区P連は、みなさんで課題を話し合う場であって上下の関係はないので、指示はできないと思う。PTAは現場の教師の良きパートナーの一人、行政にはPTA活動の包括的支援・社会的支援をお願いしたい。マスコミ、行政に振り回されず自分たちが考え、判断して活動を進めて行ければ良いと思う。
***
(太字、引用者。以下、同)

この「鶴見区理事」の発言は、一理事の発言というよりも、小学校部会での意見交換を「代表して」なされたものであることに注意しておきたい。

このように、2月の理事会では、任意加入の周知を重ねて要請する教委生涯学習文化財課と、その要請を、「任意を周知するもしないもPTAの自主性に任されているはずだ」と拒否するP連側の態度が真っ向から対立する形となった。


そうして、翌3月13日に開かれた第8回理事会において、市P連会長と教委生涯学習担当部長より、対立の裁定とも言うべき、以下のような総括的な発言がなされた。

*****
4. 議事 3)PTA活動の任意性に関する件について
栗原会長:前回部会にて検討。現在上手くいっている学校を混乱させてもいけないが、全会長が知らなければいけない。3月中に各校に文書を配布予定。意見を乞う。これで終わりでなく、全会員が気持ちよく活動できるよう努めていく。

川﨑生涯学習担当部長:PTAは法的に設立した団体ではない。よって入会は強制ではない。趣旨に賛同する人が加入するものだが、本来PTAは、すべての子どもをすべての保護者と教員で支えるのが望ましい在り方と市教委は認識している。その仕組みについて説明し協力をいただくことが重要。
*****

P連会長の発言においては、任意加入について、「全保護者が知らなくてはならない」ではなく、「全会長が知らなくてはならない」とされていることに注意したい。教委幹部の発言も、任意性の周知よりも、全員参加に向けての取り組みの方に発言の重心が移ってしまっているように私には読み取れる。
(なお、会長の発言の中で、「全会員が気持ちよく活動できるよう努めていく」とあるのも、気になる。そこには、「全保護者」への目配りが欠如しているように思う。これは、決して言葉尻の問題ではないと思っている。)

同日、理事会に続いて開かれた小学校部会においては、任意加入の周知のために用意されたであろう「PTA活動を進めるために(案)」という「手紙」の扱いが議題となっている。そこでは、次に見るように、その「手紙」は「校長と会長が見ればよい。保護者に知らせる必要は必ずしもない」となってしまった。

その部分を引用しておく。

*****
(1)市P連よりの手紙について
校長先生と本部役員の共通理解として使用するなど、扱いについては単Pの判断に任せる。
→「PTAは任意団体」。つまり「運営や活動については自由。自分たちで決めて活動することができる」という団体。「任意団体」と「任意加入」とは別問題。しかし、手紙には「加入」のことにしか触れていない。
→市Pや教育委員会は、管理機関ではない。「市Pに言われたから」という言い訳はきかない。それならば、市Pが指導的立場にあると誤解をうけるような表現はやめたほうがいい。
→そもそもこの手紙を出す意味は、PTA会長が代替わりした際など、基本的な知識がない会長の覚書のような存在。であれば、校長先生とPTA会長最低限の間で共有していればよいと思われる。
*****

今引用した部分の直後に、オブザーバーとして参加している主任指導主事のコメントがある。

*****
田中主任指導主事より
手紙に関しては、正しい知識を会長や校長・副校長に示すための第一段階。校長先生方の中でも、任意加入の理解について温度差がある。そのために、一個人から教育委員会へ問い合わせがあるのも事実。最低でも校長・会長の間では、共通理解が必要。
*****

主任指導主事の苦衷は察するにあまりあるが、各保護者への周知の方針は撤回されたということだ。私の理解に誤りがなければ…。

この、3月の小学校部会の部会報告を見ると、任意周知に向けた動きに対して幹部たちの反発が噴き出していると言っても過言ではない。納得できない発言に赤線を引いていたら真っ赤になってしまいました。


<まとめ>
以上、横浜市において、「市民の声」を受けていったんは任意周知に向けての動きが出たものの、市P連理事の反対によってその動きが抑え込まれてしまったことを見てきた。

とは言え、生涯学習文化財課からの問題提起は大きな一石を投じており、全市的とは行かずとも任意加入を伝えることにした単Pもかなりの数にのぼるようであるし(2月の中学校部会報告冒頭発言)、活動のスリム化をどう進めるかや、役員になってもらうにはどういう工夫が必要かなど、PTA幹部たちの間にもPTA問題解決に向けての動きが出てきた(2月の小学校部会報告等)こともまた確かである。

しかししかし、P連理事の皆さんは、上から任意の情報を遮断したとして、PTAの基本的な性質について、これだけ、新聞やテレビでとりあげられるようになってきたのだから、いずれ各保護者の知るところになるとは思わないのだろうか?
そして、そうなると、PTAという団体に対する「社会的信用」をますます損なうことになるとは考えないのだろうか?


追伸
4月23日の朝日新聞文化面に載った、木村草太氏(首都大学東京准教授・憲法学)による「PTAと結社の自由」をテーマとする記事につき、近々感想を述べたいと思っています。

「小平の風」に「二つの『私』 ― 日本人に『私』はあるのか? ないのか?」と題して書きました

勤務校のブログ「小平の風」に、今回は、昨秋の世間学会での発表時に受けた質問をめぐって小文を書きました。


「二つの『私』 ― 日本人に『私』はあるのか? ないのか?」(『小平の風』)


その記事の中でも触れていますが、上記テーマについて、来る3月7日(木)に行われる学内研究発表会で考察してみたいと思っています。



<「小平の風」の過去記事>
・神戸・京都・奈良研修 ~伝統文化と欧米の文化~

・This is a pen. を日本語にできるか?

・「好きです」に面くらったフランス人の日本文化論-主体=「創造主」不在の文化-

・日本語とPTA -「主体性と公共性」の希薄さをめぐって―

・日本世間学会

・「ネット」の力 ― 仙台市教育課題研究発表会に参加して

・世間学と日本語


横浜でも「校長による強制的な会費徴収方法」(@読売新聞2012.8.31)を改める方向に

本日、横浜市教委高校教育課からお話を聞くことができた。

うれしいことに、「桜丘高校の従来の徴収方式は誤解を招くところがあったので改めたい。今見直しをはかっていて、学校納入金とPTA会費とを完全に分ける方向で新年度向け書類を改正中だ。」とのこと。
他の市立高校においては現在未着手ながら、同じような事例があれば見直していきたいとも。
(前エントリのコメント5で紹介した中学校(東京都多摩地区)においても、「校長による強制的な会費徴収方法」は是正されることになったそうだ。)


当方から、「従来、PTA会費を教材費等の学校諸費と『合算』で徴収されることによって、保護者は事実上PTA会費の支払いを強制されてきたと言える。これからは『合算』ではなく、学校諸費のみを支払うという選択肢も保護者に与えられるのか? そうでないと、地方財政法(逐条解説)や文科省の通知で言うところの「真の任意性」が担保されなくなってしまうと考える。」
と述べたところ、

「今後は、入会手続きを取ったうえで、会費を集めます。」
との返答。

その場合、保護者の「選択の自由」がきちんと担保される形でなされるのですね? と確認すると、どうもはっきりしない。
しつこいようだが、こういう場合、「入会の手続き」が、事実上、強制的に進められることがままあるので注意が必要なのだ。

入会の手続きの具体的な進め方については、教委として調査のうえ、後日、ご返答いただけることになった。


<「PTA入会特別金」の会計処理について>
驚いたのだが、学校が、「「情報教育費」「進路指導費」「部活動振興費」として、全生徒の教育活動の充実のために使わせていただくもので」と述べている「PTA入会特別金」は、最終的にもPTAの会計として処理されており、学校への寄付金にはなっていないというのだ。
「情報教育」も、「進路指導」も、「部活動」も、言うまでもなく、学校による教育活動である。その経費を学校とは別団体のPTAが支出しておいて、「寄付ではありません。自らの活動の経費です。」という言い分は、全く想定外であった。
実態としては、それはどう考えても「学校への寄付」になると思うのだが・・。
文科省は、このような処理を想定しているのだろうか?
これも、検討をお願いした。


なお、小学校・中学校についてもPTA会費の徴収に高校と同様の問題があるわけだが、小学校・中学校については生涯学習課の対応となるとのこと。後日確認したいと思っている。


追記(2013.2.15)
「PTA入会特別金」の位置付けについての説明に理解できないところがあったので、以下のような、追加の問い合わせをしました。

○「PTA入会特別金」について
・「PTA入会特別金」は「学校への寄付金」としては処理されていないということだが、では、どのような費目として処理されているのか?

・「PTA入会特別金」は、昨年出された「学校における会計処理の適正化」に関する文科省からの通知・調査とは無関係であるという位置付けをしているのか?
具体的に言えば、通知の前書きには、

「学校関係団体からなされた寄附等に係る支出の項目が学校教育法第5条や地方財政法の関係規定に照らして疑義を生じさせる事案等が国会において指摘されたところです。」
http://ameblo.jp/maruo-jp/entry-11324539797.html

という一節があるが、「PTA入会特別金」は、その中の、「学校関係団体からなされた寄附等に係る支出」には当たらないと位置づけているのか?

・さらに言えば、同通知・調査に関わる「点検・調査結果」が、現在、文科省のサイトに公開されており、その中に、(学校への)「経費の支援」という言葉が出てきているが、この「経費の支援」にも当たらないというのか?
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/jinji/1329576.htm


いずれも、調査の上、回答いただくことになった。現在、高校が入試業務の最中とのことで、昨日の質問と合わせ、さ来週前半を目途に回答いただけることになりました。

「PTA入会特別金」をめぐり横浜市教委に問い合わせ

拙記事<川端裕人氏小金井講演補足篇(+最近思うこと)>に最近寄せられた横浜市の保護者の方からの話によると、残念ながら、横浜市では、依然、PTA会費を教材費等と抱き合わせに徴収している学校があるようだ。
そこで、「横浜市 学校納入金 平成24年」といったワードで検索をかけてみた。すると、いくつもの学校で校長名によるPTA会費の徴収が行われている。
今回取り上げるのは、その中の一つのケースである。


横浜市立桜丘高校のサイトには、新入生の保護者宛てに作られたと思われる「校納金等について」というページがある。
http://www.edu.city.yokohama.jp/sch/hs/sakura/99_blank037.html
(2013/02/05確認)

それを見ると、ふたつある「入学時に納入していただく経費」のひとつとして、「PTA入会特別金」というものが設定されており、
*****
「情報教育費」「進路指導費」「部活動振興費」として、全生徒の教育活動の充実のために使わせていただくもので、平成24年度入学者は8,000円です。入学手続時までに指定の口座に振り込んでいただくようにお願いしています。(振込手数料をご負担ください)
*****
とされている。
ちなみに、もうひとつの「入学時に納入していただく経費」は「入学金」で、その金額は「PTA入会特別金」よりも安い5,650円である。

さらに、「入学時に納入していただく経費」の他に「年度ごとに納入いただく経費」があり、多くの費目があるのだが、そのひとつとして「PTA活動充実費」3,840円の支払いも求められている。そして、
****
諸会費、諸経費が滞納となった場合は、入学時に提出いただいた「保証書」の「保証人」に連絡することがありますので、ご了承ください。
****
との注意書きが添えられている。
ちなみに、授業料はゼロ円(国の政策により)である。


この同校の新入生の保護者宛て案内をめぐり、一昨日、二つの点につき質問した。

①「PTA入会特別金」の会計処理はどのようになされているのか。
「「情報教育費」「進路指導費」「部活動振興費」として、全生徒の教育活動の充実のために使わせていただくもので」との説明からすると、その「PTA入会特別金」は、PTAから学校への寄付金となっているように思われるのだが、実際はどうなっているのだろうか。
もしも、学校への寄付金となっているのならば、学校が自らへの寄付金を自ら保護者より徴収していることになり、地方財政法及びそれを踏まえて昨年出された文科省の通達(「学校関係団体から学校に対して自発的な寄附(金銭・物件)を行うことは禁止されておらず」⇒「強制性の認められるものはダメ」)に触れる疑いがあるのではないのかと思われる。
(なお、文科省の通達に関しては、拙記事<文科省「PTA会費に関する通知」を読む 資料編1(通知内容)>参照)


②桜丘高校のPTA関係諸費の集め方を見ると、昨年の8月末に和歌山県教委が「今後学校を指導していく」とした、「校長による強制的な会費徴収方法」(読売新聞2012.8.31)に当たると思われる。
横浜市教委では、こういうやり方を改めるように「学校を指導していく」予定はないのか。
ネット等で確認すると、横浜の市立学校において、同様の問題は、高校だけではなく、小学校にも中学校にも認められる。


提起した二つの問題は、高校教育課、生涯学習課、学事支援課にまたがる問題のようであり、どこが対応するのかも含めて、返答は数日待ってほしいとのことだった。
(代表番号にかけ要件を話したところ、今回は高校教育課の応対となったことを付記しておきます。)


小平手話サークル2012年度講演会(小平市福祉会館) 

昨年度に続いて小平手話サークルからのご依頼があり、世間学会のあった翌週の火曜日(11月13日)の19:00から、

第二言語としての日本語を考える
~「私」との関わりが表現される言語 ~


と題して日本語についてお話ししました。
(昨年度の様子は、こちら)


主催者の方から「第二言語としての日本語」というお題が示され、「日本語のどんなところに注意しながら外国人学習者への日本語教育に携わっているのか話してほしい。手話通訳の勉強をしている人や、健常者に日本手話を教えている人の参考になると思う。」といったお話でした。

話の中心は、日本語における「自己中心的な視点」です。
以下に、講演会当日に配布したハンドアウトを貼っておきます。なお、ハンドアウトにもともと記されていた説明は黒字、当日話した内容等は青字で示します。


********************
0.はじめに
0.1 第一言語(母語)と第二言語

第一言語は自然に身につけられるが、第二言語を習得するには意識的に学習することが必要。

・『みんなの日本語』と『新文化初級日本語』
・学習を始めた場所の違い(日本か母国か)

① 日本語教育(初級)の現場では、現在、『みんなの日本語』(スリーエーネットワーク)が圧倒的なシェアを誇っているが、それは「文法(文型)」がしっかりと教授・学習できる点が評価されているからだと思っている。(なお、中級においては文化外国語専門学校の『文化中級日本語』が多くの日本語教育機関で使われている。)

② 日本語教育に長年携わってきた経験からすると、ゼロレベルから日本で日本語の勉強をしてきた学生と較べて、中級までは母国で学習してきた学生は(来日当初は聞き取りと発話にたどたどしさがあるものの)上級レベルにおいて伸びる傾向があるように思う。

上記二つの点から、第二言語の学習には文法・文型についての意識的な学習が重要であることがうかがわれる。



0.2 「第二言語としての日本語」との相性
ひと口に「第二言語としての日本語」と言っても、学習者の母語によって習得の難しさは違ってくる。
学習者の母語のタイプが日本語に近ければ習得の困難度は低くなり、日本語から遠ければ習得の困難度は高くなる。

・韓国語母語話者と中国語母語話者における日本語習得の困難度の違い
困難度:( 中国語 )>( 韓国語 )
韓国語は日本語と文法がもっとも近い言語と言われている。韓国語を母語とする学習者が中国語や欧米系の言語を母語とする学習者に較べて、ずっと楽に日本語を身につけることは日本語教育に携わる多くの者が感じることだと思う。

では、習得の困難度に関係する「日本語の特徴」はどのようなものか?


1.日本語の特徴 -自己中心的視点

1.1 「自己中心的な視点」と「第三者的な視点」

「自己中心的な視点」:自分に密着したところから世界を見る。
・自分自身は視野に入らない。「自己」は特別な扱いを受ける。
・「『私』との関わり」が表現される。

「第三者的視点」:自分から離れた第三者的な位置から世界を見る。
・自分自身も「登場人物」の一人として扱われる。
・発端と結末(主体から客体へという客観的な流れ)が表現される。

日本語は、「自己中心的な視点」を強く持つ言語。

「自己中心的な視点」における「自分自身は視野に入らない。「自己」は特別な扱いを受ける。」という側面に関しては以下の2.1~2.3において触れる。いっぽう、「「『私』との関わり」が表現される。」という側面については2.4~2.7で触れる。


2.「自己中心的な視点」に由来する表現とは
2.1 「今、私はどこにいますか?」


(1)「今、あなた、どこにいるの?」
(2)「今、あの人、どこにいるの?」
(3)??「今、私、どこにいるの?」⇒ここは、どこ?

(4) Where are you?
(5) Where is he?
(6) Where am I?

英語では「自己」は二人称、三人称と同じように扱われている。つまり、英語話者は「自己」を突き放して「他者」と同じように扱っている。(第三者的視点)
一方、日本語では「自己」は二人称、三人称とは違う特別な扱いを受けている。
(自己中心的視点)

中国語は両様の言い方が可能なようだ。


2.2 「私は星を見ます。」/「私は虫の鳴き声を聞きます。」

(1)「星が見えるね。」
(2)「虫の鳴き声が聞こえるね。」

(3) I see stars.
(4) I hear a humming of insects.

日本語では、通常、「私」は表現者の視野に入らず表現されない。

中国語も日本語と同様の「私」抜きの言い方が普通とのこと。


2.3 「鈴木さんはうれしいです。」

(1)「(わたしは)うれしいです。」
(2)??「あなたはうれしいです。」
(3)??「鈴木さんはうれしいです。」

(4) I am happy.
(5) You are happy.
(6) He is happy.

英語では各人称が同列に扱われているが、日本語ではそうなっていない。

韓国語には日本語と同様の制限が見られる。なお、2.1と2.2においても韓国語は日本語と同様の振る舞いをする。


2.4 「鈴木さんが私に素敵なプレゼントをあげました。」

(「与え手」が主語)
(1)鈴木さんが佐藤さんにプレゼントをあげた。(「私」の立場:第三者)
(2) 私が鈴木さんにプレゼントをあげた。(「私」の立場:与え手)
(3)鈴木さんがわたしにプレゼントをくれた。(「私」の立場:受け手)

(「与え手」が主語)
(4) Mr.Suzuki gave a present to Mr.Sato.
(5)I gave a present to Mr.Suzuki.
(6) Mr.Suzuki gave a present to me.
(中国語は「給(ゲイ)」、韓国語は「주다(チュダ)」)

第三者的な視点から「与え行為」を眺めた場合、「自分」の立場が与え手であれ受け手であれ、(突き放されて他者と同様に見られているので)そこには「人物Aから人物Bに対してなされる行為」という共通性が認められる。
一方、自己中心的な視点から「与え行為」を見た場合、「自分」が与え手であるか受け手であるかで「別もの」となる。

一方、「あげる」と「もらう」の使い分けは、与え手が主語になる(「あげる」)のか受け手が主語になる(「もらう」)のかの違いに対応しており、他言語にも幅広く認められる。

**********
・「あげる」と「もらう」を区別する基準 
主語(動作の主体)が与え手なのか受け手なのかが問題で、「私」との関わりは問題にならない。
⇒第三者的な視点からの使い分け

・「あげる」と「くれる」を区別する基準 
「私」が与え手なのか受け手なのかが問題で、「私」との関わりが問題になっている。
⇒自己中心的な視点からの使い分け
**********
※日本語は「私」中心の言語。つまり、「私」の視点から事態を捉え、描写する性格が強い。



2.5 「友だちのAさんが私の引越しを手伝いました。」

(1)「AさんがBさんの引越しを手伝ったそうです。」
(2)??「Aさんが(私の)引越しを手伝いました。」
Aさんが引越しを手伝ってくれました。

「自分」への影響(受益感情)が表現されないと自然な「文」にならない。

「~てあげる」「~てくれる」「~てもらう」といった恩恵性を表す表現は、そもそも欧米の言語や中国語には見当たらない。山田敏弘 (2004)によると、日本語以外に授受の補助動詞を用いて恩恵性を表わすのは、韓国語、ヒンディ語、モンゴル語、カザフ語などかなり限定された言語に限られる(p.341~355)。

他言語における類似の表現との違いについては、世間学会発表のハンドアウトの注3参照。



2.6 「今朝5時に父が私を起こして、私に身支度しろと言った。」

(1)「今朝5時に父に起こされ、身支度しろと言われた。」(映画『アンネの日記』)

(2) This morning ,father woke me up at 5 O’clock and told me to hurry.(映画『Anne』)
(韓国語、マラーティ語も英語と同様に能動態。)

日本語では、受動態にすることで『「自分」への影響』が表現される。
一方、「英語や韓国語は、主体から客体へという客観的な流れを重んじ、事態の行為者の視点から事態を捉え、能動文で描写する傾向が強い。」(堀江他(2009)p.198)

堀江他(2009)では、日本語原文のものとして『窓ぎわのトットちゃん』と『こころ』、英語原文のものとして映画The Diary of Anne Frankとその各国語訳を使って、日本語、韓国語、英語、中国語、マラーティー語において受動文がどのくらい使われるかが調査されている。それによると、日本語が受動文を多用する傾向が明らかに認められる。

『トットちゃん』とその訳における受動構文の分布は以下のとおりとされる。
日本語:80
韓国語:47
英語:37
中国語:31
マラーティー語:7


『こころ』とその訳における受動構文の分布も、同様の結果となっている。
日本語:339
韓国語:164
英語:102
マラーティー語:42

では、なぜ日本語には受動文が多いのか。ここにおいても、「自己中心的な視点」が関与していると考えられる。
英語、中国語、そして韓国語においては、動作の主体を中心にして(つまり主語にして)文を組み立てる傾向は、たとえ自分(あるいは自分が共感する存在)が動作の受け手である場合も維持される。それに対して、日本語では、自分(あるいは自分が共感する存在)が動作の受け手となる場合、自分を主語にして(つまり、受け手である自分の視点から事態を眺めて)、受動文が用いられる強い傾向がある。



2.7 「国の母が僕にリンゴを送った。」

自己中心的な性質を示すものとして、「行為の自己への接近」を示す「~てくる」について見ておく。

(1)「鈴木君が佐藤君を訪ねたそうだ。」
(2)??「鈴木君が僕を訪ねた。」⇒鈴木君が訪ねてきた。
(3)「母がアメリカに留学している弟にリンゴを送ったそうだ。」
(4)??「母が私にリンゴを送った。」⇒母がリンゴを送ってきた。

日本語では、(行為の)「自己」への接近には特別な表現が使われる。

では、他言語では、どうなるだろう?

(5)健が僕に手紙を書いてきた。
(6)健が僕にボールを投げてきた。
(7)健が僕に電話をしてきた。
(8)健が僕に招待状を送ってきた。

堀江他(2009)では、(5)~(8)の表現が他言語ではどのように表現されるのかについて、母語話者に対するアンケート調査により調べた。
対象言語は、

ベトナム語、タイ語、クメール語 ←東南アジアの言語
中国語、モンゴル語
韓国語、英語
ヒンディー語、マラーティー語、ネパール語、ベンガル語 ←南アジアの言語

である。


その結果、日本語と同様に「~てくる」に相当する表現を義務的に使用する言語は、第一列目にあげたベトナム語などの東南アジアの言語であった。一方、「~てくる」に相当する表現を用いないのは三列目の韓国語、英語と四列目の南アジアの諸言語であった。
二列目の中国語は、(8)に関しては「~てくる」に相当する表現が用いられるとのことだが、それ以外のものについては使っても使わなくてもどちらでもよいとの結果が出た。モンゴル語は、(8)のみ「~てくる」に相当する表現を使ってもよく、(5)(6)(7)は使わないとの結果が出ている。


※受身においても東南アジアの言語は、日本語に近いふるまいをしている点が興味深い。特に、ベトナム語は、特殊日本的な受身として話題になってきた用法がすべて揃っている。

(2.6と2.7は、堀江他(2009)の一部を要約したもの。)


3.まとめ
日本語に最も近いと言われる韓国語との間にも興味深い違いがみられた。
東南アジアの言語との間に見られる同質性は注目されるが、それらの言語には「あげる」・「くれる」の使い分けはないし、日本語のような敬語も認められない。
このように見てくると、日本語は、その自己中心的発想において際立った特徴のある言語と言える(一方、英語は第三者的発想において際立った特徴を持つ)。
日本語を第二言語として習得するには、この日本語の構造上のポイントを押さえた学習・教授が必要となる。


参考文献
安西徹雄(2000)『英語の発想』ちくま学芸文庫(元、講談社現代新書(1983))
池上嘉彦(2006)『英語の感覚・日本語の感覚』NHKブックス
池上嘉彦(2007)『日本語と日本語論』ちくま学芸文庫
金谷武洋(2004)『英語にも主語はなかった 日本語文法から言語千年史へ』講談社選書メチエ
堀江薫,ブラシャント・パルデシ(2009)『言語のタイポロジー ― 認知類型論のアプローチ ―』研究社
森田良行(1998)『日本人の発想、日本語の表現』中公新書
森田良行(2002)『日本語文法の発想』ひつじ書房
山田敏弘 (2004)『日本語のベネファクティブ ―「てやる」「てくれる」「てもらう」の文法―』明治書院
加藤薫(2012)「日本語の構文的特徴から見えてくるもの ―「主体・客体」と「自分・相手」―」『文化学園大学紀要 人文・社会科学研究』20号

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なおなお、ハンドアウトは、講演の約一週間前に主催者に提出したもので、世間学会で受けた問題提起は反映されていません。
「自己」という用語の検討、ふたつの「私」の問題は近々とりあげたいと思っています。